類人エン(さすらいの詩~砂一詩集)

旅の終わりにこそ続けて流離う。
遠回りの道。
迷うな!それが真の勇気。
無限の嘆きは感謝。
神への祈りだ。

原色の街から その六 

2017-03-18 16:33:51 | Weblog
信介は思い起こしている。偶然の紹介からその船に乗った留学だったことを。よりによって大国中国を考えることなく選んでしまったからだ。
日本人としては死を意味した選択だった。
意義をなさない選択だった。
そこでは日本人と言えばジェラシー、妬み、恨み、敵視・・・細い目で斜視にしか見られていない誠に不愉快な環境だったからだ。
信介正直、訪れて初めて理解しなければならなかった。戸惑った。
そんな不毛の地には違いなかったが今日まで行き着くところまでこの国を離れなかったのは大きな経済格差のなせる業であったろう。しかも異文化異文明に身を置くことで実際には直接、日本人のあく抜きと開放感を味わっていたからだ。
途中、祖国にも何度か帰った。アメリカにも渡った。しかし、何時の間にか反日のこの国に戻っていた。
これは「ご縁」としか言えなかった。
中国人の友好とか友情が全く存在しえず、愚民として飼育された封建的な思考形態の古代民族の世界。民主主義の文明の価値観を共有できないハングリーな独裁国家。上げればキリがない。理解すればするほど嫌いになる。とことん理解したからこそ離れねばならなかったのだが離れなかった。何故、こんなに嫌っていたにも関わらず離れられなかったのか?一言、機会を失った。それだけだったろう。
一度、ムラを離れると簡単には戻れない。ムラ自身が排除するからだ。ムラがそう簡単に受け入れないからだ。祖国を思えば思うほど祖国は拒否反応を示す。皮肉としか言えないがこれが現実である。
日本人世界は相場が決まっている。日本人なら日本から離れてはならないのだ。落人、流刑、島流し、お国替えは日本の伝統であり、核心なのだ。死んでも離れてはならない。厳しい世界である。まして自ら望んで離れてしまっては瀬がない。言わずもがなである。しかも反日の国などに行ってしまっては何の評価も得られない。更には信念のない旅なら尚更である。
凧の糸が切れたのである。
だからご縁でこの国に住み込んだのである。

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