カメラ大好きおばあちゃん

極々近場を一人気ままにウロウロし、目に留まった光景を投稿しています。

久し振りに綺麗な夕焼けが撮れました!! (7.15) 

2015年07月16日 | 写真
昨日外出からの帰路綺麗な夕焼けでしたので、荷物を置きカメラを持って何処か少しでも見晴らしのいい処へと慌てて出ました。
自宅から歩いて5分、割合見晴らしのいい橋の上から撮りました。

太陽の沈む西とその南側では、夕焼けの色や雲の様子が違い雰囲気の違う光景でした。

南の夕焼け










西の夕焼け 段々と色が濃くなって行き、最後は外出の疲れも忘れるくらいの素晴らしい夕焼けでした。









大阪天満宮とその界隈 7 (大阪市)

2015年07月15日 | 写真
今回はこのシリーズ最後で、川端康成生誕之地の文字が彫られた石碑を、 見つけたことをUPします。

天満宮の表門の東向かいに小粋な門構えの家と、その入り口脇に小さな石碑が見えます。この家は創業以来180年の歴史ある料亭「相生楼」です。
昭和43年(1968)日本人で初めてのノーベル文学賞を受けた康成は、明治32年(1899)現在の相生楼の敷地内の南端辺りにあった家で生まれました。
(歴史街道~ロマンの扉~より)

天満宮へは度々訪れますが、こちら側からは殆ど出入りしたことがなく、その周辺もうろうろしたことがなかったので全く気付きませんでした。
















大阪天満宮とその界隈 6 (大阪市)

2015年07月14日 | 写真
今回は天満宮と天神祭についてUPしたいと思います。菅原道真(845~903)は宇多天皇の信任厚く右大臣の地位にあったが、 道真の権勢拡大を恐れた左大臣の藤原時平ら藤原一族の讒言(ざんげん)によって排斥され、 昌泰4年(901) 九州・大宰府に左遷された。
道真は大宰府へ向かう途中、 難波での船待ちの間に大将軍社に参拝した。 これが縁となり、 道真の死後46年を経た天暦3年(949)村上天皇の勅願によってこの大将軍の森に道真を祭神として祭ったのが大阪天満宮の始まり。
大将軍社は大化元年(645)孝徳天皇が造営した、 難波長柄豊崎宮の守護のために建立した神社で、現在は大阪天満宮の境内に摂社として祭られている。

そして、浪速っ子が暑い夏に一番燃える大阪最大の祭である天神祭が今年も7月24、25日に大阪天満宮と大川一帯で繰り広げられる。 悲運の内に死亡した菅原道真の霊を慰める祭として始まったが、 今は大阪を活気のある町に盛り上げる役目も担い、不景気を吹き飛ばそうと祭を取り仕切る関係者も燃えている。
(歴史街道~ロマンへの扉~より)

















天神祭のメインイベントである船渡御(ふなとぎょ)に、 市民船アクアライナーで参加しませんか?とありましたので、ダメモト で応募しました‥(*^_^*)



大阪天満宮とその界隈 5 (大阪市)

2015年07月13日 | 写真
今回は日本一長い天神橋筋商店街のほんの一部をUPします。 天満宮の参道を兼ねた形になっていて、 天神橋筋2丁目商店街のアーケード入り口は、天神祭の船渡御(ふなとぎょ)をする御神霊を出迎えた「お迎え人形」をモチーフにした人形が、賑やかに飾られ買い物客を出迎えてくれます。











これらの大阪弁分かりますか?






一寸横道へ入ると、手づくり万華鏡のお店がありました。


横道へ入るとあったお店ですが、戸が閉まってて何屋さんか分からない?