良く判らないですね...。
そもそも人間と他の動物の違いは何か?と考えて見ますと...
まず、哺乳類の動物のみが「感情」つまり、「喜怒哀楽」があるそうです。
そして自己の認識においては、更にその哺乳類の中の人間、ゴリラ、チンパンジーなどがしているようです。これは単純に鏡に映った自分を自分として認識するのか?否か?という点で判断されているようなのですが...。
そういえば昔何かの物語で、骨をくわえた犬が川に移った自分の骨もほしくなり...それも取ろうとする...みたいな話しってありましたよね...。やはり犬は自分というものを認識していないのですかね...?
そして更に掘り下げますと...
人間のみが、自己の感情を理性で抑える事ができるそうです。つまり理性VS.感情においての葛藤の中で、感情を抑える忍耐力を持っている。という感じになるのではないでしょうか?
これを考えますと、理性が感情に負けた結果として、感情が表にでている状態の人は、非人間的であると考えられるわけです。
ここで少々矛盾を最近感じています。
ビジネスに例えましても...やはりこれは同じことでして、人間の経済活動として行なわれる「仕事」は、良く戦争に比喩される事もありますが、要は闘いなわけです。他社競合から一歩でる為には、それらを蹴落とさなくてはならないのです。
ここで問われる理性とは果たして何なのでしょうか?
戦争=暴力のぶつかり合いです。
暴力というのは、物理的な力だけでなく、人間の心を傷つける暴力というのもありますが、それらは、完全に理性に負けた感情から出てくる「負の力」だと思います。
まあ攻撃されれば自己防衛して守らなければならないのですが...できる限り最初からそんな事はしたくないものなのです...。
と、今日も頭の片隅で悩んでいます...。
そもそも人間と他の動物の違いは何か?と考えて見ますと...
まず、哺乳類の動物のみが「感情」つまり、「喜怒哀楽」があるそうです。
そして自己の認識においては、更にその哺乳類の中の人間、ゴリラ、チンパンジーなどがしているようです。これは単純に鏡に映った自分を自分として認識するのか?否か?という点で判断されているようなのですが...。
そういえば昔何かの物語で、骨をくわえた犬が川に移った自分の骨もほしくなり...それも取ろうとする...みたいな話しってありましたよね...。やはり犬は自分というものを認識していないのですかね...?
そして更に掘り下げますと...
人間のみが、自己の感情を理性で抑える事ができるそうです。つまり理性VS.感情においての葛藤の中で、感情を抑える忍耐力を持っている。という感じになるのではないでしょうか?
これを考えますと、理性が感情に負けた結果として、感情が表にでている状態の人は、非人間的であると考えられるわけです。
ここで少々矛盾を最近感じています。
ビジネスに例えましても...やはりこれは同じことでして、人間の経済活動として行なわれる「仕事」は、良く戦争に比喩される事もありますが、要は闘いなわけです。他社競合から一歩でる為には、それらを蹴落とさなくてはならないのです。
ここで問われる理性とは果たして何なのでしょうか?
戦争=暴力のぶつかり合いです。
暴力というのは、物理的な力だけでなく、人間の心を傷つける暴力というのもありますが、それらは、完全に理性に負けた感情から出てくる「負の力」だと思います。
まあ攻撃されれば自己防衛して守らなければならないのですが...できる限り最初からそんな事はしたくないものなのです...。
と、今日も頭の片隅で悩んでいます...。