「堺市役所21階展望ロビー」は、ロマンの広場。
=====================================
地図は、
KYライン 地図z を ご検索ください。
=====================================
古代史ロマン、万葉ロマン、海のロマン、に魅せられた兵庫県・姫路の豆石は、過日、
堺市役所の展望ロビーを訪れた。
前述した、⑬(R-Rライン)と、⑭(KYライン)との、ちょうど間に堺市役所が位置する。
堺市役所は、南海電鉄高野線の堺東(さかいひがし)駅のスグそばにある。
この21階が展望ロビーとして一般に開放されている。(無料がウレシイ。年中無休)
世界最大級の陵墓である仁徳天皇陵、履中天皇陵、反正天皇陵などが並ぶ
百舌鳥(もず)古墳群が、眼下に見渡せる。
【 注:仁徳天皇陵(堺市役所も)―明石海峡―家島諸島は、一直線の位置関係】
東は、生駒山・高安山・(龍王山?三輪山?)・屯鶴峯・二上山・葛城山・金剛山・・・
西は、大阪湾(ちぬの海)・淡路島・明石海峡・六甲山ーーー360度の大展望である。
私の今回の目的は、先の(RーRライン)・(KYライン)が、ココのドチラにどのように通るのか、の確認の訪問であったが、
眼下に見える、南海高野線・南海本線・JR阪和線が錯綜して走るのと同様、それにも増して、大和から明石海峡への上記のラインを意識すると、目眩がして参りました。
それはさておき、ここはロマンの場所だと思いました。
(1)古代歴史ロマンーー百舌鳥古墳群のドまん中。
仁徳天皇陵ーー百舌鳥耳原中陵。
履中天皇陵ーー百舌鳥耳原南陵。
反正天皇陵 (古墳時代中期の、5世紀の大王・おおきみの前方後円墳。)
# ボランティアさまから たのしいお話し。
「シカの耳からモズが出た」と。(仁徳紀を!)
しかし、何のコト? ??
因みに、播磨の地名は、シカだらけ・・・
(2)万葉ロマン。
磐姫(仁徳天皇の皇后)の歌ーー万葉集の最古の歌?
○ありつつも 君をば待たむ うち靡く
わが黒髪に 霜の置くまでに
と、いうのも あるそうだが・・・。・・・
○難波潟 潮干に立ちて 見渡せば
淡路の島に 鶴(たづ) 渡る見ゆ (巻7-1160)
播磨人としては、
○ともしびの 明石大門(明石おおと)に入る日にや
漕ぎ別れなむ 家のあたり見ず (巻3-254)
が詠まれた須磨・舞子あたりが、やはり気になります。(なんとか見えました。)
(3)海のロマンーーーこのあたりから遣唐使は出帆。ザビエルさん。ルソンの壺。
この堺市役所から明石海峡の向こうに、姫路市の家島群島が見えるハズ。
しかし、この日は天気がいま一つで、明石海峡大橋すら視認出来ませんでした。
残念! また、冬場の視程の良い日に、再び参りたいものです。
~~~~~~~~~~~~~~~~
最後にもう一つ、万葉の歌を、
○大伴の三津の泊まりに 舟 泊(は)てて
龍田の山を いつか越え行かむ (巻15-3722)
≪しかし、「大伴の三津」・「龍田の山」って、ドコだ~?≫
【ロマンは、ロマンで終わらない!】 姫路・豆石煌 記。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
大阪湾は、今も古代も、交通の大動脈。
このロビーから、海の上に、古代船「なみはや」のような、ヒボコの船も見えますか?
(ヒボコ=アメノヒボコ=天日槍=天之日矛)ーーー浜村淳さんに聞いてみよう!!
なお、現在、
◎古代船「なみはや」は、「なにわの海の時空館(閉鎖)」前に展示中?。
◎古代船「ひぼこ」は、「兵庫県立考古博物館」に展示中。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「兵庫県立考古博物館」は、播磨町(明石から4っ西のJR土山下車・歩、南西へ15分)
大中遺跡(おおなか遺跡・弥生遺跡)のところです。
⇒ 公式サイトをご検索下さい。
=====================================
地図は、
KYライン 地図z を ご検索ください。
=====================================
古代史ロマン、万葉ロマン、海のロマン、に魅せられた兵庫県・姫路の豆石は、過日、
堺市役所の展望ロビーを訪れた。
前述した、⑬(R-Rライン)と、⑭(KYライン)との、ちょうど間に堺市役所が位置する。
堺市役所は、南海電鉄高野線の堺東(さかいひがし)駅のスグそばにある。
この21階が展望ロビーとして一般に開放されている。(無料がウレシイ。年中無休)
世界最大級の陵墓である仁徳天皇陵、履中天皇陵、反正天皇陵などが並ぶ
百舌鳥(もず)古墳群が、眼下に見渡せる。
【 注:仁徳天皇陵(堺市役所も)―明石海峡―家島諸島は、一直線の位置関係】
東は、生駒山・高安山・(龍王山?三輪山?)・屯鶴峯・二上山・葛城山・金剛山・・・
西は、大阪湾(ちぬの海)・淡路島・明石海峡・六甲山ーーー360度の大展望である。
私の今回の目的は、先の(RーRライン)・(KYライン)が、ココのドチラにどのように通るのか、の確認の訪問であったが、
眼下に見える、南海高野線・南海本線・JR阪和線が錯綜して走るのと同様、それにも増して、大和から明石海峡への上記のラインを意識すると、目眩がして参りました。
それはさておき、ここはロマンの場所だと思いました。
(1)古代歴史ロマンーー百舌鳥古墳群のドまん中。
仁徳天皇陵ーー百舌鳥耳原中陵。
履中天皇陵ーー百舌鳥耳原南陵。
反正天皇陵 (古墳時代中期の、5世紀の大王・おおきみの前方後円墳。)
# ボランティアさまから たのしいお話し。
「シカの耳からモズが出た」と。(仁徳紀を!)
しかし、何のコト? ??
因みに、播磨の地名は、シカだらけ・・・
(2)万葉ロマン。
磐姫(仁徳天皇の皇后)の歌ーー万葉集の最古の歌?
○ありつつも 君をば待たむ うち靡く
わが黒髪に 霜の置くまでに
と、いうのも あるそうだが・・・。・・・
○難波潟 潮干に立ちて 見渡せば
淡路の島に 鶴(たづ) 渡る見ゆ (巻7-1160)
播磨人としては、
○ともしびの 明石大門(明石おおと)に入る日にや
漕ぎ別れなむ 家のあたり見ず (巻3-254)
が詠まれた須磨・舞子あたりが、やはり気になります。(なんとか見えました。)
(3)海のロマンーーーこのあたりから遣唐使は出帆。ザビエルさん。ルソンの壺。
この堺市役所から明石海峡の向こうに、姫路市の家島群島が見えるハズ。
しかし、この日は天気がいま一つで、明石海峡大橋すら視認出来ませんでした。
残念! また、冬場の視程の良い日に、再び参りたいものです。
~~~~~~~~~~~~~~~~
最後にもう一つ、万葉の歌を、
○大伴の三津の泊まりに 舟 泊(は)てて
龍田の山を いつか越え行かむ (巻15-3722)
≪しかし、「大伴の三津」・「龍田の山」って、ドコだ~?≫
【ロマンは、ロマンで終わらない!】 姫路・豆石煌 記。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
大阪湾は、今も古代も、交通の大動脈。
このロビーから、海の上に、古代船「なみはや」のような、ヒボコの船も見えますか?
(ヒボコ=アメノヒボコ=天日槍=天之日矛)ーーー浜村淳さんに聞いてみよう!!
なお、現在、
◎古代船「なみはや」は、「なにわの海の時空館(閉鎖)」前に展示中?。
◎古代船「ひぼこ」は、「兵庫県立考古博物館」に展示中。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「兵庫県立考古博物館」は、播磨町(明石から4っ西のJR土山下車・歩、南西へ15分)
大中遺跡(おおなか遺跡・弥生遺跡)のところです。
⇒ 公式サイトをご検索下さい。
生駒山と二上山との間の一番低いところを通して、奈良盆地の東の山々が見えていますね。
あれは、龍王山ではなく、三輪山か、更に南の鳥見山あたりではないでしょうか?
再検討、願います。 カッパ (゜へ゜)
9月6日に家島を道案内していただいた夫婦の相方、村井ことマルチビタミンです。あちこちサイトを巡りながら、ここにたどり着きました。多分、あの時のカッパさんですよね?
何気にブラリと立ち寄った島で、万葉ロマンに触れられるとは思いも寄らなかったので、感激でした。あの時は、まだまだ暑い中、ご親切にいろいろと連れて行ってくださりありがとうございました。カッパさんのご予定もおありだったと思いますのに、本当にありがとうございました。
あれから3週間、大阪から3日前に東京へ帰ってきました。東京は、もう夕方になるとひんやりです。
しばらくは、こちらの生活ですが、今度大阪に行った時堺市役所の展望台行ってみます!なんかこのブログ見ていると、ワクワクして私も覗いてみたくなりました。また時々ここに遊びに来ます。カッパさんの真説(新説?)楽しいです。また是非載せてください。
ぶらり散歩の家島の旅、たのしいですね。
家が姫路なモンで、今も2~3ヶ月に一回ぐらい、家島に海外旅行?を楽しんでいます。
行く度に、なんらかの発見や、ハプニングがおこります。
この度は、マルチビタミンさまと、お知り合いになれました。これも、「コウナイの石神さま」のおかげかと。感謝、感謝。
あの訳のワカラナイ資料、そして、このブログを書くことが出来たのも「コウナイの石」さまさまのオカゲです。
海の広さ、青さ、潮風の空気もウマイ。
そこで出会えたのが、マルチビタミンさまと来れば、わたしめがモモタロウに成れたようなイイ気分です。心身ともに健康にヨロシイ!!
ところで、新説は、真説ではなく、珍説の域を出ません。・ンで、やはり、カッパなのです。
マルチビタミンさま。東京と大阪のダブル生活、大変でしょうが頑張って下さいネ。そして大阪時には堺市役所展望ロビーにも是非。私は未だ見ていませんが夜景が、またスバラシイようです。日暮れの早い冬になったら行きます・・・
家島の海外旅行。。。確かにあの島の空気は日本でないような(^-^)
上記に大誤りがありました。マルチビタミンさま。
すみません。
誤:わたしめがモモタロウに成れたような・・
正:わたしめがモモタロウの家来になれたようなイイ気分です。
◎カッパがモモタロウになって、どないするネン!!
しか~し、「カッパ」と「モモタロウ」との関連性は、「頂ノ岩」にその秘密が隠されている、と、ボクは思うンだー。 (゜へ゜) ??
土地勘が無いので、ヨク分かりませんが・・・
展望ロビーで写した写真を見ながら、グルグルアースでグルグルすると、一番低いところの方向は、三国丘高校の校舎の北半分の方向のようです。
この方向の奈良の山は、やはり、龍王山のようです。これは、堺市役所の真東の方向のようです。
しかし、再検討の必要性が猶あります。
三輪山の南の、談山神社のある御破裂山と、龍王山の形はヨクにていますネ。
(桜井線の大和高田~桜井でビックリしたコトがあります。)
写真に写っている高い建物を再検討中です。
が・・・、何の建物だかワカリマセン。
土地カンって重要ですネ。
堺東の近くの反正天皇陵。この秋、私も参りました。街中の静かな所でした。
そのあと偶然お伺いした「方違神社」が気になりました。何故『方違神社』があの場所に存在するのか、気になります。方位方角を気にし過ぎの豆石です。
堺市役所の展望ロビーにも説明パネルがありますね。気になる・・・
コメントありがとうございましたm(_ _)m
方違神社のある住所は三国ヶ丘という名前ですが、この場所から和泉、河内、摂津が見渡せるからというのをネットか本で見たことがあります。
うろ覚えで悪いのですが、この説は商人(もしくは一般人)が後付けでつけたものだという説もあった気がします。
どっちにせよ、あの場所にあるのは不思議ですね。
私は歴史に疎いので話半分・・もとい、話10分の1程度でお願いします。
詳しい、お話、ありがとう御座います。
「三国ヶ丘」の地名のイワレが分かりました。
ありがとうございます。
このロマンが『天地明察』につながると良いですね