★おことわり。
小・中学生のみなさんは、
いまは「北極星の位置は、真北にあって、ホトンド動かない」と覚えてください。
ついでに、その高さ(仰角)はその観測地の緯度と同じ、だと。
~~~~~~~~~
~~あなたは、18才以上ですか?~~
・・・では、どうぞ。
~~~~~~では、・・・↓
★(北極星は動く!)というと、(また何をバカなことを!)と言われた。 しかし!・・・
(バカ?~?)というと、(北極星も動いたカモ!)と言われた。こだまでしょうか?
★それに、このはなしは、
現在の北極星の日周運動(直径が約1,5度の小さな移動)の話でもありません。
古代・中世には北極星は、大きく動いていたという。未来にも!←(地上から見て!ですよ)
★地球の歳差運動!
古来、動かないのは、「天の北極」である。←(地上から見て!ですよ!)(見えぬけれどもあるんです。)
南御堂さまのHpより
とはいえ、
ジャイアントインパクト(約45億年前??)(月の誕生)や、
巨大隕石の衝突(ユカタン半島)(恐竜の絶滅)(約1億年前?;6650万年前?)の時には、
地球の軌道や回転の極軸が変化し、地球の北極の位置も変わったかもしれない。
その後も、大陸の移動も当然あったでしょう。日本列島の形成も。
しかし、少なくとも、ここ数万年の間では、北極・南極の位置は不変!?
ならば、地上から見た「天の北極」の位置も不変でありましょう。方位の「真北」も不変。
その上に「地球の歳差運動」と言う事象があります。
宇宙空間において、地球の回転の極軸の方向は変化しますが、
地上の、とある一地点から見た「天の北極」の位置(方向・仰角)は変わらない。(北半球)
歳差運動では黄道面に対する垂直線、に対する地軸の傾き(23,4度)(=黄道傾斜角)も大きくは変わらないハズ。
宇宙に対する地軸の方向が変わり⇒地上からの見かけ上、変わるのは、天の星々の位置であります。
◎歳差運動ーー軸が垂直でないコマがスリコギ運動をするように、
地球もその自転軸の方向を変化させる。
一周期は、25800年とか。
★歳差運動の回転は・・・・
自転・・地軸を軸とし・・上から見て、反時計回り。北天を向いて時計回り。北天の星は反時計回り。
公転・・黄道北極軸・・・上から見て、反時計回り。北天を向いて時計回り。北天の星は反時計回り?
(公転による地球の軌道直径は、天球に対してはZEROに等しい。)
(公転によって、夜昼が入れ替わるので、時間変化=自転による変化と同様な変化を生じる?)
これらとは異なり、
$ 歳差運動は・・黄道北極軸・・上から見て、時計回り。( 逆回転 )
⇒北天を向いて、反時計回り⇒星は黄道北極を中心として、時計回り。
$歳差円が、もし楕円だったら・・・もうアカン!! (ー_ー)!!
$さまよっているのは、オイラのアタマ!?
★ $コーンアイスでも齧りながら、再考!!
◎自転軸の方向が変化すると、その回転の中心の見え方は・・・
たとえば・・
自動車のフロントガラスの真ん中が汚れていたとする。
ハンドルを左に切れば、外界の景色(見えているモノ)は右に移動する。
しかし、フロントガラスの汚れ(天の北極)は動かない。
それにも似て、「天の北極」に見える星々も移動いたします。(全天球が移動!)
その「天の北極」を中心に、日周運動は日々、永遠に続きます。
天の北極。
「天の北極」(方向は「真北」、高度はその地の緯度)の直近には、今は北極星(ポラリス)がありますが、
約5000年前(ピラミッドが作られた時代)には、そこ(天の北極)には、
当時の北極星(トゥバン:りゅう座α星)があった、そうです。
★現在では(トゥバン)は今の北極星(ポラリス)から約25度。北斗七星の柄の方向、少し手前。
その後の古代には、そこにはめだつ星は、ありませんでした。
暗い闇だけ・・・・。近くに、(コカブ:こぐま座β星)がクルクル。やや離れて、
北極星(ポラリス)もクルクル北天を周回し移動。--ポラリスの日周運動--
これでは、星空の回転の中心・「天の北極」の位置は、
あまり正確にはヨク分からなかったと思われます。
(今のようにカメラ・写真がある訳じゃなし・・)
天の北極は、この5000年間に、約25度、
トゥバンからコカブ付近へ、そしてポラリスへ、徐々に移動したようです。
その結果、北極星(ポラリス)の位置は大きく変わって見えたハズ。←ココが重要!!
⇒「歳差円」、「歳差運動」をご検索ください。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【 過去におけるポラリス(現在の北極星)の動き。】
(ただし、カッパ版)
・約5000年前。ピラミッド時代。
地球の軸(地軸)は、りゅう座α星(トゥバン)に向き、その当時の北極星はトゥバン。
(ポラリス)は、(トゥバン)を中心とし半径約25,5度(いまの北斗七星よりやや小さめ)の
円を描き、日々、反時計回りに回っていた。 ← (カッパの国では、トピックス!!)
その映像は「パラマウント ロゴ you tube」をご検索を!
【追記:トゥバンの天の北極、最接近は約4800年前】
・約3000年前。古代ギリシャ・ローマ時代。
半径、約15度。直径において約30度で回転。
・2222年前。秦の始皇帝の時代。
半径、約11度。直径、約22度で回転。
天の北極に、より近い当時の北極星は、こぐま座β星(コカブ)。
・2000年前。イエス・キリストの時代。
半径、約10度の円を描く。直径では20度。
・1700年前。卑弥呼の時代のちょっとあと?。
半径、約9度。★(9度のズレ)直径では18度。
⇒そのときの様子は「 邪馬台国時代の北天の星空 」の
4枚目の作図。にあります。(ご検索を!!)
・星空の回転の中心(天の北極)の近くに
二つの星(コカブとポラリス)どっちがどっち??明るい方が・・・
・北斗七星もズレる。全天ずれる。
・1400年前。聖徳太子の時代。
半径、約7度。直径では14度。
このころ、天の北極が(コカブ)付近から(ポラリス)の方に移動。
天帝・太極⇒⇒⇒天皇大帝・北辰?
◎「北辰」=(不動点)=「天の北極」 ??
・1350年前。天智天皇の時代。 □ 正方位の宮・都の形成。
半径、約6,5度。直径においては、約13度。
・1000年前。枕草子の清少納言の時代。平安時代。
半径、約5度の円を描く。(源氏物語の紫式部のころ)
直径10度。
#・春は あけぼの・・
・星は すばる・・・
・市(いち)は 飾磨の市(しかまのいち)
(姫路市市之郷・姫路警察署ふきん・BENE付近?)
(当時、平安京・京都でも有名?)
<新快速で約90分>
えっ!納言ちゃん姫路へ来たの?。
(えきそば、食べた~?)
・400年前。江戸時代・前期。----(渋川春海 『天地明察』のころ。#2012,9,15追記)
半径、約2度の円を描く。
◎そのことの発見者は、姫路市家島・坊勢島(ぼうぜしま)の船乗りの若奥さん?。
?紀伊国屋文左衛門の奥さん?諸説あるとか?桑名屋徳蔵の妻?
★渋川春海(六蔵)は13才?のころから北極星の動き(日周運動?)を知っていた、という【NHK】。
★天球上、1度のズレは、測定地点、約111kmのズレに相当するらしい。
・「北極出地」は、どのように補正したのだろうか?(数日内ほぼ同時刻測定値の比較なら・・?)
・「天の北極」をどのように理解していたのだろうか?
・200年前。江戸時代・中期。---・本居宣長・浅田剛立・高橋至時・間重富・伊能忠敬のころ。
半径、約1度強の円を描く。
・そして現在(現代)、でも。
半径、1度以下(44分)。直径、約1,5度の円を描く。(お月さま三つ分も動くとか)(不動の星?)
★お月さま3ッ分の話は、現在の日周運動です。(歳差運動によるのではありません。)
★現在でも、夜9時ごろの北極星は、秋~冬に高目に、春~夏に低目に見える??(1,5度の差)。
北極星の高度・仰角は、季節・時刻によって現在でも少し変わる。精密・正確な測定で。
(このことは、ストロー&錘つきの分度器でも・・・。測定誤差か?否々・・・?)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
追記。(青文字部分・映画『 天地明察 』を見て以後)
★渋川春海の北極出地のころ、(一定点でも、季節・時刻により上下左右、最大4度差?)
☆★☆ ・夏の東海での測定ーー冬の青森での測定⇒???どうだった?
★ ・北極出地の1度の差は、約111kmに相当する?--大きな差ですネ。
どのように補正したのでしょう?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
上記のように、過去の人々は、北天の星空を見たとき、上下左右、
あっち、こっち、にある北極星(ポラリス)を見たことでしょう。
そして現在は、北極星(ポラリス)は「天の北極」のすぐそばにあり、
あまり動かないので、不動の星だと、いわれているのでしょう。
いまの北極星(ポラリス)が不動の星と言われるようになったのは、
わりに最近(明治維新以後・明治教育以後?)のことのようです、ヨ。
★ 古代のみならず、中世にも、江戸時代(近世)でも、北極星は・・・
( ★それでも?北極星は回っていた!)今より大きく。
そのように見えた。
もちろん、回っているのは実は地球。
そして、
---未来にもまた動く。--
そして、
☆この「地球の歳差運動」は、氷河期や「縄文海進」・弥生の海退等と、
どのような関係があったのだろうか?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★参考資料・文献
★・ビジュアル版?⇒「 北天の星空(②)。」 (ネット)⇒「 北天の星空 卑弥呼 」をご検索ください。
★ なお、上記の数値は、いま一般に記載されている、
歳差円を正しいモノとして
もう少し広範囲の星図に置き換えて、図から求めました。
むずかしい計算は一切いたしておりません(比例計算のみ)。
ですから、概略の数値です。
★「歳差」「歳差運動」については、今現在(2011年7月1日)、
一般の星空の本よりも、百科事典の方が詳しく述べられているようですヨ。
☆「歳差運動」は専門用語のようですが、
古代史・中世史などを考える上では、重要な事象だと思われます。
=====================================
姫路・家島の謎の巨石・探究班
土井治道 記。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「さまよえる北極星(その2)」
「さまよえる北極星(その3)」 は、右下の次へを、クリック。↓
小・中学生のみなさんは、
いまは「北極星の位置は、真北にあって、ホトンド動かない」と覚えてください。
ついでに、その高さ(仰角)はその観測地の緯度と同じ、だと。
~~~~~~~~~
~~あなたは、18才以上ですか?~~
・・・では、どうぞ。
~~~~~~では、・・・↓
★(北極星は動く!)というと、(また何をバカなことを!)と言われた。 しかし!・・・
(バカ?~?)というと、(北極星も動いたカモ!)と言われた。こだまでしょうか?
★それに、このはなしは、
現在の北極星の日周運動(直径が約1,5度の小さな移動)の話でもありません。
古代・中世には北極星は、大きく動いていたという。未来にも!←(地上から見て!ですよ)
★地球の歳差運動!
古来、動かないのは、「天の北極」である。←(地上から見て!ですよ!)(見えぬけれどもあるんです。)
南御堂さまのHpより
とはいえ、
ジャイアントインパクト(約45億年前??)(月の誕生)や、
巨大隕石の衝突(ユカタン半島)(恐竜の絶滅)(約1億年前?;6650万年前?)の時には、
地球の軌道や回転の極軸が変化し、地球の北極の位置も変わったかもしれない。
その後も、大陸の移動も当然あったでしょう。日本列島の形成も。
しかし、少なくとも、ここ数万年の間では、北極・南極の位置は不変!?
ならば、地上から見た「天の北極」の位置も不変でありましょう。方位の「真北」も不変。
その上に「地球の歳差運動」と言う事象があります。
宇宙空間において、地球の回転の極軸の方向は変化しますが、
地上の、とある一地点から見た「天の北極」の位置(方向・仰角)は変わらない。(北半球)
歳差運動では黄道面に対する垂直線、に対する地軸の傾き(23,4度)(=黄道傾斜角)も大きくは変わらないハズ。
宇宙に対する地軸の方向が変わり⇒地上からの見かけ上、変わるのは、天の星々の位置であります。
◎歳差運動ーー軸が垂直でないコマがスリコギ運動をするように、
地球もその自転軸の方向を変化させる。
一周期は、25800年とか。
★歳差運動の回転は・・・・
自転・・地軸を軸とし・・上から見て、反時計回り。北天を向いて時計回り。北天の星は反時計回り。
公転・・黄道北極軸・・・上から見て、反時計回り。北天を向いて時計回り。北天の星は反時計回り?
(公転による地球の軌道直径は、天球に対してはZEROに等しい。)
(公転によって、夜昼が入れ替わるので、時間変化=自転による変化と同様な変化を生じる?)
これらとは異なり、
$ 歳差運動は・・黄道北極軸・・上から見て、時計回り。( 逆回転 )
⇒北天を向いて、反時計回り⇒星は黄道北極を中心として、時計回り。
$歳差円が、もし楕円だったら・・・もうアカン!! (ー_ー)!!
$さまよっているのは、オイラのアタマ!?
★ $コーンアイスでも齧りながら、再考!!
◎自転軸の方向が変化すると、その回転の中心の見え方は・・・
たとえば・・
自動車のフロントガラスの真ん中が汚れていたとする。
ハンドルを左に切れば、外界の景色(見えているモノ)は右に移動する。
しかし、フロントガラスの汚れ(天の北極)は動かない。
それにも似て、「天の北極」に見える星々も移動いたします。(全天球が移動!)
その「天の北極」を中心に、日周運動は日々、永遠に続きます。
天の北極。
「天の北極」(方向は「真北」、高度はその地の緯度)の直近には、今は北極星(ポラリス)がありますが、
約5000年前(ピラミッドが作られた時代)には、そこ(天の北極)には、
当時の北極星(トゥバン:りゅう座α星)があった、そうです。
★現在では(トゥバン)は今の北極星(ポラリス)から約25度。北斗七星の柄の方向、少し手前。
その後の古代には、そこにはめだつ星は、ありませんでした。
暗い闇だけ・・・・。近くに、(コカブ:こぐま座β星)がクルクル。やや離れて、
北極星(ポラリス)もクルクル北天を周回し移動。--ポラリスの日周運動--
これでは、星空の回転の中心・「天の北極」の位置は、
あまり正確にはヨク分からなかったと思われます。
(今のようにカメラ・写真がある訳じゃなし・・)
天の北極は、この5000年間に、約25度、
トゥバンからコカブ付近へ、そしてポラリスへ、徐々に移動したようです。
その結果、北極星(ポラリス)の位置は大きく変わって見えたハズ。←ココが重要!!
⇒「歳差円」、「歳差運動」をご検索ください。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【 過去におけるポラリス(現在の北極星)の動き。】
(ただし、カッパ版)
・約5000年前。ピラミッド時代。
地球の軸(地軸)は、りゅう座α星(トゥバン)に向き、その当時の北極星はトゥバン。
(ポラリス)は、(トゥバン)を中心とし半径約25,5度(いまの北斗七星よりやや小さめ)の
円を描き、日々、反時計回りに回っていた。 ← (カッパの国では、トピックス!!)
その映像は「パラマウント ロゴ you tube」をご検索を!
【追記:トゥバンの天の北極、最接近は約4800年前】
・約3000年前。古代ギリシャ・ローマ時代。
半径、約15度。直径において約30度で回転。
・2222年前。秦の始皇帝の時代。
半径、約11度。直径、約22度で回転。
天の北極に、より近い当時の北極星は、こぐま座β星(コカブ)。
・2000年前。イエス・キリストの時代。
半径、約10度の円を描く。直径では20度。
・1700年前。卑弥呼の時代のちょっとあと?。
半径、約9度。★(9度のズレ)直径では18度。
⇒そのときの様子は「 邪馬台国時代の北天の星空 」の
4枚目の作図。にあります。(ご検索を!!)
・星空の回転の中心(天の北極)の近くに
二つの星(コカブとポラリス)どっちがどっち??明るい方が・・・
・北斗七星もズレる。全天ずれる。
・1400年前。聖徳太子の時代。
半径、約7度。直径では14度。
このころ、天の北極が(コカブ)付近から(ポラリス)の方に移動。
天帝・太極⇒⇒⇒天皇大帝・北辰?
◎「北辰」=(不動点)=「天の北極」 ??
・1350年前。天智天皇の時代。 □ 正方位の宮・都の形成。
半径、約6,5度。直径においては、約13度。
・1000年前。枕草子の清少納言の時代。平安時代。
半径、約5度の円を描く。(源氏物語の紫式部のころ)
直径10度。
#・春は あけぼの・・
・星は すばる・・・
・市(いち)は 飾磨の市(しかまのいち)
(姫路市市之郷・姫路警察署ふきん・BENE付近?)
(当時、平安京・京都でも有名?)
<新快速で約90分>
えっ!納言ちゃん姫路へ来たの?。
(えきそば、食べた~?)
・400年前。江戸時代・前期。----(渋川春海 『天地明察』のころ。#2012,9,15追記)
半径、約2度の円を描く。
◎そのことの発見者は、姫路市家島・坊勢島(ぼうぜしま)の船乗りの若奥さん?。
?紀伊国屋文左衛門の奥さん?諸説あるとか?桑名屋徳蔵の妻?
★渋川春海(六蔵)は13才?のころから北極星の動き(日周運動?)を知っていた、という【NHK】。
★天球上、1度のズレは、測定地点、約111kmのズレに相当するらしい。
・「北極出地」は、どのように補正したのだろうか?(数日内ほぼ同時刻測定値の比較なら・・?)
・「天の北極」をどのように理解していたのだろうか?
・200年前。江戸時代・中期。---・本居宣長・浅田剛立・高橋至時・間重富・伊能忠敬のころ。
半径、約1度強の円を描く。
・そして現在(現代)、でも。
半径、1度以下(44分)。直径、約1,5度の円を描く。(お月さま三つ分も動くとか)(不動の星?)
★お月さま3ッ分の話は、現在の日周運動です。(歳差運動によるのではありません。)
★現在でも、夜9時ごろの北極星は、秋~冬に高目に、春~夏に低目に見える??(1,5度の差)。
北極星の高度・仰角は、季節・時刻によって現在でも少し変わる。精密・正確な測定で。
(このことは、ストロー&錘つきの分度器でも・・・。測定誤差か?否々・・・?)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
追記。(青文字部分・映画『 天地明察 』を見て以後)
★渋川春海の北極出地のころ、(一定点でも、季節・時刻により上下左右、最大4度差?)
☆★☆ ・夏の東海での測定ーー冬の青森での測定⇒???どうだった?
★ ・北極出地の1度の差は、約111kmに相当する?--大きな差ですネ。
どのように補正したのでしょう?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
上記のように、過去の人々は、北天の星空を見たとき、上下左右、
あっち、こっち、にある北極星(ポラリス)を見たことでしょう。
そして現在は、北極星(ポラリス)は「天の北極」のすぐそばにあり、
あまり動かないので、不動の星だと、いわれているのでしょう。
いまの北極星(ポラリス)が不動の星と言われるようになったのは、
わりに最近(明治維新以後・明治教育以後?)のことのようです、ヨ。
★ 古代のみならず、中世にも、江戸時代(近世)でも、北極星は・・・
( ★それでも?北極星は回っていた!)今より大きく。
そのように見えた。
もちろん、回っているのは実は地球。
そして、
---未来にもまた動く。--
そして、
☆この「地球の歳差運動」は、氷河期や「縄文海進」・弥生の海退等と、
どのような関係があったのだろうか?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★参考資料・文献
★・ビジュアル版?⇒「 北天の星空(②)。」 (ネット)⇒「 北天の星空 卑弥呼 」をご検索ください。
★ なお、上記の数値は、いま一般に記載されている、
歳差円を正しいモノとして
もう少し広範囲の星図に置き換えて、図から求めました。
むずかしい計算は一切いたしておりません(比例計算のみ)。
ですから、概略の数値です。
★「歳差」「歳差運動」については、今現在(2011年7月1日)、
一般の星空の本よりも、百科事典の方が詳しく述べられているようですヨ。
☆「歳差運動」は専門用語のようですが、
古代史・中世史などを考える上では、重要な事象だと思われます。
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姫路・家島の謎の巨石・探究班
土井治道 記。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「さまよえる北極星(その2)」
「さまよえる北極星(その3)」 は、右下の次へを、クリック。↓
このブログの「風水ー8揖保郡の条里制」(豆石説)と、
この記事の(市川のカッパ説)とのズレの角度が合いませんネ。
卑弥呼時代:カッパーー9度。豆石ーー4度。
飛鳥時代 :カッパーー7度。豆石ーー3度。
どうなってるん、でしょうか?
一つのブログに2説書くなんて・・・???
気が付かれましたか。
当初、私はこのズレが歳差による『北』の移動であろうと、誤解しておりました。
本文にも記載しましたよう、約5000年前のピラミッドは正方位を向いているらしいですし、
おそらく、この数千年間では北極・南極の移動(地球に対する地軸の移動)は無く、ということは地上から見た天の北極の移動もなく、『北』の移動もなかったでしょう。
あったのは、天の星々の移動。北極星などの移動でしょう。
古代における、「北」の6度~3度とかの西偏は、たとえば、測定法などの変遷によるモノだと思います。
北極星のズレ角度と 「北」のズレ角度の謎。
今後、このことの解明に挑戦してみたいと思っています。 (*ヘ*)
家島のカッパさんは、どう思いますか?
明けましてオメデトウ!!お久~!
約12000年後、今の北極星の場所に、その時の北極星・ベガ(こと座)が輝くようですね。
そのとき、太陽はどうなるの?
春分の日には、真東から出て真西に沈むのでしょうか?
ストーンヘンジは・・・
星だけズレて、太陽はズレない??
頭の中、もう、グチャグチャです。
皿にヒビがはいりました、ア、ァ~割れる~!!
本年もよろしくお願い致します。
この歳差運動による天の動きを考えると、メチャ理解困難。とも思われますが・・・
正しいか?誤りか?・・・
一つの意見です。
★
机の上に地球儀を置いてください。
机の面を黄道面だと思ってください。
いま、なにげなく置いた地球儀の地軸の上の方向の延長線上の天井に北極星があるとします。
そして、机の真ん中に太陽があるとしましょう。
①日周運動は自転によりますね。
②年周運動は、地球儀の台座の向きを変えずに
机の周辺を反時計回りに、一年に一回、移動します。
さて、
③歳差運動は、地球儀の台座を時計回りに一回転。
(この一回転するのに、24800年)
机の周辺を24800回まわすうちに、台座をまわすのは、1回だけだよ。
~~~~~~~~~~
出来た~??
さて、地球儀の日本から見た星空は変化するよ。
机の真中の太陽と地球儀との関係は・・・
なんにも変わらないと思う、僕は。
『星だけズレて、太陽はズレない。』:それでイイんじゃないかなぁ!?
間違っていたら、ゴメンね。
★それとも、黄道傾斜角がズレて、云々・・・
めちゃ難しい計算式が・・これこれで・・・
「章動」は、さっぱりワカランけど・・・・
頭の皿にヒビが入るほどの、ことじゃあない、と思うんだけど~~、僕は。
また、家島に遊びに行くね~、よろしく。
歳差運動の周期は、25800年らしい。
◎『金子みすゞ 展』のおしらせ。
姫路文学館で、
「金子みすゞ展」があります。
期間:平成24、4月20日~5月27日。
わたしは、楽しみにしています。
姫路文学館にて、
「没後80年 金子みすゞ展~みんなちがって、みんないい。」開催。
金子みすゞの詩に、星に関する詩、「星とたんぽぽ」があります。記載いたします。
----------
『星とたんぽぽ』
金子みすゞ
青いお空のそこふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまでしずんでる、
昼のお星はめにみえぬ、
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
ちってすがれたたんぽぽの、
かわらのすきにだァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根はめにみえぬ、
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
-------
「金子みすゞ」は、いいですね!
文系は、やはり、すばらしい!!
この詩を読んだあと、
理系の解釈;「天の北極」は、見えぬけれどもあるんだよ。
は、バカみたい!!
★「金子みすゞ」さんに教えられました。そうなんだ!!
真っ昼間でも、朝でも、北極星は、あそこで光っていることを!!
そういえば、思い出しました。
姫路の「星の子館」の「あさひララ」天文台で、真っ昼間に1等星を見せて戴いたことを。
ーーーーーーーーーカッパは、やっぱりアホや~
書かなきゃ、ヨカッタ! 心のないカッパ。
=============
もう一度、再読。
・・・・・
見えぬけれどもあるんだよ
見えぬものでもあるんだよ。
。
・大宝律令(701年)のころの、北極星は「天の北極」を
中心として半径約6度で回っていた?
しかし、
・藤原京(704年?)は正方位。
・奈良の条里も正方位。
・鳥取県の羽合平野の条里など、も正方位。
どのようにして、正方位を求めたのか、再考、再考!
中央と地方。
それぞれの天文や測地の技術は、どのようだったのだろうか??
そのころ、明石からも南十字星が見えていたそうです。