おことわり。
★方位の『真北』は、現在・過去・未来にわたって
変動致しません。(地球の歳差運動があっても)
( 地上の「北極点」や、「ホッキョクグマ」が移動しない限り。)
その上で、お読みください。
おことわり。その2.ーーおわび。
下記の5.の熊山石積遺構・熊山遺跡(岡山県)
の方位方向は、再調べの結果、北15度西でした。
以前に「北7度西」と判断し記載したのは、誤りでした。
(現在の磁北からさらに7~8度西偏でした。)
訂正し、お詫び申し上げます。 <(_ _)>。
-----------ー-----------ーーー
1、日本の古代(西暦600年ころ)の『北』は、
今より7度西偏していた?と聞いた。 --方位方向--
(飛鳥時代:聖徳太子の頃?: 1400年前ごろ )
ホンマかいなぁ~~!! 調べなくっちゃぁ~。
(姫路のカッパは旅をする!)
◎磁石の北を『磁北』と言います。
現在は『真北』から約7度西を示し、その差を偏角といいます。
--偏角は、時代とともに変わるようです--
★以下に記載の十数件の現在の建物の方向性は、
『北』が 「北7度西」です。
まずは、姫路から行きやすい、兵庫県の揖保郡太子町
(姫路市の西のとなり町)。
★太子山公園--山の上に、聖徳太子さまが
東の方を向いて立っていらっしゃいます。
★太子町の属する揖保郡の条里の基本方向は、
「北3度西」にもかかわらず、
1、太子山から斑鳩寺への道。
(現在の磁石の「北」とも言える;北7度西)
2、斑鳩寺(揖保郡太子町)
堂塔伽藍すべて。(磁北とも言える;北7度西)
3、稗田神社(揖保郡太子町)も、
4、中臣印達神社(たつの市揖保町中臣・粒丘)も。
以前にビックリ!
5、熊山***---誤記。(削除: 2013,6,16)。
6、石上神宮(いそのかみ)(奈良県天理市布留)も。
本日ビックリ!!
7、広峯神社(姫路)--南7度東向きであること
は知っていたが、同じコトだったとは!!
◎増位山随願寺(姫路)も。
◎麻生八幡宮(姫路)も。
◎松原八幡宮(姫路市白浜)も--灘の祭。
最もビックリ!!!
8、「法隆寺」。(奈良・生駒郡・斑鳩町)
古代ギリシャ/ギリシアの影響・エンタシスの柱。
ちょっとびっくり!
9、龍田神社 (奈良・斑鳩町)
10、島庄春日神社?あすか夢耕社(奈良・明日香村岡寺北)
他にもあると思います・・・
またまた、ビックリ!!!
11、広隆寺(京都市右京区太秦)---京都にあって北7度西。
★、蚕の社は、ナント!「北7度東」。 (広隆寺と対!?・三柱鳥居で有名・元糺の池・景教?)
★?☆ ヒョットすると(★ポラリス)と(☆コカブ)??
( ? 京都、下鴨神社も、「北7度東」。---糺の森。)←平成27,9,3追記。
またまた、またビックリ!!!
12、百済王神社・百済寺跡(大阪府枚方市中宮?)←平成27,5,17追記。
(方向は、北6度西?かも)
13、聖徳太子御廟(叡福寺 内)大阪府太子町《航空写真》←27,11,23追記。
◎いずれもが、いま流行の、パワースポット。
◎上記の、現在の建物の方向は、すべて『北7度西』
(いま現在の磁北とピッタリ?)です、ハイ!
(ただし、偶然のモノも含まれているでしょう。)
やったー!! !(^へ^)! ←そうコトは、簡単ではない!
◎ 聖徳太子さまは、お暇な時に当時貴重な方位磁石でお遊びになられた??←聞かない。
~~~(゜ㇸ゜)。 今なら、100円ショップでも売ってるヨ!
# それに、現在の建物は、いずれも、創建当時のモノではない。!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2、磁北は、どっちだ?
まず、現在の磁北の偏角(真北との差)は、約西偏7度ですが・・・・、
①磁北は、そんなに正確には計れない。
②磁北は、時代(時間)によって変動する。(1800年には真北、それ以前は東偏。とも)
③磁北は、場所によっても変化する。
#もし、古来、「偏角に変化がなければ」、磁北に合わせた。と、するべきでしょうね。
#聖徳太子さまの時代に「偏角」が西偏7~8度である確率は、10%前後??(私の想像)
(今道周一の文献・参照;下記。)
方位磁針・磁気偏角など、ご検索を!
・
・
上記の十数箇所のモノは、同時期ではないだろうし、場所も異なる。
にもかかわらず、ピタリと同一方向であるのは、なぜか。
⇒ やはり、天測 でしょう。(太陽か?星か?)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
3、『真北』は、どっちだ?
それが分かれば、苦労はしない!!---( 日本の古代の「真北」に北極星はなかった。)
古くには、BC2800年?のピラミッドが正方位を示しているそうです。(当時、真北にトゥバンが・・・)
『地球の歳差運動』というのがあって、宇宙に対し地軸の向きが変わった。
!注意!天体との位置関係は変化したが、地上から見た『真北』(=天の北極)は変わらない。 ・ 変化するのは、星の位置。 (←↑ これが、答。 )
7世紀には「天の北極」の星は、現在とは、これまたたまたま約7度ズレていたようです。
◎北極星(ポラリス)は「天の北極」を中心として半径約7度でグルグル周回していた。
(西へ東へ上下も7度)
◎このころ、天の北極(天枢?)を中心として、大ヒシャクと小ヒシャクとが、(日々、日周運動で)
太極のマークのように、廻っていた。(韓国の国旗のように)
「天の北極」の場所を究めるのは、目当てもなく、困難。⇒⇒『邪馬台国時代の北天の星空』ご検索を!
しかし、
BC222年の秦の始皇帝陵の向きは、ほぼ正方位(東偏2度)。
古代中国の都城は、正方位。(占星台で決めたのでしょうね)
ところが、日本では、遣隋使(聖徳太子)の時代は、北7度西。
おそらく、当時、最も西に来た時の北極星を『北』とした。?? なんでや~?? *ここがポイント!?
◎(堂塔は、約7度、ななめに見るのが美しい。和の美学。和をもって尊しとなす。)?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
そのご、
(天智天皇)の時代以後、飛鳥板蓋宮、藤原京。そして、平城京、平安京は、ほぼ正方位。難波宮も。
とはいえ、平城京も平安京もほぼ正方位だが、精密に約23分西偏すると云う。
(「平安京プロジェクト」参照)
ここにこそ、何らかの、謎の解明の糸口がありそうですネ。 (^へ^)??
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
4、『天枢』、『天枢星』について。
天枢とは、--①経穴のひとつ。臍の左右の二点。
②「天の北極」のこと?? 否!、【天の北極】は太一です。
③「北斗七星の一番明るい星;おおぐま座のα星(ドゥーベ)。--なんでヤ~??
天枢が二つあるのも???・・・?
======================
★ そして現在、わたしたちは、
古代の人(古代ギリシャ・ヒッパルコス)も知っていた歳差運動、そして、
古代の人が知る由もない?歳差円について知ることが出来る。
そしていま、歳差円をジ~と見てみた。
はは~ん。謎が解けつつある、ような気もする。
~~~~~昔ばなし・伝説が大すきな~~ 姫路・土井治道(市川のカッパ) 記。
★「歳差運動」は、専門用語なのでしょうが、
「地球の歳差運動」は古代史・中世史などを考える上で、重要だと思います。
百科事典・(ネット)をご覧ください。
★考古学的にはいかがでしょうか?
参考資料
・ キャンプと星と・・・卑弥呼は南十字星を見たか?(ネット)
・「日本における偏角の永年変化」
--気象庁・地磁気観測所要報・今道周一(1956)(ネット)
・「平安京プロジェクト・ダイジェスト」(臼井正・宮原健吾・etc)(ネット)
・「京の都と織女星」(ネット)
・「羅盤と偏角」(ネット)
・「古代の都は どうつくられたか」吉田歓(吉川弘文館・歴史文化ライブラリー313)
・ 星座早見
・ 歳差の円---小学館の学習百科図鑑27、星座(1980年版)p62。
-----------
★Wikipedia の「 北極星 」の説明が、近年、変わりました。
wikipedia の「 ポラリス 」も。 是非、ごらんください。
★方位の『真北』は、現在・過去・未来にわたって
変動致しません。(地球の歳差運動があっても)
( 地上の「北極点」や、「ホッキョクグマ」が移動しない限り。)
その上で、お読みください。
おことわり。その2.ーーおわび。
下記の5.の熊山石積遺構・熊山遺跡(岡山県)
の方位方向は、再調べの結果、北15度西でした。
以前に「北7度西」と判断し記載したのは、誤りでした。
(現在の磁北からさらに7~8度西偏でした。)
訂正し、お詫び申し上げます。 <(_ _)>。
-----------ー-----------ーーー
1、日本の古代(西暦600年ころ)の『北』は、
今より7度西偏していた?と聞いた。 --方位方向--
(飛鳥時代:聖徳太子の頃?: 1400年前ごろ )
ホンマかいなぁ~~!! 調べなくっちゃぁ~。
(姫路のカッパは旅をする!)
◎磁石の北を『磁北』と言います。
現在は『真北』から約7度西を示し、その差を偏角といいます。
--偏角は、時代とともに変わるようです--
★以下に記載の十数件の現在の建物の方向性は、
『北』が 「北7度西」です。
まずは、姫路から行きやすい、兵庫県の揖保郡太子町
(姫路市の西のとなり町)。
★太子山公園--山の上に、聖徳太子さまが
東の方を向いて立っていらっしゃいます。
★太子町の属する揖保郡の条里の基本方向は、
「北3度西」にもかかわらず、
1、太子山から斑鳩寺への道。
(現在の磁石の「北」とも言える;北7度西)
2、斑鳩寺(揖保郡太子町)
堂塔伽藍すべて。(磁北とも言える;北7度西)
3、稗田神社(揖保郡太子町)も、
4、中臣印達神社(たつの市揖保町中臣・粒丘)も。
以前にビックリ!
5、熊山***---誤記。(削除: 2013,6,16)。
6、石上神宮(いそのかみ)(奈良県天理市布留)も。
本日ビックリ!!
7、広峯神社(姫路)--南7度東向きであること
は知っていたが、同じコトだったとは!!
◎増位山随願寺(姫路)も。
◎麻生八幡宮(姫路)も。
◎松原八幡宮(姫路市白浜)も--灘の祭。
最もビックリ!!!
8、「法隆寺」。(奈良・生駒郡・斑鳩町)
古代ギリシャ/ギリシアの影響・エンタシスの柱。
ちょっとびっくり!
9、龍田神社 (奈良・斑鳩町)
10、島庄春日神社?あすか夢耕社(奈良・明日香村岡寺北)
他にもあると思います・・・
またまた、ビックリ!!!
11、広隆寺(京都市右京区太秦)---京都にあって北7度西。
★、蚕の社は、ナント!「北7度東」。 (広隆寺と対!?・三柱鳥居で有名・元糺の池・景教?)
★?☆ ヒョットすると(★ポラリス)と(☆コカブ)??
( ? 京都、下鴨神社も、「北7度東」。---糺の森。)←平成27,9,3追記。
またまた、またビックリ!!!
12、百済王神社・百済寺跡(大阪府枚方市中宮?)←平成27,5,17追記。
(方向は、北6度西?かも)
13、聖徳太子御廟(叡福寺 内)大阪府太子町《航空写真》←27,11,23追記。
◎いずれもが、いま流行の、パワースポット。
◎上記の、現在の建物の方向は、すべて『北7度西』
(いま現在の磁北とピッタリ?)です、ハイ!
(ただし、偶然のモノも含まれているでしょう。)
やったー!! !(^へ^)! ←そうコトは、簡単ではない!
◎ 聖徳太子さまは、お暇な時に当時貴重な方位磁石でお遊びになられた??←聞かない。
~~~(゜ㇸ゜)。 今なら、100円ショップでも売ってるヨ!
# それに、現在の建物は、いずれも、創建当時のモノではない。!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2、磁北は、どっちだ?
まず、現在の磁北の偏角(真北との差)は、約西偏7度ですが・・・・、
①磁北は、そんなに正確には計れない。
②磁北は、時代(時間)によって変動する。(1800年には真北、それ以前は東偏。とも)
③磁北は、場所によっても変化する。
#もし、古来、「偏角に変化がなければ」、磁北に合わせた。と、するべきでしょうね。
#聖徳太子さまの時代に「偏角」が西偏7~8度である確率は、10%前後??(私の想像)
(今道周一の文献・参照;下記。)
方位磁針・磁気偏角など、ご検索を!
・
・
上記の十数箇所のモノは、同時期ではないだろうし、場所も異なる。
にもかかわらず、ピタリと同一方向であるのは、なぜか。
⇒ やはり、天測 でしょう。(太陽か?星か?)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
3、『真北』は、どっちだ?
それが分かれば、苦労はしない!!---( 日本の古代の「真北」に北極星はなかった。)
古くには、BC2800年?のピラミッドが正方位を示しているそうです。(当時、真北にトゥバンが・・・)
『地球の歳差運動』というのがあって、宇宙に対し地軸の向きが変わった。
!注意!天体との位置関係は変化したが、地上から見た『真北』(=天の北極)は変わらない。 ・ 変化するのは、星の位置。 (←↑ これが、答。 )
7世紀には「天の北極」の星は、現在とは、これまたたまたま約7度ズレていたようです。
◎北極星(ポラリス)は「天の北極」を中心として半径約7度でグルグル周回していた。
(西へ東へ上下も7度)
◎このころ、天の北極(天枢?)を中心として、大ヒシャクと小ヒシャクとが、(日々、日周運動で)
太極のマークのように、廻っていた。(韓国の国旗のように)
「天の北極」の場所を究めるのは、目当てもなく、困難。⇒⇒『邪馬台国時代の北天の星空』ご検索を!
しかし、
BC222年の秦の始皇帝陵の向きは、ほぼ正方位(東偏2度)。
古代中国の都城は、正方位。(占星台で決めたのでしょうね)
ところが、日本では、遣隋使(聖徳太子)の時代は、北7度西。
おそらく、当時、最も西に来た時の北極星を『北』とした。?? なんでや~?? *ここがポイント!?
◎(堂塔は、約7度、ななめに見るのが美しい。和の美学。和をもって尊しとなす。)?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
そのご、
(天智天皇)の時代以後、飛鳥板蓋宮、藤原京。そして、平城京、平安京は、ほぼ正方位。難波宮も。
とはいえ、平城京も平安京もほぼ正方位だが、精密に約23分西偏すると云う。
(「平安京プロジェクト」参照)
ここにこそ、何らかの、謎の解明の糸口がありそうですネ。 (^へ^)??
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
4、『天枢』、『天枢星』について。
天枢とは、--①経穴のひとつ。臍の左右の二点。
②「天の北極」のこと?? 否!、【天の北極】は太一です。
③「北斗七星の一番明るい星;おおぐま座のα星(ドゥーベ)。--なんでヤ~??
天枢が二つあるのも???・・・?
======================
★ そして現在、わたしたちは、
古代の人(古代ギリシャ・ヒッパルコス)も知っていた歳差運動、そして、
古代の人が知る由もない?歳差円について知ることが出来る。
そしていま、歳差円をジ~と見てみた。
はは~ん。謎が解けつつある、ような気もする。
~~~~~昔ばなし・伝説が大すきな~~ 姫路・土井治道(市川のカッパ) 記。
★「歳差運動」は、専門用語なのでしょうが、
「地球の歳差運動」は古代史・中世史などを考える上で、重要だと思います。
百科事典・(ネット)をご覧ください。
★考古学的にはいかがでしょうか?
参考資料
・ キャンプと星と・・・卑弥呼は南十字星を見たか?(ネット)
・「日本における偏角の永年変化」
--気象庁・地磁気観測所要報・今道周一(1956)(ネット)
・「平安京プロジェクト・ダイジェスト」(臼井正・宮原健吾・etc)(ネット)
・「京の都と織女星」(ネット)
・「羅盤と偏角」(ネット)
・「古代の都は どうつくられたか」吉田歓(吉川弘文館・歴史文化ライブラリー313)
・ 星座早見
・ 歳差の円---小学館の学習百科図鑑27、星座(1980年版)p62。
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★Wikipedia の「 北極星 」の説明が、近年、変わりました。
wikipedia の「 ポラリス 」も。 是非、ごらんください。
弊ブログにコメントいただきありがとうございました。
地球の歳差運動により、北極星を含む北斗七星も、千年単位では移動するので、真北(地球の北極点のある方向)は、北極星の方向である、とは簡単には言えない、というご指摘、ありがとうございました。
私の記事の趣旨は、磁北と真北とはずれがある、という点でしたので、歳差運動までは考慮していませんでした。
古代から中世において、「北」をどうやって求めたのかは、大変に重要な問題だと思います。現在においては歴史的な問題ですが、当時にあっては技術的に切実な重要問題であったと考えています。
カッパ様の記事の続きを期待しております。
磁北も、真北も、精密にこれを求めるとなると大変難しいと思われます。
門外漢の私なのですが、いろいろ派生する事柄もあり、たのしい思いをさせて頂いております。
また、宜しくお願い致します。
ちょっと気になりましたので、国分寺市の国分寺の向きを見てきました。「北7度西」の方向でした。
御報告まで。
遠いところ、お越しいただき誠にありがとうございます。
東国の国分寺も、『北7度西』というのは、とても興味深いです。
ここ播磨の国分寺は、奈良・東大寺と同様『正方位』です。
ところが、吉備の備中国分寺は、たしか?西偏10度だったと思います。
今後、「国分寺」や、@@廃寺も調べたく思います。
「国分寺の国分寺の向き」のご紹介、ありがとう御座いました。
おどろきました。
常陸の国の国分寺も、北7度西 なのですね。
これは、何かありそうですネ。
あっ、それから、「かわず」ってカエルじゃあないようですね。深イイ!!
「石岡市」のこと、はじめて知りました。
行ってみたい! でも、遠い。また、よろしく。
北極星などの歳差運動のことにも、触れられていました。
帰りには、大阪・梅田の大丸デパ地下の『北極星』のトロ~リとしたオムライスをはじめて、いただき、星づくめの いい一日でした。
?、
??。