播磨灘のメモ帳。

時空を超えて、播磨灘の周辺を徘徊する
姫路の市川のほとりに住む
豆石煌、豆石光と、市川のカッパのメモ帳です。火山豆・

奥東京湾から、戻ってきました姫路。~長い夏休み~

2024年09月08日 | 縄文海進のその後・地理
奥東京湾。なが~い夏休み。やっと、播磨に戻りました。

古代カッパは、長~い休みの間、

おもに、6000年前の埼玉県の、奥東京湾で泳いだり、
和歌山の雑賀崎の鷹ノ巣みたいな入江で潮干狩りしたり、
とても楽しかったです。埼玉の海。

でもね、縄文海進のピークは、約6000年前。
 
6000年は、2000年(弥生時代~現代)の3倍なんですよね。
縄文時代は長い。

今まで私は、縄文海進を考えるとき、陸地は現状のママ。
海の水位の変化だけしか、捉えてなかった、です。

埼玉県では、6000年のあいだに、海が陸になりました。
陸が約6m(13m~1m?)上昇。
( 堆積?・地盤上昇??)(浅間山・富士山の火山灰など?)

地域性の違いもあるでしょうが、

関西の縄文海進を考えるとき、陸の変化も考慮しなくては、、、、

岡山は?
尼崎は?
大阪は??

6000年という時間、、、


         家島の謎の巨石・コウナイの石、探究班。
                   姫路・市川のカッパ 記。




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