姫谷焼窯跡 2020-11-27 06:57:41 | 日記 京都の渡月橋に観光客が殺到しているのをテレビで見た。それに比べて姫谷焼の窯跡は誰一人として人がいない。幽霊でもでそうな雰囲気である。コロナウィルスの出た話はきかないが、猪はでる。一人ではなかなか行けない。まだこの時季は蛇がでる。コロナウィルスも怖いが、蛇も怖い。
姫谷焼謎解き2 2020-11-26 22:46:00 | 日記 姫谷焼は何処始まったのか。誰によって始まったか。窯跡からの陶片を見た直感で言うと、1600年より前の気がする。その当時、備後を支配していた人は毛利元康である。元康は毛利元就の八男である。毛利元康は朝鮮出兵している。朝鮮から陶工を連れて帰った可能性が高い。文禄 慶長の役だろうと思われる。
姫谷焼の研究の大家 2020-11-26 21:15:00 | 日記 姫谷焼の研究を一番した権威者は光藤珠夫である。制作者ではない。現代の広島大学の工学部の数学の先生であった。考古学も詳しく、姫谷焼の研究では本当に調べた人であった。光藤珠夫さんのあとの人の考古学者が幻の姫谷焼だと言って、言葉だけになった。間違えた研究になってしまった。
白磁の粘土 2020-11-26 21:01:00 | 日記 白磁の粘土の科学分析をすると、石英と絹雲母があれば、白磁の粘土は作れる。石英は窯跡付近にはある。もちろん窯跡周辺にもある。問題は絹雲母が何処にあるかである。絹雲母単体ではおそらく姫谷付近にはない。窯跡周辺に絹雲母化している場所が記載されている文献がある。姫谷焼の白磁は窯跡周辺に存在することは間違いない。
姫谷焼の謎解き 2020-11-24 22:18:00 | 日記 姫谷焼の白磁の粘土は何処で採取したか。これがわからないから、謎に包まれた。ここから考古学者が色々推測したが、わからなかった。昔から、焼き物は一番に焼き、二番に土、三番に細工と言われる。考古学者は細工しかわからない。土についてはさっぱりわからない。地元の言い伝えより、自分の学問が正しいと思い上がりがある。これではうまくいかない。謎解きをしてみる。