これは、アニエス・ヴァルダ監督のフランス映画版・私の履歴書だ!!!
そして、なんと手持ちの色紙を全部貼り付けたような・知識や文化や、もろもろがギッシリと詰まっている。
それは、どうだろう、ものすごくアニエスヴァルダ監督個人的な体験でありながら、普遍性を持っていて、おしゃれで、このエスプリが、フランス人の心にガッチリと食い込んだんではないか。
彼女自身の、感性の歴史であると同時に、夫である「シェルブールの雨傘」の監督ジャック・ドウミへの熱いオマージュでもあります。
あふれるばかりの夫に対する愛情に溢れている。
不治の病に冒され(エイズ)、やせ細っていく夫。
夫は、病気について語らず、彼女も問いただしはしない。ただ身近で看病につとめる。
そして夫が死の直前に書き上げた自分の少年時代を「ジャックドウミの少年期」という映画にしてしまう。夫の見守る中で・・・・。
そして夫の死。
白装束のアニエスの後ろ姿の白がスクリーンとなり浜辺・海辺の映像が映る。
セートか??ノアールムチェ島か???
そして、ラジオのスイッチを入れるアニエス。
そこで流れてくるのはJSバッハのカンタータからのコラール「人の望みの喜びよ」
弔った過去と愛する人々に対する限りない愛情こそが、生きる喜びの根底にあることを教えてくれる。
アニエスは言う「感動は映像と混ざり合い、映像は残る。私は死ぬまで覚えている」と。
彼女、まだ81歳。
ベルギー時代、ナチスから逃れ南仏セートへ・・・・。
社会・戦争。
ヌーヴェルヴァーグ(新しい波)・アランレネ、ゴダール。
夫を渡ったアメリカ。
ハリソンフォード、ジムモリソンとの交友。
キューバ革命も出てくるし、ベトナム戦争も出てくる。セートの漁師との交流も。
そして、パリも・・・・・。カトリーヌドヌーヴも、たくさん映像に出てくるし・・・。
映画を見る人たちの、生きてきた経験によって、輝く場面がそれぞれに違い、それぞれに感動する映像が散りばめられている。
何回見ても発見がある映画ではないでしょうか!!!
そして、なんと手持ちの色紙を全部貼り付けたような・知識や文化や、もろもろがギッシリと詰まっている。
それは、どうだろう、ものすごくアニエスヴァルダ監督個人的な体験でありながら、普遍性を持っていて、おしゃれで、このエスプリが、フランス人の心にガッチリと食い込んだんではないか。
彼女自身の、感性の歴史であると同時に、夫である「シェルブールの雨傘」の監督ジャック・ドウミへの熱いオマージュでもあります。
あふれるばかりの夫に対する愛情に溢れている。
不治の病に冒され(エイズ)、やせ細っていく夫。
夫は、病気について語らず、彼女も問いただしはしない。ただ身近で看病につとめる。
そして夫が死の直前に書き上げた自分の少年時代を「ジャックドウミの少年期」という映画にしてしまう。夫の見守る中で・・・・。
そして夫の死。
白装束のアニエスの後ろ姿の白がスクリーンとなり浜辺・海辺の映像が映る。
セートか??ノアールムチェ島か???
そして、ラジオのスイッチを入れるアニエス。
そこで流れてくるのはJSバッハのカンタータからのコラール「人の望みの喜びよ」
弔った過去と愛する人々に対する限りない愛情こそが、生きる喜びの根底にあることを教えてくれる。
アニエスは言う「感動は映像と混ざり合い、映像は残る。私は死ぬまで覚えている」と。
彼女、まだ81歳。
ベルギー時代、ナチスから逃れ南仏セートへ・・・・。
社会・戦争。
ヌーヴェルヴァーグ(新しい波)・アランレネ、ゴダール。
夫を渡ったアメリカ。
ハリソンフォード、ジムモリソンとの交友。
キューバ革命も出てくるし、ベトナム戦争も出てくる。セートの漁師との交流も。
そして、パリも・・・・・。カトリーヌドヌーヴも、たくさん映像に出てくるし・・・。
映画を見る人たちの、生きてきた経験によって、輝く場面がそれぞれに違い、それぞれに感動する映像が散りばめられている。
何回見ても発見がある映画ではないでしょうか!!!