薄晴れ
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『加減』という妙味
手加減、さじ加減・・・という考えというか発想
この日本的妙手が・・・感覚として失われた。
愛の鞭と称して
手加減のない・・・愛の鞭が
虐待になったり、殺人になる。
苛めだって・・・
手加減、さじ加減がないばかりに
悪ふざけのつもりが・・・
自殺に追い込むことになる。
ところが
この・・・手加減、さじ加減・・・の感覚が
分からなくなっている。
ゼロイチ発想、○×思考・・・の教育が
根底をなしている。
日本には、『曖昧さ』の美徳があった。
いわゆる・・・『障子・ふすま』哲学である。
日本の家屋は
部屋と部屋の仕切りは・・・障子かふすまであった。
障子・ふすまの仕切りの
部屋の内外で
話し声が聞こえないわけがない。
ところが
聞こえても聞こえなかった・・・
その所作があった。
そこには・・・
絶妙な『加減』がある。
『察し』の心
これが日本人のユニークな心意気
美徳だった。
そういう美徳が失われて
殺伐とした社会・家庭・学校になった
私は・・・そう思う。
愛している・・・といわなくても
目と目が合うだけで
愛の心が通じあった。
『加減』のセンス、『察しの哲学』・・・の美徳に覚醒せよ!!