母との面会時間に
母への手紙に
楽しかったことを話そう、書こうと思っても
思い出せない、ない
兄がおっとりで手をかけ(多分軽度知的障害)
弟が5歳下の末っ子で病弱で可愛がり
私は、ひとりでできるでしょと用事と愚痴の吐け口だった
自営の仕事が忙しく
家事と仕事で子どもと楽しむ時間がなかったのはわかる
思い出そうとしても「なぜ?」という思い出がよみがえる
激しい夫婦喧嘩、父の一方的な暴力
その後、暗い部屋で泣きながら愚痴を延々、学校に行く前から聞かされてた
話し相手がいないにしても
しんどい
幼い時の写真は笑ってない
父がいない時間には、自分の兄弟に電話して延々父の愚痴を話してた
押入れの奥に「いつでも出て行く用意してる」と1人分の荷物を見せられた
いつもの大喧嘩で母がもう出て行きますと私と兄の前で
弟の手をひき出ていこうとする
父が引きずり戻す
弟だけ連れて行くんだと見てた
仲がいい時もあり
そういう時に旅行に行ってた
弟だけ連れて
私と兄は祖母に預けられたり
家で留守番
お正月も楽しそうに旅行してた
お正月に子ども2人、親の旅行の留守番
私達の手が離れると益々出かけてた
北海道から沖縄まで
ずっと不仲でなかった
なぜ、いつも留守番なの?
なぜ、連れて行ってくれないの?
お金がかかるからでしょうけど
そんなことすら言えなかった
小学校の時は
帰宅すると「ハイ、お願い」と弟の子守り
どこにも遊びに行けない
誘われて、行きたいと言っても
今日は、やめといて
結局、誰とも遊びに行けなかった
中学校になり
高校になり
部活中、迎えにくる
部活中、校内放送で呼び出される
帰ってきて、仕事手伝って
部活に行こうとすると
銀行まわってきて
もう部活に行けない、退部
私と兄だけ使われてた
いろんなことに制限され反対され
仕方ないと従い続けてた
思春期になるとダンマリ反抗期
早くに家を出た
結婚して孫ができて
顔が見たいだろうと遊びに行くと
お金のこと(孫や私達の食事)を数回言われて
孫の顔は見たいけど、ご飯を振る舞うのは負担なんだと
それ以降、食事を済ませて行った
実家でご飯はもらわなかった
私が40歳くらいの時
乳がんの疑いがあるって言われてと重く話した時
あっそう、隣の人がこんなことしてきて、、、、、延々
ずっと話せず、もう限界だと
夫が暴れてしんどいと話した時は
あの人はええ人や、もう隣の人が腹立つのよ、、、、、延々
離婚するかも知れないと母と元夫と話しになり
元夫: 実家に帰れ!
母: 困ります、それは無理です、と拒否される
元夫: お前は行くとこなんかないんだと大笑いされる
嘘でも、元夫から守って欲しかった
この人は私より、自分のこと、自分の都合しかないんだと悲しかった
子どもの時は、家が火事になってないかなと授業中思ってた
燃えてしまったら何か変わると思ってた
子どもの頃も今も、実家に愛着がない
家にいて安らげなかった
暴力に支配されて
ひとりで生きて行けなかった母
母の苦しさもわかるけど
私は嫌だったんだ、ずっと
あなたは甘えてる!
その通りです
けど、心に不満や悔しさが残り続けてる
それでも何とか、面白かったねというネタを探してる
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