わが勤務先にも自動車関連の不況下でじわりじわりと…どうなることやら?
富士山検定
模擬問題(文化・生活編)
第4問 「小倉百人一首」に登場する「田子の浦に~」の歌を詠んだのは誰?
①天智天皇 ②持統天皇 ③柿本人麻呂 ④山部赤人
……………………………………………………………………………………
正解 ④の山部赤人
古典文学
万葉集(富士を詠んだ歌も多数収録)
8世紀後半、大伴家持(オオトモノヤカモチ)による最終的な編集で
完成されたといわれる日本最古の和歌集。全20巻、およそ4500首から
なり、天皇から庶民まで、また4世紀から8世紀までのあらゆる時代と
身分の人々の歌が収められている。
「万葉集」の中には富士山を詠んだ歌がいくつかあるが、とくに有名な
のは山部赤人(ヤマベノアカヒト)の和歌である。
長歌
天地(アメツチ)の 分れし時ゆ 神さびて 高く貴き 駿河なる
富士の高嶺を 天の原 振り放(サ)け見れば 渡る日の 影も隠らひ
照る月の 光も見えず 白雲も い行きはばかり 時じくそ
雪は降りける 語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ 富士の高嶺は
… 天と地が分かれた神代の昔から、神々しくて高く貴い駿河の富士の
高嶺を、大空はるかに振り仰いでみると、空を渡る太陽の光も隠れ、
照る月の光も見えない。白雲もはばまれて行きとどこおり、いつも
雪は降っていることよ。いつまでも語り継ぎ言い継いで行こう。
この富士の高嶺は。
反歌
田子の浦ゆ うち出でて見れば ま白にそ 富士の高嶺に 雪はふりける
「万葉集」巻第三・雑歌より
… 田子の浦を通って広々とした所に出て見ると、まっ白に富士の高嶺に
雪が降り積もっていることだ。
〔以上現代語訳「現代語訳対照 万葉集(上)」桜井満訳注(旺文社文庫)
より抜粋〕
この歌はのちに形を変え「新古今和歌集」や「小倉百人一首」にも
収められることになる。
田子の浦に うち出でてみれば 白砂の 富士の高嶺に 雪は降りつつ
「新古今和歌集」巻第六・冬歌より
また「万葉集」には次のような富士山にまつわる恋の歌も詠まれている。
我妹子(ワギモコ)に 逢ふよしをなみ 駿河なる 富士の高嶺の
燃えつつかあらむ
読み人知らず 「万葉集」巻第十一・「寄物陳思」より
… 好きなあの子に逢うすべがないので、駿河の国の富士の高嶺のように、
心の中で燃えているのだろうか。
天の原 富士の柴 山木(コ)の暗(クレ)の 時ゆつりなば
逢はずかもあらむ
読み人知らず 「万葉集」巻第十四・東歌より
… 空にそびえる富士山の麓の柴山の木下闇(コシタヤミ)、季節が移ったら
あの人とは逢えないだろうか。
富士の嶺(ネ)の いや遠長き 山路をも 妹(イモ)がりとへば
気によはず来(キ)ぬ
読み人知らず 「万葉集」巻第十四・東歌より
… 富士山のひどく遠く長い山道でも、あの子のもとへ通うのだから、
喘ぎもせずやって来たよ。
〔以上現代語訳「富士山の文学」久保田淳(文藝春秋)より抜粋〕
〔富士山検定公式テキスト〕富士山検定協会著から
今夕の富士
富士山検定
模擬問題(文化・生活編)
第4問 「小倉百人一首」に登場する「田子の浦に~」の歌を詠んだのは誰?
①天智天皇 ②持統天皇 ③柿本人麻呂 ④山部赤人
……………………………………………………………………………………
正解 ④の山部赤人
古典文学
万葉集(富士を詠んだ歌も多数収録)
8世紀後半、大伴家持(オオトモノヤカモチ)による最終的な編集で
完成されたといわれる日本最古の和歌集。全20巻、およそ4500首から
なり、天皇から庶民まで、また4世紀から8世紀までのあらゆる時代と
身分の人々の歌が収められている。
「万葉集」の中には富士山を詠んだ歌がいくつかあるが、とくに有名な
のは山部赤人(ヤマベノアカヒト)の和歌である。
長歌
天地(アメツチ)の 分れし時ゆ 神さびて 高く貴き 駿河なる
富士の高嶺を 天の原 振り放(サ)け見れば 渡る日の 影も隠らひ
照る月の 光も見えず 白雲も い行きはばかり 時じくそ
雪は降りける 語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ 富士の高嶺は
… 天と地が分かれた神代の昔から、神々しくて高く貴い駿河の富士の
高嶺を、大空はるかに振り仰いでみると、空を渡る太陽の光も隠れ、
照る月の光も見えない。白雲もはばまれて行きとどこおり、いつも
雪は降っていることよ。いつまでも語り継ぎ言い継いで行こう。
この富士の高嶺は。
反歌
田子の浦ゆ うち出でて見れば ま白にそ 富士の高嶺に 雪はふりける
「万葉集」巻第三・雑歌より
… 田子の浦を通って広々とした所に出て見ると、まっ白に富士の高嶺に
雪が降り積もっていることだ。
〔以上現代語訳「現代語訳対照 万葉集(上)」桜井満訳注(旺文社文庫)
より抜粋〕
この歌はのちに形を変え「新古今和歌集」や「小倉百人一首」にも
収められることになる。
田子の浦に うち出でてみれば 白砂の 富士の高嶺に 雪は降りつつ
「新古今和歌集」巻第六・冬歌より
また「万葉集」には次のような富士山にまつわる恋の歌も詠まれている。
我妹子(ワギモコ)に 逢ふよしをなみ 駿河なる 富士の高嶺の
燃えつつかあらむ
読み人知らず 「万葉集」巻第十一・「寄物陳思」より
… 好きなあの子に逢うすべがないので、駿河の国の富士の高嶺のように、
心の中で燃えているのだろうか。
天の原 富士の柴 山木(コ)の暗(クレ)の 時ゆつりなば
逢はずかもあらむ
読み人知らず 「万葉集」巻第十四・東歌より
… 空にそびえる富士山の麓の柴山の木下闇(コシタヤミ)、季節が移ったら
あの人とは逢えないだろうか。
富士の嶺(ネ)の いや遠長き 山路をも 妹(イモ)がりとへば
気によはず来(キ)ぬ
読み人知らず 「万葉集」巻第十四・東歌より
… 富士山のひどく遠く長い山道でも、あの子のもとへ通うのだから、
喘ぎもせずやって来たよ。
〔以上現代語訳「富士山の文学」久保田淳(文藝春秋)より抜粋〕
〔富士山検定公式テキスト〕富士山検定協会著から
今夕の富士
