(引用文)
猫が居眠りをするということを、つい近ごろ発見した。 その様子が人間の居眠りのさまに実によく似ている。 人間はいくら年を取っても、やはり時々は何かしら発見をする機会はあるものと見える。 これだけは心強いことである。 (大正十年八月、渋柿)
(大正十年八月号掲載文を読んで)
「心、ここにあらざれば、見れども見えず、聞けども聞こえず」と云う。
関心なくて、うわの空であったなら、心に入ってこないと云いますけど、
寅彦は大正十年四十三歳の時、猫が居眠りすることに気づいたと述べる。
大正十年当時の四十三歳といえば、現在に換算して七十歳見当だろうか。
大概の子供が小中学校時代に発見することを老境になって気づいた寅彦。
他の子たちが遊んでいるとき、寅彦は何をして過ごしていたのだろうか。
自然と触れ合うべき子供時代に寅彦は学問一筋に過していたのだろうか。
それなら、寅彦の非常識な文章には深い事情があった事が判るのである。
子供時代を健全な遊びをせずに過すなら、知識しか身につかないだろう。
子供時代に身につけるべき知恵は自然との付き合いの中で見つかります。
だが、年を取って尚かつ発見できる寅彦の思考の柔軟さは見事と云おう。
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