心を詠んでいるだけで『蕉風開眼』と云えるでしょうか?
次下も談林派当時の芭蕉の俳諧です。
*世にふるもさらに宗祇のやどり哉 芭蕉
芭蕉が俳諧に「心」を取り入れているのがハッキリと判るわ。
宗祇が永眠している菩提寺で、生き様・逝き様を思ったのね。
つまり『古池や』の句よりも前に「心」は詠われていたのよ。
宗祇は芭蕉より二百年昔の連歌師の神様みたいな存在なのね。
彼は「長(たけ)高く幽玄かつ有心(うしん)な心を取入れたの」
芭蕉の俳諧に心を感じた気がしたのも、それなら当然でした。
芭蕉の『蕉風開眼』の真実は、それならいったい何でしょう?
『関節切れ字』を以って『蕉風開眼』等と横着は申しません。
(元歌)
世にふるは苦しきものを槙の屋にやすくも過ぐる初時雨かな(二条院讃岐)
鬱々と過してた夜、屋根を通った初時雨に『もぉ~ッ!』って言ったの。
元歌自体に心が詠われているのが感じられますね。
(他にも本歌取りは多い歌らしい…)
世々ふるもさらに時雨のやどり哉 後村上院
世にふるもさらに時雨のやどりかな 宗祇
◎「長(たけ)高く幽玄かつ有心(うしん)な心を取入れ」…「wiki」で見つけたの。
次下も談林派当時の芭蕉の俳諧です。
*世にふるもさらに宗祇のやどり哉 芭蕉
芭蕉が俳諧に「心」を取り入れているのがハッキリと判るわ。
宗祇が永眠している菩提寺で、生き様・逝き様を思ったのね。
つまり『古池や』の句よりも前に「心」は詠われていたのよ。
宗祇は芭蕉より二百年昔の連歌師の神様みたいな存在なのね。
彼は「長(たけ)高く幽玄かつ有心(うしん)な心を取入れたの」
芭蕉の俳諧に心を感じた気がしたのも、それなら当然でした。
芭蕉の『蕉風開眼』の真実は、それならいったい何でしょう?
『関節切れ字』を以って『蕉風開眼』等と横着は申しません。
(元歌)
世にふるは苦しきものを槙の屋にやすくも過ぐる初時雨かな(二条院讃岐)
鬱々と過してた夜、屋根を通った初時雨に『もぉ~ッ!』って言ったの。
元歌自体に心が詠われているのが感じられますね。
(他にも本歌取りは多い歌らしい…)
世々ふるもさらに時雨のやどり哉 後村上院
世にふるもさらに時雨のやどりかな 宗祇
◎「長(たけ)高く幽玄かつ有心(うしん)な心を取入れ」…「wiki」で見つけたの。