daiozen (大王膳)

強くあらねばなりませぬ… 護るためにはどうしても!

推敲の秋

2014年09月22日 | 宮沢賢治-鑑賞
俳句メインのブログ日記をここ数日訪ね観て思うことだが
どなたも句作を続けることの難しさを味わっているようです
なかには句作の悩みなど知らないという人もいるだろうし
スラスラスイスイと言葉を繋ぎ合せるのに長けた才能もあるのだろう
その才能に恵まれる人には泉のように言葉が噴出すと思えて
その優れた才能を眩く感じつつも真似はできないとも考える
才能ある人は教えてあげよう訓練してあげようとなる訳で
だがその手の才がない私は無い袖は振れない結果に至るのだ

泉のように言葉が口を吐いて出るのには訓練が必要とは思う
機関銃のように噴射する言葉のなかに宝が見つかるとも云う
多作を勧める俳句会の師匠の狙いは「多作にこそ宝」をみる
十万中で一の確率なら一生の中に十万句を作ればいい理屈だ
その計算が俳句自動作成マシンを要請したのだから悲惨だが
なにが悲惨か解らないあなたは俳句に見切りをつけるだろう
そんなあなたであればドコが狂っているか考えないだろうし

印刷機が発明されたころ、労働者は慌てふためいて罵ったが
コンピュータが発明されて労働者は慌てふためいて騒いだが
道具は使いこなす物だと知って賢かったあなただった筈だが
道具をどう使いこなすかを知らなければあなただってダメだ
尽きることなく噴出す泉の水は人の喉をやさしく潤すだろう
噴出す泉の水の量に価値をみるか、水の質に価値をみるかだ
噴出すのは人の命だと知ってたら質より量と言ってなかった

宮沢賢治は詩人であって多作に価値を置いたのではあるまい
賢治の作品は命だと知ったらああも賢治を粗忽者扱いしない
賢治の取り巻きに賢治の理解者は現れずファンばかりだった
ファンは命の水に育まれてこそ健康な詩人になれるのだから
何千万のファンの中から詩心を持つ次世代を育てるべきで
詩心を育てる使命を感じる取巻きは、オオ~イ、どこだあい?
このように如何な大人数が寄せ集まっても「人」がいなきゃ。

ともあれ無い物ねだりの根性は卑しいのには違いないらしい
それで人はどのように詩作を重ねるべきかと私なりに考える
いやいや、私などよりあなたが優秀なのは言うまでもない事
そんな私が言えることは賢治のように推敲を重ねるのが良い
「ヒドリ」の心をどう人々に伝えようか推敲に推敲を重ねて
推敲のさなかに前向きに倒れた賢治と理解したい私ではある
推敲を重ねる作業なら私にも出来る・出来る、もっともっと‥

秋‥「とき」と読みたいな。


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