あなたの御家庭に女性はいらっしゃるでしょうか?
あなたの奥様か娘さんか母親か姉妹のことですぉ。
あるいは貴女ご自身か姑と小姑でも同じことです。
そのドナタにも法印の孫娘の血は流れています。
そんなことが賢治の「法印の孫娘」から見えました。
あなたの法印の孫娘は大切に育っていると思います。
今は酒は呑まないかも、博打は嫌いかも知れません。
お酒なら軽く嗜むかも、他愛ない賭け事はするかも…
賢治は、酒に溺れ・博打に狂う法印の血を恐れます。
私も、お酒に溺れたり・博打を覚える積もりはない。
信じ・尊敬してらっしゃる人は賢治に倣うでしょう。
賢治を教養程度に捉える人は、賢治に倣わないかも…
今、日本中に賭け事が蔓延しているのはご存じの筈。
彼らは国を挙げて博打場を作ろうとしたりしている。
国営や公営の博ち場を作ろうとするのは狂っている。
宮澤賢治に共鳴する人・私の姿勢は博打を認めない。
賢治を愛する貴方も貴女も、博打を認める筈がない。
けれど、博打はいけないと叫ぶだけで良いだろうか?
博打がいけない訳を賢治ファンはご存じでしょうか?
二千十年の今年は宮澤賢治が亡くなって七十七年目。
賢治は「法印の孫娘」で私たちに託して詠っている。
『一千九百五十年から 二千年への間では
さういふ遺伝は どこへ口火を見付けられるだらう 』
…と。
この詩、賢治を信じるあなたへ「餞」かも知れない。