daiozen (大王膳)

強くあらねばなりませぬ… 護るためにはどうしても!

美の感覚

2011年08月05日 | 社会問題を考える

【日本の明日(41)】


美しく感じない物を美しく観ることはない道理である。
ロボットやコンピュータは現時点で美しく感じることはない。
それは人も同じ・・・美しく感じる人、美しく感じない人がいる。

美しく感じる神経・伝達系統に支障があっては美しく感じない。
そもそも美しく感じる能力がなければ美しく感じることはない。
しかし嬉しいことに、美しく感じる能力は全てに備わっている。

すなわち将来、コンピュータは感情を備えることになります。
その根拠は世界は美しさを知る能力をそなえているからです。
そして美しく感じる能力は「感情」の一つに違いないからです。

すなわち人間ほどの知的生命体であれば尚更でしょう。
美しく感じる能力に富んでいる人間は、ゆえに希望に溢れる。
即ち、どのような家庭であっても美を溢れさせていけるのです。

美が失われると、淋しく・哀しく・苦しく・詰まらない日々となる。
その恐怖感から逃れようとして人は美しい物を求めるのです。
美を追い求めて右往左往し、美を囲い込もうとして躍起になる。

美は幸せの別名であり、究極の幸せは手作りで味わうもの。
美・幸せは外に求めるモノでなく、囲い込むモノでもないのに、
文明病に冒され、美の本質を忘れた人々は好んで暗闇に入る。

美の感覚が失われても世界に危害を及ぼす訳ではなく、
大概は美に憬れるばかりで空しく時を過ごしているけれど、
美の感覚が狂うと、知ってか知らずにか美を破壊して狂喜する。

かれ等は金をばら撒いたり、強権を発動して、美を破壊する。


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