(引用文)
東京へんでは、七月ごろから、もうそろそろ秋の「実質」が顔を出し始める。 しかし、それがために、かえって、いよいよ秋の「季節」が到来した時の、秋らしい感じは弱められるような気もする。 たまには、前触れなしの秋が来たらおもしろいかもしれない。 (大正十年九月、渋柿)
(大正十年九月号掲載文を読んで)
寅彦が生きた時代は既に新暦が使われていました。
立秋は八月八日前後、すなわち、七月は夏の下旬。
この頃、寅彦は東京で勤務していたと思われます。
尤も、夏場、東大関連の勤務は夏休みでしょうか。
暑い夏場の外出は遊びか必要に迫られてでしょう。
秋の実質を人は何を以って感じるものでしょうか。
衣料は、いくらオシャレな東京人にも暑過ぎます。
そうすると矢張り、季節の果物・野菜でしょうか。
寅彦は野菜や果物の買出しに行った人でしょうか。
買出しに行っておれば、寅彦も常識があったのに。
寅彦は初物が出始める以前に食べられる暮しです。
季節外れの高価な食べ物を普段から口にしていた。
即ち、寅彦には庶民感覚が無いと言えるでしょう。
季節の物が出回りだした頃、新鮮味は感じません。
秋なのに秋らしくないと、駄々を捏ねる寺田寅彦。
そんな横着な暮しの果てに傲慢な言葉が口を出る。
「たまには、庶民の生活を経験してみたい」…と。
尤も、庶民感覚を理解できない憐れな寅彦ゆえに、
なんにも分からず、タワゴトを言ったのだろうな。
だが強ち、馬鹿でないから、これも教育の責任か。
そして、
寅彦を無闇に崇める平成の連中は如何にも阿呆か。
まっ! 反論する文化人がいれば 日本は救われる。
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