>こうした句が談林の影響を全身に浴びながら芭蕉が詠んだ句である。
次下は談林派当時の芭蕉が詠んだもの。
*あさがほに我は食(めし)くふお(を)とこ哉
他者の評価は知らないけど、上五の「に」を切れ字と見る時、
於多福姉の感覚的に、これは「二句一章」の俳句に思えます。
朝顔の花を眺めながら朝食を摂っている生活を詠っています。
この世に生を受けたからは優雅に生きたい…気持ち判ります。
この頃に・芭蕉は既にもう、心を詠っていると思いませんか?
ただ、余裕なく暮らしていた庶民には高嶺の華かも知れない。
そう捉えた時に庶民の目は、この句に独善を見るに違いない。
独善とは、ゆとりある所に独占された「歌」が謳うことかも。
それなら『切れ字』を以ってしても繋ぐことは至難の業です。