daiozen (大王膳)

強くあらねばなりませぬ… 護るためにはどうしても!

芭蕉は中身で選んだ

2014年10月02日 | (転載・記事)  総 合
>十七世紀後半の一時期、流行したのが宗因を盟主とする談林俳諧である。
>宗因自身、
 『古風・当風・中昔、上手は上手、下手は下手、いずれを是と弁ず、すいた事してあそぶにはしかじ。夢幻の戯言也。』(阿蘭陀丸二番船)
>と書いているとおり新奇を好む享楽的な俳風である。

「是非を知らず・常識を弁えず・楽しめたら好い」が談林派として、
それなら、私たちは談林派をどうしたら好いと、仰りたいのかしら?
談林派を批判し・切って捨てて・その後は放っておくのでしょうか。
以下に、談林派の俳諧を三つ。


*ながむとて花にもいたし頸の骨

櫂>「花の色はうつりにけりないたづらに我身世にふるながめせしまに」を踏まえて小町の首をいたわるふりをし、

姉>櫂氏が仰るとおり『振り』だけでなく、心を通わせたいですね。
  心を通わせるには「切る」よりも「繋がる」必要を感じますわ。


*今こんといひしば雁の料理哉

櫂>雁の料理ができるのが遅いのを蕎麦屋の出前だと文句をつけ、

姉>今来むと言ひしばかりに長月の有り明けの月を待ち出でつるかな(古今)
素敵な恋心を詠んだ歌を捻った駄洒落歌は、川柳か狂歌でしょう。
蕉風俳諧は近代・現代に俳句という「詩」に成長させたいものです。


*すりこ木も紅葉しに鳧(けり)蕃椒(たうがらし)

櫂>唐辛子を擂(す)って真っ赤になったすりこ木を紅葉したとはやし立てる。
  意味のわからない外国語を聞いているみたい…奇抜、難解…前衛運動だった

姉>『俳句』は難語をつかうのを出来るだけ避けたほうが好いかも。


>芭蕉は…貞門の季吟…に俳諧を学んだ…季吟は…晩年は幕府歌学を務めた大学者である。
>芭蕉は三十歳ごろに…新興都市の江戸で当時大流行していた談林俳諧に夢中になった。

大学者になる程の季吟の指導に、求道に溢れた若者は当然夢中になります。
中身重視の若者なら誰でも、もっと優れた門派に替わろうとするでしょう。
求学心に燃えた若き日の芭蕉のエピソードに、私は興味を強く惹かれます。


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