1899年(明治32年)1月15日。東京都本郷区龍岡町に生まれる。
19**年 菊坂女子美術学校日本画科中退。(病弱のため)
1917年(大正 6年)18歳 橋本豊次郎(30歳)と結婚する。
1920年(大正 9年)21歳 小倉に「櫓山荘」を新築し・転居。
櫓山荘は小倉の文化サロンとして利用された。
1922年(大正11年)23歳 高浜虚子を迎えて俳句会を開催。
杉田久女も参加。多佳子は接待役を務めた。
1922年(大正11年)23歳 杉田久女の手ほどきで作句。結社・ホトトギスに投句
1924年(大正13年)25歳 杉田久女の門下となる。
1929年(昭和 4年)30歳 杉田久女が「ホトトギス」同人となる。
1935年(昭和10年)36歳 山口誓子に師事。水原秋桜子の「馬酔木」同人になる。
山口誓子と「ホトトギス」を離脱する。
1936年(昭和11年)37歳 杉田久女が「ホトトギス」を除名される。
1937年(昭和12年)38歳 夫・豊次郎死亡。葬式後、ノイローゼで心臓発作が続く。
1944年(昭和19年)45歳 奈良・菅原にしばらく疎開する。娘4人。
1945年(昭和20年)46歳 十月に杉田久女は保養院に強制入院させられる。
1946年(昭和21年)47歳 久女、大宰府で孤独死(1月21日)享年57歳。
1946年(昭和21年)47歳 西東三鬼・平畑静塔らと「奈良俳句会」始(27年迄)
1948年(昭和23年)49歳 山口誓子主宰の「天狼」創刊に三鬼等と参加・同人。
1948年(昭和23年)49歳 「七曜」を創刊する。
1950年(昭和25年)51歳 「七曜」の主宰になる。
1952年(昭和27年)53歳 「心臓発作」の記録あり。
1954年(昭和29年)55歳 夏、多佳子は大宰府を訪れ、杉田久女を偲んでいる。
1956年(昭和31年)57歳 「心臓発作」の記録あり。
1958年(昭和33年)59歳 「心臓発作」の記録あり。
1959年(昭和34年)60歳 高浜虚子が死去。享年85歳。鎌倉の地に50年。
1960年(昭和35年)61歳 2月、胆嚢炎を病み入院。年末に退院したが…。
1963年(昭和38年)64歳 2月、入院、前日に時世(らしい)2句を認める。
1963年(昭和38年)64歳 大阪にて逝去。5月29日(多佳子忌)