daiozen (大王膳)

強くあらねばなりませぬ… 護るためにはどうしても!

万緑やわが額にある鉄格子

2014年09月13日 | 橋本多佳子-鑑賞
昨日触れたこの橋本多佳子の句に私が衝撃を受けたのは
自分を鉄格子に閉じ込める傾向に染まっているからだろう

それは元気溢れる命が自由を謳歌している万緑のシーズン
ところが杉田久女は目の前に鉄格子に閉じ込められている
久女は己の自由が奪われるなど想像しなかったはずなのだ
前向きに取組んで近代女性をめざした揚句の非情な鉄格子
どこの誰に人を鉄格子に閉じこめる権利が与えられたのか
今なら人権問題として救いの手を期待できるかもしれない
今でも人権に疎くて鉄格子の意味を考えないかもしれない
現に久女の鉄格子に疑問の声があがったのを私は知らない
詩は人間勝利・人間宣言の叫び‥これは私の思想です
すなわち、私の句は人権の側にスタンスを置くことになる
人権派の芭蕉は「古池や」と詠んで蛙を庶民の側に置いた
もちろん俳句を楽しみとして少しの問題もないのは当然で
ただ私は人を鉄格子に閉じこめる非情さだけは容認しない

鉄格子の久女をみて多佳子はナニを想ったのだろうか
「わが額」に我が額・吾が額を読ませたいのは当然として
詠まれた俳句は詠み手を放れて読み手と一人歩きしていい
そして「わ」‥琶・娃・環・夬・窪・夥・佗・頒・禍・啝
・釆・剖・倭の「わ」が私の射程に入ってくることになる
琶(澄み清らか)で娃(美しい)お嬢さまの面影は見られるか?
環(鼻環)をつけられたり・夬(えぐり取られ)てはいないか?
窪(きずつき・ゆがんで)・夥(ひどい)目に遭っていないか?
禍(わざわい)を被り、佗(遣る瀬なく)過ごす日々だろうか?
頒(白髪・まだら)になって・啝(したがう)毎日ではないか?
額から釆(爪)まで・剖(判断)を過たず観察できただろうか?
倭(日本)で起きているホンの一例に過ぎないかもしれない。



     心の鉄格子

嗚!大地は今や万緑に蓋われている
多佳子の青春が始まったのも今の季節だった。
いつも鉄格子の中にいて過ごしてきた気がしていたけれど
己が作った鉄格子は己が開けて外に出られると知っている
鉄格子が初めて開いたのは櫓山荘で、久女に助けられた
次は誓子とともに「ホトトギス」の鉄格子を開けて出た
疎開した先の「奈良俳句会」では堅い鉄格子が破れたっけ
多佳子の鉄格子をこうして次々破って自由になれました
そうして久女さんに今・話し掛けているのは分かるかしら
もう勝手に出られないけど、魂はいつだって自由なんだよ
あなたが自由になれたなら私の最後の鉄格子も開くのだよ!


いやいや、多佳子の心は判らないけど多佳子のツモリです。


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