daiozen (大王膳)

強くあらねばなりませぬ… 護るためにはどうしても!

雪の日の浴身一指一趾愛し

2014年09月23日 | 橋本多佳子-鑑賞
あなたが俳句を続けられているのはどうしてだろうか?
そんなことは人それぞれだから一概には言えないだろう
飽きっぽい私なのに俳句が続いているのは、或る意味変
その変な現象が何年も続いているから自分でも驚くのだ
こんなこと今まで考えたことなかったのに今日は考えた

なにも難しいことでなくて、川柳を続けてる人がいた
川柳ぐらい続いている人はいるさって言っちゃいますか?
その人は川柳のお師匠さんに衝撃を受けたらしいんです
事情があってお師匠さんに習うことは出来なくなった‥
ただ、お師匠さんに川柳の芽を出させて貰ったみたいで

それで私も合点がいった、いや、勝手に納得した次第で
同じだって、私の俳句が続いているのも同じなんだって
衝撃を受けて、ただ衝撃を受けたことに気づかなかった
いや、今日気づいた訳で、染まりたいと想い続けてきて
同じ俳句を詠めたら好いなと想いつづけて今日に至った

いろんな俳句のスタイルはあっても納得の俳句は少ない
芭蕉もいい、杉田久女も好い、みんな素晴しいとは思う
だが染まりたいと想わない、私には私のスタイルがある
大概はそうじゃないのかな、いつか抜いてやる‥とかね
もっと上手く作ってみせるとか大概の人は考えるんだな

たしかに私の場合も不満があればそれを抜いて先を急ぐ
不満がないゆえに同化したいと考える‥私の場合だけど
私の中にない優れた感覚には同化することを望まないが
私は親に似ない鬼っ子だから、俳句も似ない定めなのか
鬼っ子でも親は好きだし、好きな俳句はあるのだろうな。

 雪の日の浴身一指一趾愛し

橋本多佳子の最後の推敲中の作品二つの中のこれは一つ
未完で未発表の作品、雨ニモマケズと同様、世間に出た
推敲中にも係わらず私が大好きな俳句の一つに違いない
この句を観ているだけで私の過去の色んな想いが露れる
一つ一つのパーツに分解して読み解くとき味わいは増す
この句は切れが多いという批判はちっとも気にならない

雪の日の浴‥瑠璃ガラスの窓は外の冷気を遮断している
大雪なのか吹雪いているのか想像を膨らますのは自由だ

身一指一趾‥女性の身体を切り刻む想像は私ならしない
もちろん切り刻みたい趣向の人はいるかも知れないなあ
胴・胸・肩・うなじ・腕・指・脚・踝とつながる姿態だ
いくら想像しても想像し飽きることを知らない私なんだ

愛し…自分の姿態を愛しく想うのは風呂の外でいいんだ
お風呂では大事に大事に磨いて愛してあげるに違いない

そう想像して丁寧に洗っている姿が浮かんでくる
 <ゆきのひのよく/みいっしいっしあいし>

雪といっても東京の雪・京の雪・里の雪、それぞれ違う
人々は自分の田舎や今住んでる地の雪を想像するだろう
おざなりに湯に浸かってあがる私もあなたもいるだろう
家元の跡取り多佳子は貴重品を扱うように丁寧に洗った

くり返すが、男の目線は女体をパーツと見做さないんだ
ゆっくりゆっくり、これはお金持ちの旦さんの目線だが
慌てず焦らず一つだけの芸術品を観察するように眺める
旦さん目線には、女体は切れるようでも決して切れない
日曜俳壇のようにでなく、じっくりしっかり味わいたい

俳句は一人歩きするから
女体をいかように切り刻むのもあなたの勝手ではあるよ。
そういうことで時どきは橋本多佳子の俳句を鑑賞したい。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。