名称にはいずれにせよ、常にどこか適切でないところがある。なぜなら、霊界の事象を感性界に由来する言葉で表現しなければならないのだから。従ってただ比喩でしか語ることができないのである。
(R・シュタイナー)
それから、彼の精神にとってより有益な聖イグナティウス・デ・ロヨラの『心霊修行』による瞑想と実践に移っていったのであるが、この書物は彼に、瞑想――あるいは祈り――を、前もって選んだひとつのイメージの上に集中させることを、つまり「場所を設定する」ことによって「家の中の気違い女」たる空想がわれわれの省察の中心とは関係のないテーマの方に逃げてしまうのを防ぐことを教えてくれた。
(カルペンティエール)
記憶術における架空場所使用反対
(R・フラッド)
わたしは通常、自分の記憶を特別に刺激してくれるような華麗きわまりない乙女たちを場所に配している。
(P・D・ラヴェンナ)
ここで神秘的体験というのは、絶対者との――それが人格的であるか、非人格的であるかを問わず――対面・交流し合一の直接的で全人格的な経験である。それは突然来るものではなく、長い準備のすえに来るものであり、『霊操』(イグナティウス・デ・ロヨラ)はその過程の制度化である。
(加藤周一)
熱中と恍惚における時間性の超出
(梅原猛)
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