ひじり庵

バイクと神社仏閣、遍路は同行二人と一台♪

2000年 SSER グループN

2004年09月29日 | バイク
97年と98年のグループNでリタイヤ続きの結果を残した私。。。
3度目の正直、今年こそ絶対完走。
(オブザーバーもお願いしてます。)

絶対完走したい、そしてSSERシリーズ戦にも出るんだ!と決意し、
今まで走ったことのない、難所系(岩や石がゴロゴロしてる林道や、林間コース、
シングルトラックの獣道など、グループNのSSにはそんなとこありませんが)
にも挑戦するようになったり、コースにもたまに走りに行ったり、
あとできる限り週末は林道ツーリングに行くようにしました。
練習してる割には相変わらず遅いですが、、、
淡々と走り続ける、というのは身に付いたようです。

前半のSSが本当にフラットな林道だったおかげもありますが、
中間チェックポイントへは、ある程度余裕を持ってたどり着くことが
できたように思います。
確か、おにぎりを食べてる余裕があったような。。。

後半も気を抜かず、タイムオーバーにならないように、
でも、焦って転倒しないように「ゆっくり急げ」と自分に言い聞かせる。
後半のSSもフラットな林道ばかりだったと記憶してます。
最後の1本のSSが終わった時「完走できたんだ」と、
ゴール地点までのリエゾン(移動区間)は涙が出そうになって、
(いや泣いていたかも)一人、感無量になっていました。
完走といっても、ギリギリラインでしたが、
それでも2回、自分の力不足でリタイヤしてる為、
完走できたこと自体が満足な結果です。
完走できたら次のステップへ行くため、また頑張ろうと思っていましたから。

表彰式ではレディスの完走者全員が前に出て、一言づつ感想を述べるのですが
「やっと完走できて嬉しいです」と私は言ったように思います。
ほんとに「やっと、やっと」の完走で・・・(^^;)

2001年には、とうとうSSERシリーズ戦にチャレンジ。。。
完走できて、調子に乗ってきた(^^;)もとい、オフロードがとても
楽しくなってきたのです。


98年 SSERグループN

2004年09月29日 | バイク
97年に怪我でリタイヤした、SSERグループN。
完走すべく、98年に再び挑戦。


で、98年はというと、、、
SS(競技区間)が8本あるのですが、確か4か5本目のSSでタイムオーバー
になってしまったんです・・・情けない~みっともない~。
どれだけ遅いねんって、話でしょ、まったく(TT)
リタイヤ続きで落ち込みました、でも諦めず絶対に完走する為、
1年修行期間をおいて、2000年にエントリーすることにしました。

97年 SSERグループN

2004年09月29日 | バイク
私が初めての出たレースです。
知人が95年にグループNに出て、大変面白かったと熱~く語ってくれたことが
きっかけでした。
(夜の林道、怖いそう~でも、面白そう、私もいつかは出たい)
その頃、セローWに乗ってましたが、
林道をまともに走れず、96年のエントリーは諦めました。
97年にはDR250に乗り換えて、挑むことにしました。
(乗り換えても、遅いのは変わらなかった(--)


SSERとは「四国スーパーエンデューロラリー」の略です。
夜の林道を走るレースでして、スタート後は各所にある矢印を
たよりに進んでいきます。
グループNというイベントは、初心者向けで「SS」が8本。
場所は愛媛県の久万町(現在:久万高原町)周辺の林道がコースです。
「SS」(競技区間でタイムアタックの区間
(林道が主、時にMXコース有り)
がありまして、各SS到着順に1台ずつ数秒置きにスタートしてタイムを計り、
走行時間の少ないほうが勿論、成績優秀ということです。
(ちなみに「リエゾン」とはSSからSSまでの移動区間のことです。)
レースのスタート時刻は夕方5時ごろだったと思います、ゼッケン順に
2台ずつ、数秒間隔でのスタートです。
オフィシャルの方が「5、4、3、、、」と指折り数えます「2、1」「スタート!」
と言われた瞬間、レーススタートです。


グループNでは「オブザーバー」というサポートライダーを
付いてもらい走ることが可能です。代行運転さえしなければ、
押すなり引くなり、エントラントを手助けすることを
許されており、賞点外なのでスタートもゼッケンに関係なく、
いつでもスタートができます。
初参加の私のオブザーバーは、ツーリング先で知り合いになった、
奈良のベテランライダーさんです、ラリーレイドモンゴルなど
レース経験豊富なライダーさんでして、練習でも何かと
お世話になりました。
オブザーバーの方とその仲間の方々と参加しました。

しかしながら、私ってば、リタイヤしたのです・・・
怪我してしまいました、練習で痛めた肩の靭帯を転倒により、
また痛めてしまい、情けない事にリタイヤだったのです。
悔しかったですよ、オブザーバーの方にも申し訳ないなという思いもあるし。
来年こそは~と、来年の参加も決意したのです。

(マシンに無理があったかと思います、まだセローも
扱えてないのに、、、98年のグループNはまたセローWに乗りエントリーすることに。
その頃から夜の林道走行、ナイトランが大好きになってました)

ロシアンラリー2004 その3

2004年09月28日 | バイク
ロシアンラリー3日目、天気は雨。
それも朝から土砂降りでした。(ゴアテックスのウェアの出番)
ブリーフィングにて、3日目の行程は大雨のため、
大幅に短縮するとの説明。
この日の昼過ぎのフェリーで帰国するため、
時間的にも厳しかったようです。

短縮されたので、山中の林道走行はありませんでしたが、
田園風景の中、農道をひたすら走り、丘の上を走ります。
しかし、この農道が曲者でして、雨のおかげでマディマディ・・・
マディ~は続くよどこまでも。。。
(4輪の轍が縦横無尽にあるので、走行が難しかったのです)
転倒したら、はにわになります。(なりました(^^;)
芝生のような草の生えた部分に乗って走れたら、
スムーズな走行が出来るのですが、時折その芝生地帯にも、
罠があります(^^;)(穴というか窪みがあるんです)
泥と格闘しながら、丘を越えると海が見えます、
そして海沿いをしばらく走ると、次にまた小さな山?丘陵地帯?の
ような所を越えていきます、そこもずっとマディなのです。
この半日行程は、マディオンリーと言っても過言ではありません(笑)
そして、その山を超えたところにゴールの旗が・・・
雨の降りしきる中、泥泥になりながら、こけては起こしを繰り返し、
やっとのゴール、、、。
「やったー、走りきったゾ!」
相方氏と他のエントラントの方々、スタッフの方々に多謝!

短縮の行程でしたが、私には充分堪能できました。
今まで走ってきた経験すべてがロシアンラリーで、
活かす事が出来ましたが、学ぶことも多いにありました、
日本では味わえない川渡りとマディの連続は貴重な経験。
レース活動を本格的にしてないので、これらの経験が
日本で活かすチャンスがあるかどうかは分かりませんが。

2年前に私は林道で右足脛骨を骨折し、しばらくバイクに
乗れずバイクに対し消極的になり、骨折が治った後も、
ツーリングに行く回数は減りました、そんな時に
ロシアンラリーに参加して、バイクに対する思いが、
マイナス思考からプラス思考に切り替わっていき、
「また、走りたいな」って、初めて土の上を走った時の
ような感覚が甦ってきました。

ロシアンラリー2004 その2

2004年09月28日 | バイク
ロシアンラリー2日目、天気は曇り。

2日目のゴールは、ザルビノ港でフェリーも変わるため、朝から荷物を船から出します。
その後、スタート地点(1日めのゴール地点)へ、またまた警察の先導で向かいます。

2日目の行程はロングコースで、難所も多く含まれる様子、
朝のブリーフィングにて、いろいろ説明を受けます、どきどきです。

スタート直後は、日本にはありえない高速道路のような
フラットダート、町の主要道路なんでしょうね、延々とよく整備された、
フラットダートが続きます。ひたすら続きます、もういいですって位に(^^;)
山に入ると、マディ(泥の道)が続きます、
雪が溶けたんでしょうね、ぬかるんだ路面に、
エントラントの皆は、苦戦します、私も人一倍、、、、苦戦。
相方氏も苦戦していて、他のエントラントの方がバイクを引っ張るのを
手伝ってくれてました、私も前に進めなくなっていてどうしょうかと、
思っていたら、XR250のエントラントの方が、代行運転して下さいました。
ベテランライダーは、マディでもちょっとした動作で、
ひょいっと、抜け出します。(ありがとうございます)
そんな中、4輪の方はもっと苦戦を強いられたようです。。。

山の中で、随分と時間がかかり、その後コマ地図(ルートマップ
矢印で進行方向を示し、その距離が書かれてます)
のミスプリントで集団迷子発生、スタッフの方からオンコースを教えてもらい、
オンコースへ。
その頃から、雨が降り出しました。
パスチェック2にて天候不順で、
警察からここからゴールへ帰るようにとの指示があり、
2日目の行程は、終了・・・
(半分くらいしか消化してなかったと思います、雨で難所が更に難所に
なり、危険も出てくると考えられたのでしょう)

この警察の方々の先導でザルビノへ向かうはずが、速すぎてついていけず、
またもや集団迷子・・・
途中、ロシア人エントラント(正規のエントラント)の方と、
雑誌のカメラマン(日本人)の女性を乗せたオフシャルカーに出会うことが出来て、
ザルビノへ帰れましたが、その道中の寒いこと寒いこと。。。
途中、道路脇にあった喫茶店?みたいな所で、コーヒーを頂きました。
(オフシャルカーのドライバーの方がご馳走してくれたようです、少し薄着だった私に
カメラマンの女性がジャケットを貸してくださいました、ありがとうございます)

ザルビノ港についた頃はもう真っ暗、途中キャンセルになったのに、
全コースを走ったかのように疲れた2日目でした。