タコカレ海を渡る

2010年6月より青年海外協力隊として活動中。10ヶ月のブルキナファソ生活、5カ月の日本待避生活を経て今度はマラウイへ!

支援

2010-04-05 20:36:09 | JOCV
富良野在住の作家、倉本聰氏が主宰していた「富良野塾」が閉塾しました。

倉本氏に関して詳しいわけではないのですが、一つ影響を受けた本がありましてね。


「ニングル」というタイトルのその本。

たしか中学校の図書室で読んだ本だと思うんですが・・・
 
物語全体のことはすっかり忘れてたのですが、本に登場する

「知らない権利」と「放っとく義務」という言葉がずっと頭にひっかかっていたんです。


いつかまた読みたいなぁ・・と思っていたら!

昨年末頃に札幌駅北口のエルプラザ1階にある資料室で発見。


先日、ようやく読んでくることができました。

ざーっと流し読みだったのですが、

「知らない権利」「放っとく義務」

あらためて目からウロコが落ちました。



タイトルのニングルというのは小人のような生き物。

富良野の森に、ひっそりと、人間から隠れるようにすんでいる、らしい。

ニングルの時間は森の時計が時を刻むようにゆっくりしていて、暮らしぶりもゆったりゆったり・・。



「知らない権利」 これはニングルが主張する権利。

たとえば、山田さんが田中さんの悪口を言っていたのを聞いたとして、

田中さんに「山田さんがね・・・」と告げ口したとすると、

田中さんは不愉快になるし、山田さんとの関係もギクシャクしてしまう。

この場合、田中さんは山田さんが自分の悪口を言っていたと知らないほうが心穏やかに暮らすことができる。

田中さんの「知らない権利」というわけ。




「知らない権利」っていろんなところに当てはまると思うんです。

途上国への支援もしかりかな・・・と。



そんな中、同じくエルプラザ資料室にて、これまた目からウロコ&超共感の本を発見。

タイトル「慈悲魔」っていうんですけどね。

一言でいえば「余計なおせっかい」ということになるんですが、

親切心のつもり(慈悲)の支援が、結局支援される側をダメにしてしまう・・・。



弱者救済・途上国の開発支援、

そんな場面で陥りがちな慈悲魔的事例がいろいろと述べられていました。




そもそも、支援というのは何なのか??

たとえば経済的支援。

お金をたくさん持っている側から、少ない側へのお金の移動というイメージです(あくまで私の個人的なイメージですが)。

技術支援もしかり。

国家レベルの話ならば、これで合点がいきそうな話ですが、何やらしっくりこないのは私だけ???



JOCVの活動で途上国に行く。

そこで私が行うのは支援なんだろうか??

向こうのおおらかな考え方や心の豊かさで私が支援を受ける側に回るのかもしれない。

言葉の定義の問題と言ってしまえばそれまでだけど、

支援というよりは「共有」「共生」。

その中で”三人寄れば文殊の知恵”的に問題解決していく、そんな活動をしていきたいなと思うわけでして。

いつも一緒に生活している三人が寄るんじゃなくて、

ちょっと考え方の違う三人が寄ってみたら・・・。

いろんなアイディアや選択肢が出てきそうですもんね。

現時点での私の目指す協力隊活動は、この三人寄れば文殊の知恵方式(命名、適当ですが)。



この考え方がOKなんだか、もっと別の目指すべき活動方法が見えてくるのか、

明後日から始まる事前訓練の中でも考えてみたいと思っています。










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