先日紹介の双眼鏡はドイツ赴任中に手に入れたイエナと呼ばれる町を拠点にしていた老舗光学メーカーのカールツァイス社が製造したプリズム式双眼鏡。ターレット回転式の接眼構造により5倍と10倍に変倍が可能な当時としては画期的な双眼鏡。このタイプは1896年から1906年の間に作られ、こちらは製造番号322と初期に作られた今から115年以上前の製品。1903年からは対物径は25mmから24mmに変更されている。当時はほぼ軍用で民生用は1907頃から流通し始めているがこのモデルにはない。
実はこの双眼鏡はその後の日本の歴史に大きく関わっている。当時の日本海軍の東郷平八郎連合艦隊司令長官が明治38年5月(1905)の日本海海戦でロシア帝国のバルチック艦隊との交戦で使用し戦果を左右したとも伝えられる世界的にもTOGO GLASと知られることになる双眼鏡。2倍が標準となっていた当時の日本海軍では5倍と10倍の高倍率でいち早く索敵できたことが勝敗の鍵を握ることになったそうです。日本海海戦の結果がその後の戦役にどのように関わってくるかは、坂の上の雲など歴史小説でも多くが語られているので省略。現在同型は横須賀の戦艦三笠記念館に展示されている。
そのTOGO GLASは当時は240マルク、日本では年収の1.5倍となる350円とも400円ともされた明治36年に日本橋の小西六(コニカ)がドイツから3台購入した1台。日本では遅れて明治44年に現ニコンの前身となる藤井レンズ製造所が初めて国産市販用のプリズム式8倍20型双眼鏡VICTOR(勝利)の製造を始めている。ちなみにドイツではGlasといえば硝子だけではなく当時の言葉でFeldstecher(双眼鏡)の代名詞。
光学ガラス以外はほぼ金属でできているため約1.2kgと重量感のある双眼鏡で、プラスチックのない当時のベークライト製の見口は欠けた部分に補修された痕跡や本体に十字の刻印があり、Zeissの研究家で書籍を多数執筆する知人のHansさんに問い合わせると、クロスの刻印は当時のスイス海軍で採用されていたのもでした。ラストは横須賀の三笠の広場の司令官長像の胸元を飾る同型双眼鏡。これ以外にも整理できずに一般には目にすることのない日欧米のコレクションが百点以上。機会があれば整理を兼ねて一度紹介したいと思いながらも十数年経過してしまいました。