久しぶりのビンテージな双眼鏡。 画像の双眼鏡は英国で入手した現ニコンの前身となる藤井レンズ製造所が1914年に製造開始した7x20双眼鏡。 画像からも分かる通り見苦しいかなりの摩耗と激しい劣化にはご容赦。 それでも現代ではほぼ目にすることも稀な100年以上前の歴史を語る銘品。 当時多くが輸出されたとするVICTORシリーズには天祐、大和、日本、富士、旭、桜などのモデルがあり、その5型として対物径20mmの6倍と7倍の二機種からなる「富士」の7倍タイプ。 右肩にFUJII BROS. TOKYO、左肩には富士と7xの刻印。 1912年に陸海軍より洋名から和名に変更を求められた経緯からVICTORの名称が本体上から消えた「富士」は、1914年から1917年の合弁前後迄の製造と推察。
【藤井レンズ製造所】
藤井龍藏と藤井光藏兄弟によって光学機器の国産化を目的に1909年設立された日本初の民間双眼鏡製造会社。 独ツァイス社がガリレオ式双眼鏡に代わって1894年に世界で初めて製造した対物・接眼共に凸レンズと正立プリズムを採用して高性能小型化を実現したポロ・プリズム式双眼鏡を、後日英国ROSS社製双眼鏡を参考に1911年にプリズム式双眼鏡国産第一号のVICTORを発表。
その後海軍が当時光学兵器として最も重要とする双眼鏡の本格的な国産化を目的に、1917年内に東京計器製作所、岩城硝子製造所の関連部門と藤井レンズ製造所の三社を統合して日本光学工業(現ニコン)を設立。 資金援助は三菱財閥の岩崎小彌太。 つまりニコンが1917年の創業当時に初めて製造した製品が国策としても重要な双眼鏡で、戦後から本格的に民生用のカメラ事業が始まっている。