雲の上を歩くひと

日常生活や、過去を振り返っての
回想日記(←ボケ防止のために綴ります。)

久々に

2016-09-07 01:17:04 | ワンコとかニャンコとか♪
投稿です。

このブログを続けてご覧下さっている方がいるかは分からないのですが、祖母孝子が胃癌で亡き後、今度は飼い犬のバフがリンパ腫になってしまい再び介護生活をしていました。

2015♪今年も宜しくお願いいたします。

2015-01-05 23:02:18 | 日記
不定期更新にも関わらず、当ブログにお越し下さっている皆様
昨年もありがとうございました。
今年もどうぞ宜しくお願い致します。

泣きながら目が覚めた朝

2014-09-03 18:29:42 | 日記
皆様の中で「夢の中で泣いて目覚めたら実際に涙が流れていた」、、、という方はいないだろうか?
あまりいないのかなあ。

私、今までに2度あります。
1度目は10代後半だったと思うけど学校関係の夢で泣いて、目覚めて現実でも泣いてた事に気付いて。
その時の夢は、悲しいものではなく切ない気持でいっぱいだったと思う。
切ない気持は、例えるとむずかしくて卒業式を迎えたあの日の感情にどことなく似ていた。
仲が良かった友人やクラスメイトと離れてしまうそんな思春期時代の心の揺れが夢になって現れた。


2度目は、まさに今朝。
うかつにも!?亡き祖母・孝子の夢だった。
これがね、honeと孝子が口喧嘩をする夢で 最後はどちらもあやまらずに無言のまま。
この時のhoneは孝子が亡くなったと思っていなくて現実に存在する人と思い接してた。


だけどある日 タクシーのお迎えが来て孝子(この時の孝子はピンピンしてすごく元気)を乗せて海へと走る。
普通に、お出掛けみたいな感じなんだけど


なんだろうか、その車に乗り込む孝子と少しづつ遠ざかって行く車の後ろ姿を見たら
強烈に「もう会えない!今謝らないと絶対後悔する」と思ってしまい。


「待って!私が悪かった!!ごめんなさい!!ごめんなさい!!行かないで!!!」と叫びながら車まで猛ダッシュ。


もはや、世界の中心で愛を叫ぶではなく 海の中心で孝子を叫ぶ状態だ。
タクシーの運転手と助手席に座っていたお迎えみたいな人が気を利かせてドアを開けてくれたけど
孝子は手にかばんを抱えてキョトンとしたままhoneを見る、孝子から発する言葉を聞く間もなく


朝日の光と、honeとベッドを共にする飼い犬の足蹴りで目が覚めた。
「夢か。。。」と思ったら、なんだか目が熱い。
手を頬に当てた瞬間、熱いものの正体は涙だと分かった。

「私、泣いているやん」
朝起きて、また孝子のいない現実に気付かされた。

久しぶりに

2014-06-23 21:12:39 | ワンコとかニャンコとか♪
こちらのブログに訪れたら、現在アクセス解析お試し期間中だったみたいで色々確認してみた♪
昨日一番閲覧が多かった記事が「犬に大福」

なんですか、、、この結果。

いつぞやの画像

2014-06-23 21:08:19 | 日記
今デスクトップの過去画像を整理しています。

気になったものを今さらアップ
これはいつぞやの姫路動物園で撮ったもの。

すごーく近距離で、動物達を観察できたのを覚えています。


こちらは白クマくん。この時期に見ると涼しげに見えるなあ。


カバくん


寝ているのだか、起きているのだか

夢うつつ

2014-04-10 22:14:48 | 日記
今は亡き祖母・孝子が夢に現れなくなってから約1ヶ月。


今朝、久しぶりに夢の中で会った。それが今までとは違って不思議な感覚。


以前は夢の中に出てくると、普通に接しながらも「あれ!?おばあちゃん亡くなってるよなあ?」と
どことなくぎこちない夢の中のhone(笑)


が、今朝の夢はなんていうか日常生活に溶け込んでいるような雰囲気で
かつて孝子とテーブルを囲んで一緒にご飯を食べていた日を思い出した。
でもしっかりと孝子の死を受けとめているんだよねえ。


その夢の内容がコレ↓
シチュエーションは、孝子が橋の入り口に座っている所にhoneが通りかかり、ばったり出会う。

hone「ばあちゃん!!どう、そっちの世界(あの世)は??」
孝子「ああ。。。。まあまあやな。。。」

※生前、孝子が「まあまあ」という言葉をよく発していたが、この「まあまあ」は反対のことが多い。


うーん、イマイチなのか。まあ、好きだったお買い物も出来ないし あの世にはお店もないだろう。。。と考えるhone

hone「そっちには何がある(何が見える)の?」
孝子「かざぐるまがな、いっぱいあってたくさん回ってるねん。クルクルって」


ほほう、かざぐるまがいっぱい。。。たくさん回ってるのね。
honeの察するイメージでは、多分砂場みたいな一面にかざぐるまが突き刺さっていて、風でクルクル回っている感じ。


「かざぐる、、、」言いかけようとした途端


チチチッ!我が家のベランダにやってくる雀の音で目が覚めた。
しばらくボーッとした後
ようやく孝子のいない、いつもの朝に気が付いた。


手にはかざぐるまが!!←ないない


でも不思議だったなあ。お互いの世界を分かってての会話だったもの。

2014-02-26 21:01:08 | アロマとお花の日々



我が家の梅が満開の季節を迎えております(ちょっと早い!?)



こちらは「しだれ梅」

長かった冬を終え、春はもうすぐ

犬捕り棒

2014-01-19 21:26:08 | ワンコとかニャンコとか♪
ブログをご覧下さっている皆様へ
遅ればせながら、本年もどうぞ宜しくお願い致します



久しぶりにバフちゃん登場。耳に、うまい棒!じゃなく。。。赤い棒が!!
これ実はハエ捕り棒なんです。。。



ハエじゃなくて、犬が捕れたよ
彼女は、これで2回目の捕獲になりました。

御礼とご報告

2013-12-27 22:01:35 | 日記
当ブログにご訪問頂きありがとうございます。
更新が途絶えている間にも関わらず覗いて下さった方、お一人お一人の存在がとても嬉しいです。本当にありがとうございます。また長期に渡ってご心配をおかけした事、申し訳ございませんでした。


以前にこちらのブログでも少し書かせて頂いたのですが その後、8月ぐらいから末期がんであり認知症でもある88歳の祖母を在宅介護で看ている状態でした。


8月は比較的元気で長時間は難しいですが、外出もしていたしあまり手がかからなかったのですが9月から体力が落ちてほとんどベッドに寝たきり状態でした。かと思えば、認知症の関係でしょうか?早朝、外での徘徊がありご近所の方が保護して家まで連れ帰って下さったり。体力はなく、気力だけがありあまって深夜に騒いだり、。。。目が離せない状況でした。


そして10月末、祖母は自宅で天国へと旅立ちました。最期に何かを言い残したりといったドラマのような亡くなり方ではなく、それはとてもとても静かな最期でした。



介護期間中は、同居人家族としては私一人だった事、加えて仕事を抱えていたので辛く感じることもありましたが祖母をサポートして下さる主治医の先生・訪問看護師さん・ケアマネさん・ヘルパーさん・訪問入浴スタッフの方々・福祉用具販売の営業さんのお陰でなんとかやってこれました。数十名に渡る方々が常時、家に来て下さり祖母だけでなく私まで支えて下さりました。この中のお一人が欠けても在宅介護は成立しなかったと思うし、私一人だったらとっくの昔に倒れていたと思います。


現在は四十九日を無事に終え、喪主としての役割も一通り終えることができ(100ヶ日は残っていますが。)少し状況が落ち着いたのでブログに戻ってきました。


書きたい事、たくさんありますが また自分の考えがまとまった時に色々とブログに書かせて下さい。年内はこれが最後の更新になるかと思います。

少し早いですが
今年も当ブログをご覧下さりありがとうございました。
来年もどうぞ宜しくお願いします。







最期をどこで迎えたいか その4

2013-07-06 22:32:18 | ~おもうこと~
「最期をどこで迎えたいか!?」総合病院での担当医が祖母・孝子に尋ねてから2日がたった。


今になって俄然落ち込む本人。。。


今日は、孝子が定期的に通っている町医者に足を運ぶ機会があったと言うか、呼び出された。今後の事を考えてケアマネージャーを付ける必要があること、最期をどこで迎えるか。総合病院の担当医が話した内容とそう変わりがなかった。


最期を迎える場所。どうなんかなあ。。私としたら家で看取りたいけど。。病院で手渡された緩和ケアを目的とした病院の一覧表。選択肢の一つとして考えてみては!?と看護士さんが教えてくれた。



自宅での最期。病院での最期。
他のご家族の方はどうされているのかな!?どう考えているのかな!?と思い情報を集めてみた。


2012年のデーターだが 全国で12%にあたる人が自宅で最期を迎え、残りは全部病院で最期を迎えている。これにはちょっと驚いた、10人に1人の割合でしか自宅で最期を迎えれていない。興味深いのが1950年頃のデーターでは、割合が真逆!自宅で亡くなった割合は80% 病院ではおよそ10%以上。昔は、ほとんどの人が自宅で家族に見守られて亡くなるパターンが多かったようだ。


海外でのデーターも集めてみた。オランダという国では、病院で最期を迎える割合は35% ケア付き住宅(老人ホーム)32% 自宅31%。北欧でもほぼ同じ割合らしい。非常にバランスが良くて、突出して高い数値もない。これは最期を迎える場所を本人や家族が安心して選択できる社会や環境がその国に整っているからだと思う。本当はこれが理想の形だよね。安心して「ここで最期を迎えたい」と決めれる場所が選択できる。


日本では、まだ安心して選択できる。というものがないような気がする。そう選択せざるをえない選択をするという感じで最期を迎える場所が決まってしまうパターンが多い。介護、家族間の人手、在宅においては病状が悪化した場合の医師との連携や、医療設備の導入などまだまだクリアになっていない問題が多い。このへんが少しでも解決されると「自宅で最期を迎えたい」「ケア付き住宅で最期を迎えたい」「病院で最期を迎えたい」最期の残された時間を本人が周りに遠慮せずに選択できる場所が増えていくと思う。