雲の上を歩くひと

日常生活や、過去を振り返っての
回想日記(←ボケ防止のために綴ります。)

3.11

2012-03-12 00:59:30 | ~おもうこと~
東日本大震災から今日で1年が経ちました。


テレビ・新聞などでは今日に合わせて特集が組まれていたり被災地の現場から現在の状況が中継されています。阪神淡路大震災でも同様に半年、1年と節目毎に被災地の状況やあの日起こった震災の被害がクローズアップされました。

わたしがいつも思うのは復興してキレイになった姿ではなく、その後の被災地の様子を1ヶ月単位でもいいから事細かにニュースで流して欲しい。マスコミの報道と、被災者の本当の現状は大きな差があると思う。


東日本大震災から今日に至るまで、ほとんど!と言っていいほどニュースや新聞で見る限り被災地の現状が分からない状態でした。すごく気になったので、半年くらい前から色々調べてみたところ現在の状況は「被災者が開設された個人ブログ」で知ることが出来ました。数件のブログを拝見すると、震災をきっかけにブログを始められた方が多かったです。


個人ブログで情報を発信する人の思いは「現状を日記にして書き留めておくこと」「現状を知って欲しい」この2つの気持が文面を拝見すると大きいと感じました。


ブログを見ると、まだまだガレキが残っている状態。生活やその後のことも手つかずの状態。特に福島の方は、自主避難地域である自宅から今は他府県に住居を移している方が多い状況でした。他府県から、何ヶ月かに一度子供さんの甲状腺の検査を受ける為・または手続き関係・荷物を取りに一時帰宅されているみたいです。


その甲状腺の検査でさえ、どこか他人事のような雰囲気。受付の人達はベラベラおしゃべりしたり、事の重大さを分かっていない。何で!?
自分の家はある状態なのに住めない。放射能汚染の影響を考えたら住んだらいいのかも分からない。いつ帰れるのかも分からない。


ブログから発信される現状は、こちら側に報道されていないことばかりでした。


阪神淡路大震災時、我が家の家屋判定は「全壊」でした。でもかろうじて、リビングなど数カ所は残っていました。震災後、帰ろうとしたら帰れる状態。荷物を取りに戻ろうとしたら、危ないけどもいつでも戻れる状態。さらに建て直したらもう一度家に住める状態なんですね。


自分の家は残っているけど、そこに住めないのはすごく辛いですよ。。。


阪神淡路大震災の後、わたしが住んでいるこの町では約5割近くの世帯が他府県へと移住しました。「実家がある○○県に帰ろうと思ってね」「○○県に引っ越しするわー。今までありがとうね!」震災をきっかけに家族ぐるみで引っ越しの挨拶が続きました。特にお店をされていた方は店をたたまれた方が多かったです。全壊や半壊ではあるけど、戻れる場所があるからお互い最後の挨拶が出来たし、その後の移住先も伝えれる状態でした。


多分、福島の被災者で他府県に移られた方は近所の方ともお知り合いの方ともお互いに挨拶が出来る状態ではなかったのじゃないかな。気付けば皆が散ってしまった状態で安否も不明な方が多いと思います。


わたしの住んでいる町は17年前と今とでは区画整理の影響もあり町並も変わりました。キレイな今風の家がたくさん立ち並んでいます。17年前にお見かけしていたご近所の方と、今のご近所の方の顔ぶれも違います。


でも時々、立ち止まって考えます。震災前、幼少の頃よく遊んでいたあの野原も 秘密基地と名付けていた裏路地の草が多い茂っていた場所も確かにここにあったけど今はないんだなあと。


目に見える復興した姿に至るまで、実は長い年月がかかります。節目節目の年に一部分の復興した姿を報道するのではなく少しの時間でいいから、日々現状を伝えて欲しいと思います。そして出来る限り現在の被災者が抱えている負担を減らしてあげて欲しい。国はそれをするべき責任がある。


これがわたしの一番思い続けていることです。