雲の上を歩くひと

日常生活や、過去を振り返っての
回想日記(←ボケ防止のために綴ります。)

最期をどこで迎えたいか その4

2013-07-06 22:32:18 | ~おもうこと~
「最期をどこで迎えたいか!?」総合病院での担当医が祖母・孝子に尋ねてから2日がたった。


今になって俄然落ち込む本人。。。


今日は、孝子が定期的に通っている町医者に足を運ぶ機会があったと言うか、呼び出された。今後の事を考えてケアマネージャーを付ける必要があること、最期をどこで迎えるか。総合病院の担当医が話した内容とそう変わりがなかった。


最期を迎える場所。どうなんかなあ。。私としたら家で看取りたいけど。。病院で手渡された緩和ケアを目的とした病院の一覧表。選択肢の一つとして考えてみては!?と看護士さんが教えてくれた。



自宅での最期。病院での最期。
他のご家族の方はどうされているのかな!?どう考えているのかな!?と思い情報を集めてみた。


2012年のデーターだが 全国で12%にあたる人が自宅で最期を迎え、残りは全部病院で最期を迎えている。これにはちょっと驚いた、10人に1人の割合でしか自宅で最期を迎えれていない。興味深いのが1950年頃のデーターでは、割合が真逆!自宅で亡くなった割合は80% 病院ではおよそ10%以上。昔は、ほとんどの人が自宅で家族に見守られて亡くなるパターンが多かったようだ。


海外でのデーターも集めてみた。オランダという国では、病院で最期を迎える割合は35% ケア付き住宅(老人ホーム)32% 自宅31%。北欧でもほぼ同じ割合らしい。非常にバランスが良くて、突出して高い数値もない。これは最期を迎える場所を本人や家族が安心して選択できる社会や環境がその国に整っているからだと思う。本当はこれが理想の形だよね。安心して「ここで最期を迎えたい」と決めれる場所が選択できる。


日本では、まだ安心して選択できる。というものがないような気がする。そう選択せざるをえない選択をするという感じで最期を迎える場所が決まってしまうパターンが多い。介護、家族間の人手、在宅においては病状が悪化した場合の医師との連携や、医療設備の導入などまだまだクリアになっていない問題が多い。このへんが少しでも解決されると「自宅で最期を迎えたい」「ケア付き住宅で最期を迎えたい」「病院で最期を迎えたい」最期の残された時間を本人が周りに遠慮せずに選択できる場所が増えていくと思う。










最期をどこで迎えたいか その3

2013-07-05 00:00:46 | ~おもうこと~
「え~なんですか?それ?私90歳まで生きよう思うてますもん」現在87歳の孝子。先生との会話をいつものように笑いながら答える。きっといつものように、先生も笑いながら受けながしてくれるのを期待しているかのように。


「そうじゃなくて!!○○さん、ほんまに最期はどこで迎えたいかきちんと考えておいた方がいい。」


毎回の受診では、孝子と微妙にズレた漫談を繰り広げる朗らかな雰囲気漂う先生だけど、この時ばかりは真剣だった。笑った時の、半月の目が今日はしっかりと目を見開いたまま孝子をじっと捕らえていた。



同時に家族側もきちんと現状に向き合わなくてはいけないと気付かされた。



「遠い未来じゃなくて、近い未来だから。自宅で最期を迎えたいか、病院か ちゃんと今から考えて欲しい。」先生は、上っ面じゃなく孝子のことを真剣に考えそう告げてくれたと思う。


不思議なんですよね。病院から帰宅後今日もいつもと変わらなく孝子と一緒に食卓で夕飯を食べていて。これが近い未来には違った景色が見えていて、永遠には続かないかと思うと。孝子は孝子で「もう!先生あんなこと言うから私はショックやわ!!」と言いながら、よく食べるしテレビを見ては突っ込みを入れながら大笑いしているし。



でも、きちんと考えなくてはいけない。本人の希望や、人生でまた会いたい人、今まで行きたかったけど行けずにいた場所(小旅行になるかな?)を聞いて叶えてあげたい。
家族って、最期を迎えるにあたって本当の意味でお互いに向き合えるような気がするのは私だけであろうか。



最期をどこで迎えたいか その2

2013-07-04 23:08:44 | ~おもうこと~
だけど本人は現在に至るまで、いつもと変わりなくとても元気で。よくしゃべるし、食べるし、笑うし。


見ているこちら側も「ほんとうに再発してるんかな?」と疑ってしまうくらい。多分、孝子の友人・孝子を担当してくれている医者や看護士さんも皆同じように感じていると思います。


元気さの裏で、現実を知るのは三ヶ月毎の血液検診で判明するCEAと呼ばれる腫瘍マーカーの数値。
※CEAは大腸がん、胃がん、膵臓がん患者の血液中に多くみられ、消化器系がんの手術 や治療後のがんの再発・転移などの発見に重要な役割を果たしています。


三ヶ月毎の検診と比例するかのように、数値も最近では三倍毎に上がってきている現状。


健康な人では、5.0以下と言われているCEAの基準値に対して
3.0(胃癌手術後)→6.5(三ヶ月後)→12.5(六ヶ月後)
今回は2950。4ケタまで跳ね上がってきた数値。


検査の結果報告と、診察後 医者が孝子に尋ねました。
「最期はどこで迎えたいですか?」

最期をどこで迎えたいか

2013-07-04 22:11:54 | ~おもうこと~
今日、祖母孝子と病院に行ってきました。三ヶ月毎の定期検診の為に(胃癌手術後の経過観察)



ブログでは、2011年11月以降 孝子の退院後について綴っていませんが昨年(2012年)の夏ぐらいになるのかな?「胃癌の再発」という宣告を受けました。



三ヶ月毎の血液検査でCEAという腫瘍マーカーの値が、急激に上がってきた為 全身PET検査を受けると胃にそれらしきものが。。。。年齢的な事を考慮すると、これ以上の手術も出来ないし、抗がん剤治療も不可。以降、手術をしてもらった総合病院では三ヶ月毎に定期検診へと通い 日常では、かかりつけの町医者に看てもらっている状態でした。










いじめ

2012-07-12 22:40:24 | ~おもうこと~
大津市で昨年10月、市立中学2年の男子生徒=当時(13)=が飛び降り自殺した問題で、滋賀県警が男子生徒の通っていた中学校を家宅捜索してから一夜明けた12日早朝、雨が降りしきる中、中学校前には大勢の報道陣が詰めかけ、傘をさした生徒らが緊張した面持ちで登校する様子が見られた。ー産経新聞ニュースより抜粋ー

中学校に家宅捜索が入ったことには私も衝撃を受けた。ここ数日に報道されたニュースで男子生徒に対するいじめがとても陰湿なものであったと知った。そしてここまで大きな広がりに繋がっていった。


小学~中学生のいじめは、加減を知ることがない。ここまでしたら本当にダメというラインをこの年代の一部はあまり分かっていないと思う。体力の限界、精神の限界をいじめた本人達自身が浅い人生経験の中で感じたことがないから。


honeは過去にいじめを受けたことも、申し訳ないがいじめをした事もある。周りでいじめが発生していると言う噂も聞いたことがある。ただ、ここまでひどくはなかった。大津市の中学生がいじめを受けた内容をニュース等で知り「なんで!?そこまでするの」と驚きを隠せなかった。


いじめに対していつも思うのだが、本人が必死に止めて!!と本気になって抵抗するか 周りの大人達が「お前ら!!ええかげんにせんかい!!」と一生分をかけるぐらいの気持で本気になって止めないと自然に止むことはない。


特にここまでエスカレートしたいじめは、同年代の子達では止めれないと思う。周りの大人、それは両親・近所のおじさん・先生誰でもいいから この子の命が自分の命として感じ、この子を守るためなら、自分は刺されてもいいというくらいの気持で相手に立ち向かっていったら何か変えれたんではないかと思うと残念でしょうがない。








境界線

2012-06-26 00:18:20 | ~おもうこと~
hone家のお隣は広大な空き地になっています。阪神淡路大震災以後、地主さんが引っ越されたのでそのままなんよね。がここ数ヶ月で急展開。土地が売れ、家を建てることになった。日々、進んで行く工事。ショベルカーで地面をガリガリ削る音が響く!響く!!

今日、ふと空き地から我が家を見渡したらなんかおかしい


おかしい!?なんと、我が家の外堀が削れてるではないかhoneが推測するには、ショベルカーで地面を掘り起こす際に削れた感じ。おまけに、庭の隅に植えている木の根っこもあらわになっているし。。。。


おのれ~~!!早速工事現場にいるおっちゃんにクレーム。
「すぐに、現場監督を呼びますのでお待ち下さい。」


その後、現場監督らしき人が現れ「外堀の削れた部分は後ほど補修します。木の根っこはカットして土をきちんとかぶせます。」って言って帰ったけど。


敷地境界線近くを掘り起こす作業の際、我が家に被害が被るのはしょうがないおもうんよね。やけど、事前の挨拶も説明も全くなしで作業を進めるのはいかがなものかと。今回もこちらが言わずにいたら適当にごまかされてたと思うし。そういうのは礼儀としてきちんとして欲しいと伝えた。


最近、工事だけでなく個人宅で作業をする際 隣近所のことを考えずに業者サイドで物事を進める会社が多いような気がする。業者サイドが作業を進めることに必死で周囲が見えてないんよね。


業者にしてみれば、施主・依頼者は大切な存在でそのご近所は一瞬の人。はっきり言ってどうでもいいと思っているかもしれない。だけどそこに住んでいる人・またはこれから住む予定の人にとってご近所さんとは切っても切れない仲。ほんまに施主・依頼者のことを思うなら、隣近所に対して配慮すべきでは?と考える。



以前、マンションに住んでいた時 大型家具の搬入を業者さんに頼んだことがあったんだけど、家具を梱包していたダンボールを我が家ではなく、お向かいの玄関前にドサドサ置いて作業していたのにはびっくりした


コラコラ!!ここでもhoneはイエローホイッスル


「そこに置かれたら、お向かいの人が出入りできないから。隣近所の人に迷惑ならないようにうちに寄せて作業してもらえますか」と頼んだ記憶がある。慌ててスタッフのお兄さんが、ダンボールをこちらに寄せ始めたけど。


女性目線で考えると、ご近所との関わりが一番神経を使うところ。が、実際の工事や運搬・配送などの現場は男性がほとんどだからそこまで気が回らないんだと思う。


新たなサービスの一環として、こういう現場に女性スタッフを同行させてはいかがかな?と時々考える。作業は男性にお任せできるし、その影で女性スタッフならではのきめ細かいフォローがあったら全てを安心してお任せできる。


作業中に、女性ならではの目線で「こうしてもらえると嬉しいこと」「こうされると嫌なこと」がさりげなくフォローできるからである。


そんなサービスがある会社だったら、ぜひhoneは利用してみたいしまた周りにもおすすめできるなあ。

3.11

2012-03-12 00:59:30 | ~おもうこと~
東日本大震災から今日で1年が経ちました。


テレビ・新聞などでは今日に合わせて特集が組まれていたり被災地の現場から現在の状況が中継されています。阪神淡路大震災でも同様に半年、1年と節目毎に被災地の状況やあの日起こった震災の被害がクローズアップされました。

わたしがいつも思うのは復興してキレイになった姿ではなく、その後の被災地の様子を1ヶ月単位でもいいから事細かにニュースで流して欲しい。マスコミの報道と、被災者の本当の現状は大きな差があると思う。


東日本大震災から今日に至るまで、ほとんど!と言っていいほどニュースや新聞で見る限り被災地の現状が分からない状態でした。すごく気になったので、半年くらい前から色々調べてみたところ現在の状況は「被災者が開設された個人ブログ」で知ることが出来ました。数件のブログを拝見すると、震災をきっかけにブログを始められた方が多かったです。


個人ブログで情報を発信する人の思いは「現状を日記にして書き留めておくこと」「現状を知って欲しい」この2つの気持が文面を拝見すると大きいと感じました。


ブログを見ると、まだまだガレキが残っている状態。生活やその後のことも手つかずの状態。特に福島の方は、自主避難地域である自宅から今は他府県に住居を移している方が多い状況でした。他府県から、何ヶ月かに一度子供さんの甲状腺の検査を受ける為・または手続き関係・荷物を取りに一時帰宅されているみたいです。


その甲状腺の検査でさえ、どこか他人事のような雰囲気。受付の人達はベラベラおしゃべりしたり、事の重大さを分かっていない。何で!?
自分の家はある状態なのに住めない。放射能汚染の影響を考えたら住んだらいいのかも分からない。いつ帰れるのかも分からない。


ブログから発信される現状は、こちら側に報道されていないことばかりでした。


阪神淡路大震災時、我が家の家屋判定は「全壊」でした。でもかろうじて、リビングなど数カ所は残っていました。震災後、帰ろうとしたら帰れる状態。荷物を取りに戻ろうとしたら、危ないけどもいつでも戻れる状態。さらに建て直したらもう一度家に住める状態なんですね。


自分の家は残っているけど、そこに住めないのはすごく辛いですよ。。。


阪神淡路大震災の後、わたしが住んでいるこの町では約5割近くの世帯が他府県へと移住しました。「実家がある○○県に帰ろうと思ってね」「○○県に引っ越しするわー。今までありがとうね!」震災をきっかけに家族ぐるみで引っ越しの挨拶が続きました。特にお店をされていた方は店をたたまれた方が多かったです。全壊や半壊ではあるけど、戻れる場所があるからお互い最後の挨拶が出来たし、その後の移住先も伝えれる状態でした。


多分、福島の被災者で他府県に移られた方は近所の方ともお知り合いの方ともお互いに挨拶が出来る状態ではなかったのじゃないかな。気付けば皆が散ってしまった状態で安否も不明な方が多いと思います。


わたしの住んでいる町は17年前と今とでは区画整理の影響もあり町並も変わりました。キレイな今風の家がたくさん立ち並んでいます。17年前にお見かけしていたご近所の方と、今のご近所の方の顔ぶれも違います。


でも時々、立ち止まって考えます。震災前、幼少の頃よく遊んでいたあの野原も 秘密基地と名付けていた裏路地の草が多い茂っていた場所も確かにここにあったけど今はないんだなあと。


目に見える復興した姿に至るまで、実は長い年月がかかります。節目節目の年に一部分の復興した姿を報道するのではなく少しの時間でいいから、日々現状を伝えて欲しいと思います。そして出来る限り現在の被災者が抱えている負担を減らしてあげて欲しい。国はそれをするべき責任がある。


これがわたしの一番思い続けていることです。


少年法

2012-02-21 00:24:30 | ~おもうこと~
本日、最高裁において「光市母子殺害事件」は元少年の死刑確定で終結する見通しとなった。1999年の事件発生当時から今日に至るまで、この事件に関してわたしは深い関心を持っていた。一つはあまりにも凶悪な犯罪事件であったこと。犯人は当時18歳の未成年者であったこと。そして何よりも被害女性の夫であり被害女児の父でもある本村洋氏が何度も記者会見の場で理路整然と自分の思いを述べている姿に心を打たれた。本村さんの口から放たれる言葉の一つ一つが胸に響くのである。自分の感情だけでなく、社会から見た少年法の問題、被害者側の人権全ての考えをまとめ冷静にそして完璧にまで言葉に出来るのは、今まで見てきた事件の中ではおそらく本村さんしかいなかったと思う。


本村さんとわたしは同い年である。事件発生当時23歳の若さで最愛の妻・子供を失った。わたしが23歳の時、まだ社会に出たばかりで色んな出会いや日々たくさんの刺激があった。社会人としてスタートを切り、仕事・家庭においても日常生活が常に新鮮であった。見るもの、聞くもの、全てをがむしゃらに吸収してきたのが20代であったと思う。30代はその糧を身につけいい意味で落ち着く、腰をすえる時代だとわたしは考える。


仕事を持ち、妻も子供もいる生活、人生で一番の輝かしい20代。それが犯人によって描く数々の夢が突然断たれた。20代から30代にかけての13年間ずっと闘わなければならない状況はほんと過酷だったと思う。支援者ばかりでなく、少年法の絡みで本村さんを批判する者もいただろう。とにかく今は「本当に本当に長い間、一生懸命闘ってこられましたね。お疲れさまでした」と伝えたい。そしてこれからの新しい人生をどうかスタートさせて下さいと。


現行の少年法は加害少年の人権が守られたりまた手厚く保護される傾向にある。少年に対してこのような規定をおくのは、未成年者の人格の可塑性に着目しているためとされているからだとか。


今回の事件だけに関わらず少年法が争点となる時にわたしが思うのは「被告人の家庭環境や精神状態も色々あるだろう。それは分かる。だけど!!成年、未成年と言い争う以前に、人を殺したり傷つけたりしたらいけないというのは幼少の頃から分かっていませんでしたか?」と


この事に関して未成年だから、高校生だから、中学生だから、小学生だからはほんま関係ないと思う。軽い物事の善悪に対する認識力は10代では欠ける部分があるかもしれないけど、絶対にやってはいけないこと!は皆、幼少の頃から共通の認識としてもちあわせていると思う。


必要以上に手厚く守られる少年法、改正を強く望む。

ステージ3c

2011-11-09 21:50:02 | ~おもうこと~
いつもブログをご覧下さりありがとうございます。しばらく更新が滞っていました。その間の出来事を。。。。


孝子が11月のはじめに退院しました。
退院前日に担当医、孝子、honeの3人で今後の治療について話し合いをしました。まず、手術で摘出した胃(4/5)と良性の大きな腫瘍(GIST)この2つを病理検査にまわした結果についての報告がありました。「GISTについては問題ない。胃癌に関しては、リンパ節の転移がみられました。深く浸潤もしています。ステージで言うと3cにあたります。」


※癌には「ステージ」と呼ばれる進行具合を表す言い方があるんだけど、おおざっぱに話すとステージは4段階。初期の段階=1、ほぼ末期の状態=4です。もっと細かく分類すると2aや2bなどもあります。 


「3c!?」孝子はあまりよく分かってないのだけど、比較的インターネットや本などを通じて情報が入ってきやすいhoneにとっては、3cという響きは重く感じた。ほぼステージ4に近いから。


「先生、わたしあとどれくらい生きれますのん!?」孝子が担当医に聞いてみる。
「5年生存率というものがあるのですが、50%です。100人同じがん患者の方がいらっしゃったら約半分の方が5年生存されています。」ただし、個人の状況や病状によって一概には言えないとも付け加えられた。数字ではなく、生き抜くという生命力はその人自身であるからである。


「50%かあ。。。」先生の目前におかれたカルテに目を落としながら孝子がつぶやいた。


ただ、現在の孝子はすごく元気なのである。家に戻ってからも外出はよくするし、食欲はあるし、よくしゃべるし。なので、時々不思議な感覚に陥る。胃癌でステージ3cの状態なのに、、と。退院後、わたしの友人が孝子と顔を合わせた時も「はきはきしゃべりはるし、腰曲げずにちゃんと歩きはるし、ほんまに胃癌で手術した後やとは思われへんくらい元気そうに見える」と。


気になっていた食事療法については、持病の糖尿病については薬をしっかり飲むこと。基本的に1日5食。高たんぱく質高カロリーのあるものを摂って栄養をつけて下さいと担当ナースから食事指導を受けた。食事指導の時に頂いた用紙があるんだけど、赤や青、黒などのペン書きでしっかり書き込みがあったんよね。所々イラスト付きで。孝子を担当して下さったのは若い看護婦さん。きっと一生懸命本を見たり先輩ナースから情報を聞いたり、自分自身で大事!と思う箇所にチェックを入れて渡してくれたんやと思う。忙しい業務の合間を縫って作ってくれた。ありがたいよ本当に。


ところで、生存率という重い響きは本人だけじゃなく家族にも重くのしかかることを感じた。honeは父方の祖父も母方の祖父も癌で亡くしているのだけど、その時はhoneも若かったせいか身内から生存率という言葉を聞いたことがなかったし、そういうステージというものがあることを知らなかった。


5年生存率。という響きがあると、honeも自分の生活があと5年しか感じなくなる。何でやろうね、この感覚。自分自身が告知を受けた訳ではないんだけど、同じように受け止めてしまう。5年から逆算して今これをしなくちゃいけない!とか。ここに連れて行ってあげよう!とか。考えるんよね。もちろん!ステージ3cの癌になって5年以上生きている人はいるし、そうなってもらいたいと思ってる。ただ、突然のことを考えて後悔のない準備はもう一つの方向性として持っておきたいのである。

生きていることってそれだけですごく幸せなんだなあ。と思う

考える

2011-10-27 22:59:05 | ~おもうこと~
祖母・孝子が入院して10日近くなる。
手術後に全身麻酔から覚めたときの
孝子の一言が
「寒い!寒い!風邪引くわ!!」と吐き捨てるように言って
布団を、みの虫のようにグルグル巻きにしてかぶっている姿にはビックリした


いやいや、、、あんた風邪引くよりも6時間の大手術だったのよ
輸血したせいかしら。。。


さて、日が経つにつれ驚異的な回復力にはびっくりする。
出される食事は残さずに食べているみたいだし
歩けるようにもなった。


ただ、、、すごい頑固と言うかわがまま度が増してるんよね。
相手の状況(忙しいとか、寝ているとか)を考えずおかまいなしに感情をぶつけてくる。
家に居る時も凄かったけど、それはhoneとかの身内だから受け止めれた問題で
病院に居るときはhoneとかがそばにいないから、感情をぶつける相手が看護婦さんだったりする


昨日、病院に行ったときその現場を目の当たりにした。
なんでも他の患者さんの見舞客(偶然にも知り合いだったらしい)と話していたとき意見の食い違いがあったようで口論になってそれがずっと尾を引いていたみたいだった。看護婦さんが病室にくるたびにその話しをずっとして「あんたはどっちの見方なの!!なんでわたしの見方をしてくれへんの!!」と意見を押し付ける。

看護婦さんは、他にも業務が山積みなのに病室を通りかかるたび「なんで、こっち来てくれへんの!!何処行ってたの?」と


さすがにこれはあかん!!と思って母親と共に「おばあちゃん!!そんなわがままばっかり言ったらあかん。看護婦さん忙しいしやらなあかんこといっぱいあるのに手を止めてしまうことになるから」と言ったけど止まらない。そういう事が多々あった。


前からおかしいと思ったけど、痴呆が進んでいる気がする。


何度かお見舞いに来てくれている知り合いのおばさんとさっき話していたんだけど「話しがね。たまにおかしいんよ。こう、話しが通じなくなるというか会話にならへんと言うか。。。」ああ、やっぱり。。。


これから、どうしたらいいんだろう。
孝子は胃がんだけでなく、糖尿病、痴呆、高血圧、白内&緑内障と
色んなものを抱えている。


このうちのどれか一つだったら、それ専用の対処や食事療法など手厚く介護ができるけど
複雑に絡まってしまっているのでどう対処してあげたらいいかよく分からない。


とりあえず、担当医や看護婦さんに今思っていることを話してみようと思う。
食事療法なども併せて。