雲の上を歩くひと

日常生活や、過去を振り返っての
回想日記(←ボケ防止のために綴ります。)

あの日のこと 1.17阪神淡路大震災 その32

2011-02-19 21:16:51 | あの日のこと1.17阪神淡路大震災

Nとトボトボ歩く線路上。

色々と話をしたことの一つで

驚いたのが共通の友人であるTの母親が震災で亡くなったこと。。。

 

「Tねえ。。お母さんがダメだったんだって」

「、、、そうかあ」

二人とも、下を向きながら歩いた。

 

この頃になると、身近だった人の安否が風のうわさで届くようになった。

 

中学生の時、同級生だったSさんが亡くなったことも

中学時代にお世話になった先生、高校時代にお世話になった先生が

もうこの世に存在してないことも

 

あの日の、ほんの数秒間で消えてしまった命

不思議なもので思い浮かぶのは、その人の笑顔なんよね。。。

悲しんでいる顔でもなく、怒っている姿でもなく

故人とのかかわりの深さとは関係なく、笑顔の記憶だけが

頭に浮かんでくる。

 

 


あの日のこと 1.17阪神淡路大震災 その31

2011-02-18 17:36:54 | あの日のこと1.17阪神淡路大震災

板宿からの帰り道。

わたしとN、どっちが言い出したか分からないけど

山陽電車 板宿ー月見山間の線路上を歩いて帰ることになった。

 

一番安全というかわかりやすい道が線路だった。

 

震災時、どんなによく覚えている道でも崩れている家があまりに多く

ふだんの風景とは違うので道に迷うことが多々あった。

 

線路を辿ると、必ず目指す駅にはつける。

 

いつもは、わたし達を運んでくれる電車

その土台となる線路が、時々ぐにゃぐにゃっと曲がっていた

 

わたしたちは、ただただ線路を歩く

追いかけてくる電車もない。

同じように歩いている人もいない

 

Nと色んな話をしながら歩いた線路

昔、映画で観た「スタンド バイ ミー」みたいな気分だった。

 

 


あの日のこと 1.17阪神淡路大震災 その30

2011-02-13 21:04:25 | あの日のこと1.17阪神淡路大震災

小さくて白いビニール袋を手にした私達は

再び道を歩き始めた。中にはわずかなお惣菜たち

 

だが、なんかおかしい

突き刺さるような視線。。。。

 

周りを見渡すと

「お前ら、その袋の中は食べ物か!?どこで手に入れたんだ!?」という感じで

道交う人々の視線が、白いビニール袋に注目しているのが痛いほど分かる。

 

Nも同じことを言っていた。

「みんな、、怖いよね。。」

 

特に閉まっているコンビニの前を通るとき

めっちゃ怖かった。。。。

 

コンビニに売られている食材を求めて

何人か並んではるんよね。。いつ開くか分からないコンビニ

空腹状態。。。

 

よくニュースで、世界的な大災害になった際

人々の暴動が起きる映像が流れているが

(スーパーなど、みんなで窃盗したり。。)

 

あの心理は、被災者となったこの時

よく分かった気がする

 

遅いながらも、救援物資の調達まで

何週間もかからなかったけど

もし、人々の空腹や欲求が限界に達するまで

何も援助がなかったら、日本でも

あの阪神淡路大震災でもそういう暴動が起きても

不思議ではなかったと思う。

 

欲求の我慢の限界は

人間の理性をはるかに超えるものだから


あの日のこと 1.17阪神淡路大震災 その29

2011-02-13 20:47:59 | あの日のこと1.17阪神淡路大震災

無事に板宿へ着き、ここでNのお兄さんとは別れた。

 

板宿は、昔ながらの

アーケードで軒を連ねる商店街があり

普段は、お惣菜や鮮魚、肉など並んでいる場所。

 

暗く影を落とす商店街。

さすがにこの状況だし、見るからに営業してなさそうだけど

Nと一緒に入ってみることにした。

 

薄暗い闇の中へ行くのにはちょっと恐怖感もあり

躊躇したが。。。

 

そこは、ちょっとした夢の世界

わずかながらも営業してるお店があった!

ありがたい!!

 

他にも数人いたが、混雑している感じではなく

営業していると思ってない人が多かったんじゃないかなー

 

食べ物の配給がままならない現実。

久々に見るおかず。。

ものすごく心がウキウキした。

 

Nとわたしは、お惣菜を2種類ほどゲットし

それぞれの家に持って帰ることにした。

 

被災者の食物の配給がままならない現実を

再び目の当たりにしたのは、実はこの後でした。


あの日のこと 1.17阪神淡路大震災 その28

2011-02-13 20:26:04 | あの日のこと1.17阪神淡路大震災

元彼が来たその日だったか、翌日だったか覚えてないんやけど

中学時代の友人Nがお兄さんと一緒に訪れてくれた。

 

彼女は、hone家から歩いて1時間半くらいの場所に

住んでいる子なんだけど偶然家の前で出会った。

(お兄さんは、ここからさらに3時間以上はかかる

場所に住んでいる彼女に会いに行く予定らしい。)

 

震災直後、交通手段は歩く!しかなかった。

そう考えると、元彼はどうやって神戸まで来たのか謎である。

 

誰かが、誰かを思い。

その為にひたすら歩いて行く姿は震災時よく見かける光景だった

 

「ちょっと、板宿まで様子見に行ってみない?」

HONEとN。どちらかが言い出したのか分からないけど

ここから40分くらいで行ける町へ行くことにした。

途中までお兄さんのボディーガード付きだ

 

板宿へ行くまでの道沿いを、

この時はじめて目にしたのだけど地面に亀裂が走っていたり

高層マンションの真ん中だけ崩れていたり

 

一番びっくりしたのが、幼稚園

建物が崩れて、その間から飼われていたうさぎが

ピョンピョン跳ねて出てきたのだ。

地震発生から動物たちは頑張って生きていた

 

危ないから、お兄さんが捕まえようとするが

思ったより、うさのスピードが早く逃亡。

 

PS.密かにうさぎの行方が心配になってたんやけど

後日、幼稚園前に貼り紙があり

「うさぎ、保護しています。○○」と書かれていました。

多分、ご近所の方が保護して下さったのだと思う

よかった~


あの日のこと 1.17阪神淡路大震災 その27

2011-02-13 19:55:45 | あの日のこと1.17阪神淡路大震災

「はじめまして!わたくし○○○○と申します!

恩師がこちらにいますので、そのついでながら

寄させて頂きました! 何かあったら何でも致しますので

申し付け下さい!」

俄然、はりきって挨拶をする元彼

 

ビビる私。。。。

ぼうぜんとする孝子。

バックには半倒壊しているhone家。

変な光景だった。

 

「これよかったら、皆様で召し上がって下さい!」

最後にスティック状のモロヘイヤ入りのパン一袋を孝子に手渡しし

帰っていった。

 

「あれか、○○くんちゅーのは!? ええこやん」

そう言い残して孝子もどこかへ去った。

 

モロヘイヤという植物を初めて知ったのは

実はこの時。今でこそわりと知られている植物だけど

 


あの日のこと 1.17阪神淡路大震災 その26

2011-02-13 19:42:15 | あの日のこと1.17阪神淡路大震災

震災から2、3日経った辺りから

嬉しいことに友人が我が家を尋ねに来てくれた。

何でか知らんけど、名古屋に住んでいた元彼まで、、、

(彼は当時、名古屋の大学に行っていた)

 

知らせてくれたんは弟で

「ヤンキー達が姉ちゃんを呼んでいる」と

 

何だ!?ヤンキー達って

呼ばれた先には、元彼とその友人

 

ああ、、、そう言われると

元彼の友人はそれっぽく見えるなあ(笑)

でもいい方ですよ

 

1年ぶりの再会は、どうでもいい服を着て

顔に真っ黒なものがついて(炭かホコリがついてた)

髪をギュ!っとしばった

現代版「おしん」みたいな姿で会うとは思ってなかった

 

その時に限って、うるさい祖母・孝子も偶然登場する

ザ!元彼と孝子初対面だ。


あの日のこと 1.17阪神淡路大震災 その25

2011-02-03 21:58:04 | あの日のこと1.17阪神淡路大震災

区民センターの帰りに、中学時代の友人にばったり会った。

お互い高校時代は、全く連絡もしておらず

ほんと偶然の再会でうれしかった。

 

彼女の父親は、パン屋をしており

地震当日は、休業日だったらしい

いつもだったらあの時間には、パンを焼き上げる為に

火を使ったり色々してたはず。。。

そう思うと怖かったと話していた。

 

少し話をして、最後に「honeちゃん!これあげる♪」

片手にバナナを一本渡された。

 

そんな彼女は、数年後わりと有名なタレントさんになった。

地震を乗り越え、夢が叶ってよかったね♪

あの日「頑張ってTV出て有名になってよ~」言うたら

ほんま現実になったから凄いなあ~


あの日のこと 1.17阪神淡路大震災 その24

2011-02-03 21:47:54 | あの日のこと1.17阪神淡路大震災

2~3日目に、近くにある区民センターに足を運んだ

被災者の緊急避難先として受け入れられており

ここに毛布などを運んで住んでるご家族も多くいた

 

少し離れた別の場所には、震災で亡くなった方のご遺体が

一同に並べられたりしていたそうである。。

 

区民センターの前には、あちこちに貼り紙がたくさんあって驚いた

木や電柱、掲示板がびっしりと紙で埋め尽くされている状態

そこらへんにある紙にペンで走り書きをしたようなものだった

 

「○○は無事です!」「○○を探して下さい!!」

「○○!これを見たらここに連絡をくれ!TEL×××ー×」

 

○○は、人の名前。

これだけ連絡が取れない人がいたり、無事を知らせたい人がたくさんいる

どうにか知らせたい!その手段が人が集まる場所での貼り紙だった

 


あの日のこと 1.17阪神淡路大震災 その23

2011-02-03 21:29:54 | あの日のこと1.17阪神淡路大震災

家に木炭があったので、網焼きをして

冷蔵庫にある食料を焼いて食べると弟が言い出した

ブロックを積み上げ、その上に網を敷く

 

食料は、ベーコン3切れ。。。。

切な過ぎる。。。。。

 

ベーコンを焼いている途中

通りかかった人が「あら!?焼いてはんの?」と

ほほえみながら声をかける。

 

これは、地震の時よく感じたんやけど

町中の人が互いに声を掛け合っていた。

今まで全然見たことも、話したこともない人が

「どこ行きはるんですか?」とか

「どうですか?」とか

普通に声を掛けてくれる

 

わたしは、そういう光景が非常にあったかく思えた

よき昭和の時代みたいで。

そういう温かさは、時代と共になぜか失われていくよね。。。

 

地震という一つの大きな出来事が、悲劇と同時に

人と人との絆を結びつけたと思う

 

ベーコンの臭いが漂ってきた

どうやら焼けたようだ

 

「俺。。。原始人みたい」と

弟が独り言をいいながら

積み上げたブロック塀の前で

あぐらをかきながらベーコンを食べていた