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雲の上を歩くひと

日常生活や、過去を振り返っての
回想日記(←ボケ防止のために綴ります。)

あの日のこと 1.17阪神淡路大震災 その22

2011-02-03 21:12:05 | あの日のこと1.17阪神淡路大震災

地震発生の当日はこんな感じで

あっという間に時間だけが過ぎた。

 

翌日から我が家も、町内の皆さんもこれから

どうしようかと先に向かって色々考えはじめたと思う。

 

そりゃそうよね。。。いきなりの事態でその日に

何も考えられないよね。

家族や家を失った人もいる

その現実を受け入れて、すぐに前なんかすすめない

 

食べ物に関しては、救援物資が配給されるまでは

家の冷蔵庫にあったもの

お菓子類で賄っていた人が多かったと思う

我が家は、炊飯器に若干残っていたごはんを食べたりもした

 

教訓からであろうか

地震から数ヶ月後、全国的に

ひからびたビスケットみたいな

「乾パン」が非常食としてよく売り出されるようになったと思う

今思うと、乾パンてこういう時ほんまに便利かも(美味しくないが。。。)

 

 


あの日のこと 1.17阪神淡路大震災 その21

2011-01-28 21:44:04 | あの日のこと1.17阪神淡路大震災

夜、途中で家に戻る用事があった時のこと

「あの、、、ほんの少しなんですが、よければこれを」と

家の前で話しかけられた。

片手には二つの袋入りのパン

 

近くにあるcoop(生協)のスタッフの方だった。

聞けば、一軒一軒まわって食べ物を配給しているのだとか

国や県からの救援物質の開始は確かこの3日後だったけど

近くにあるcoopさんの対応は、地震が起こった日だった。

これには感動した。さすが市民の生協

 

後で調べたのだけど、coopはこういう災害時

食料などを放出する規約があるそうだ


あの日のこと 1.17阪神淡路大震災 その20

2011-01-24 19:02:57 | あの日のこと1.17阪神淡路大震災

てっきり、祖父・武次も車で寝泊まりするものだと思っていたら

 

「わしは家に残る!!家を守る!」

 

もう一度、大きな地震が来たら家が全壊するのが目に見えている

危ないからと言ってもきかない

 

hone家はこの時、自営業をしていて

お客さんの大事な預かりものがたくさんあった。

 

災害時、至る所のお店で窃盗が多発していたので

武次が心配する気持もよく分かる

 

結局、武次の意志を尊重しhoneと孝子は車

武次はふきっさらしの家で飼い猫と一緒に一夜を過ごした。

 

続きはすみませんが後日に、、、


あの日のこと 1.17阪神淡路大震災 その19

2011-01-24 18:53:05 | あの日のこと1.17阪神淡路大震災

寝床となる車に荷物を移動させている時、

自転車に毛布をのせて公民館に向かう人の群れを見た。

 

honeのように、車で寝泊まりをする人や

あるいは公民館や学校が被災者の受け入れ先になっていたので

そこで過ごす人もいた。

 

人の群れを見ているとき、切ないなあーと感じたのは

お年寄りの方。ご夫婦だったら色々話をしたり支え合えるけど

日頃、一人で過ごしてはったおじいさん。。。

数年前に奥さんを亡くされ今まで家で過ごしてこられてきたのだろう

重い荷物を自転車に乗せ、手で押して公民館に向かう

 

沈む夕陽、その背中は何を思っているのだろう。。。

 

honeは思うんやけどお年寄りの女性は、周りの環境に上手くとけ込みやすいんよね

輪に入っていけるというか。。。

 

おじいさんは寡黙な人が多いから、こういう災害時

ご近所の誰かが声を掛けてあげて欲しいなと思う

 

そういうシステム作りが、災害が起こる前に必要だと思う


あの日のこと 1.17阪神淡路大震災 その18

2011-01-24 18:32:25 | あの日のこと1.17阪神淡路大震災

夕方、日も暮れはじめ

寝床に悩む。。。。

 

時々起こる余震が気になる。

 

hone家は、半壊で天井から床にかけ崩れていて

断面図状態。。この状態はちょっときつい

 

車で寝泊まりすることにした。

(この後、数週間車で寝泊まりすることになった)

 

家の中から大事なものを車に運び出したのだが

孝子が持って来たものは「入れ歯、浣腸セット(←便秘に悩んでいた)」

それを車のフロントガラスに並べるもんだから

たまったもんじゃない!!

 

「そんな所に置くのは止めて!」と言ったら逆ギレだ。

「見える場所に置かないと、分からなくなってしまう」と

しょうがないから、ほっといた

 

時々足の裏が痛むな。。。と思って見てみると

地震発生後 家を出る時に、素足でガラスを踏んでいたようで

何箇所か切れていた。


あの日のこと 1.17阪神淡路大震災 その17

2011-01-24 18:19:17 | あの日のこと1.17阪神淡路大震災

当日だったのか

数日経ってからの出来事だったのか忘れたんやけど

遠方の親戚や友人に無事だったことを伝えたいけど電話が通じない。

 

この時、役に立ったのが「公衆電話」

ふだんあまり使うことがなかったんだけど

その一つの公衆電話を求めて人がずら~っと並ぶ

 

これはたまたまだったのかわからないんやけど

100円玉が使えなかった。 10円玉のみ使えたんよね

 

電話をするとき、いつ切れてもいいように100円玉を先に入れたんやけど

返却口にすぐに落ちてくる。

10円玉を何回か追加し会話が出来た。

 

後ろに並んでいる方に伝えた「この公衆電話は10円玉しか使えません」と

100円玉しか持ってない人が多くて

わたしは10円玉をわりと持っていたので、並んでいる人にあげた。

(悲しき小金持ち。。。。

 

そうすると、100円玉を交換させて欲しいと言われ

断ったんやけど10円が100円に数枚替わった。。。

 

災害時、商品や食べ物を10円・20円と低価格で提供してくれる店も多かったので

10円玉などの小銭は多めにあったほうが役立つことを知る


あの日のこと 1.17阪神淡路大震災 その16

2011-01-24 17:48:30 | あの日のこと1.17阪神淡路大震災

近隣の火災発生から数時間後

倒壊した家屋に人が埋もれているということで

町内の男性達が救助活動に向かっていった。

 

余震が何回か起こった。

その度にビクビクしてしまう

 

わたしの記憶が正しければ、新聞テレビなどの情報が遮断されたこの時

一番役に立ったのは「ラジオ」だったと思う。

小型ラジオを携帯していた人を数人見かけた。

 

ラジオから聴こえてくるニュースはとても悲しかった。

近くのラーメン屋が強盗に入られたとか

繁華街にある宝石屋の商品が盗み出されたとか

 

「こんな時に、何してんねん!」と言いたい。

 

悲しい事やけど、非常事態が起こった時隙を狙って

そういうことをする人は必ずいる。

 


あの日のこと 1.17阪神淡路大震災 その15

2011-01-19 20:34:41 | あの日のこと1.17阪神淡路大震災

「いやっ! あれうちの家や!!」

知り合いのおばちゃんの家の二階部分から

小さいながらも炎があがる

 

「着物!!着物があるねん」

幸い、消えそうな感じの火だったので

近所の人と手分けして運び出した。

2階一部の延焼程度ですんだ。

 

気の毒なのは、最初に火事が起こった家の方達だ。。。

助かった!と思ったら突然の火事で何かを取り出す間もなく

自分の家を失ってしまった

 

家族の思い出が一杯詰まっていた家も、その記憶に残した写真でさえも

なくなるのだから。。。

 

明日に続く。

 


あの日のこと 1.17阪神淡路大震災 その14

2011-01-19 20:19:15 | あの日のこと1.17阪神淡路大震災

炎の勢いが増すと同時に

 

「消防車を呼べ!!」

「老人は近付くな!!」

「みんな下がってろ!」

 

色んなおっちゃん達の怒鳴り声が聞こえた

何も出来ない、自分達がどういう状態になってるのかさえも

分からない状況に苛立ち混乱しているのだ。

honeや周りの人達も声には出さなくてもみんな同じ思いだったと思う。

 

消防署は、通常だったらここから5分ほどで来れる距離にあるんだけど

なかなか来なかった。(今思うと、電話が通じないのに誰がどうやって呼んだんだろう。。)

20ー30分後に到着。

 

だけど、水が出ない。。。

ホースを持ったまま立ち尽くす消防隊員。

ものすごく無念の気持だったと思う。

 

そうこうしている間に、2軒離れた家からも火の気があがる。


あの日のこと 1.17阪神淡路大震災 その13

2011-01-19 20:08:05 | あの日のこと1.17阪神淡路大震災

弟がいなかったので、妹と再びhone家に戻ると!!

 

町中に人があふれかえっていた。

この町、こんなに住んでいる人がいたの?というくらい

みんなほぼパジャマなど寝てたときの服装。

 

地震発生後から30分後、近所の方同士で

不安そうに話したりする姿をようやく目にした。

 

「火事や!!」いきなり叫び出す男性の声

その先を見ると、二階建てアパートの2階部分から

火の気があがっている。

 

「いやー!何で!!!?」うずくまる女性

きっと、その方の住んでいる家

 

「写真もまだ何も取り出してないのに。。。全部そのままなのに。。」

背中を丸め泣き叫んでいた。

横に居る、小学生ぐらいの娘さんが

うずくまるお母さんの背中を撫でていた。

 

その火をただ呆然とみんなで見守るぐらいしか出来ない状況。。。

炎だけが勢いを増して行く

何かしてあげたくても、何もできない。

 

<当時、わたしの住んでいた町=須磨は

地震発生後すぐに火事は起こらなくて

数時間後、あるいは数日経ってから炎があがる家がほんと多かった。

漏電の影響かと思われる。>