雲の上を歩くひと

日常生活や、過去を振り返っての
回想日記(←ボケ防止のために綴ります。)

あの日のこと 1.17阪神淡路大震災 その25

2011-02-03 21:58:04 | あの日のこと1.17阪神淡路大震災

区民センターの帰りに、中学時代の友人にばったり会った。

お互い高校時代は、全く連絡もしておらず

ほんと偶然の再会でうれしかった。

 

彼女の父親は、パン屋をしており

地震当日は、休業日だったらしい

いつもだったらあの時間には、パンを焼き上げる為に

火を使ったり色々してたはず。。。

そう思うと怖かったと話していた。

 

少し話をして、最後に「honeちゃん!これあげる♪」

片手にバナナを一本渡された。

 

そんな彼女は、数年後わりと有名なタレントさんになった。

地震を乗り越え、夢が叶ってよかったね♪

あの日「頑張ってTV出て有名になってよ~」言うたら

ほんま現実になったから凄いなあ~


あの日のこと 1.17阪神淡路大震災 その24

2011-02-03 21:47:54 | あの日のこと1.17阪神淡路大震災

2~3日目に、近くにある区民センターに足を運んだ

被災者の緊急避難先として受け入れられており

ここに毛布などを運んで住んでるご家族も多くいた

 

少し離れた別の場所には、震災で亡くなった方のご遺体が

一同に並べられたりしていたそうである。。

 

区民センターの前には、あちこちに貼り紙がたくさんあって驚いた

木や電柱、掲示板がびっしりと紙で埋め尽くされている状態

そこらへんにある紙にペンで走り書きをしたようなものだった

 

「○○は無事です!」「○○を探して下さい!!」

「○○!これを見たらここに連絡をくれ!TEL×××ー×」

 

○○は、人の名前。

これだけ連絡が取れない人がいたり、無事を知らせたい人がたくさんいる

どうにか知らせたい!その手段が人が集まる場所での貼り紙だった

 


あの日のこと 1.17阪神淡路大震災 その23

2011-02-03 21:29:54 | あの日のこと1.17阪神淡路大震災

家に木炭があったので、網焼きをして

冷蔵庫にある食料を焼いて食べると弟が言い出した

ブロックを積み上げ、その上に網を敷く

 

食料は、ベーコン3切れ。。。。

切な過ぎる。。。。。

 

ベーコンを焼いている途中

通りかかった人が「あら!?焼いてはんの?」と

ほほえみながら声をかける。

 

これは、地震の時よく感じたんやけど

町中の人が互いに声を掛け合っていた。

今まで全然見たことも、話したこともない人が

「どこ行きはるんですか?」とか

「どうですか?」とか

普通に声を掛けてくれる

 

わたしは、そういう光景が非常にあったかく思えた

よき昭和の時代みたいで。

そういう温かさは、時代と共になぜか失われていくよね。。。

 

地震という一つの大きな出来事が、悲劇と同時に

人と人との絆を結びつけたと思う

 

ベーコンの臭いが漂ってきた

どうやら焼けたようだ

 

「俺。。。原始人みたい」と

弟が独り言をいいながら

積み上げたブロック塀の前で

あぐらをかきながらベーコンを食べていた


あの日のこと 1.17阪神淡路大震災 その22

2011-02-03 21:12:05 | あの日のこと1.17阪神淡路大震災

地震発生の当日はこんな感じで

あっという間に時間だけが過ぎた。

 

翌日から我が家も、町内の皆さんもこれから

どうしようかと先に向かって色々考えはじめたと思う。

 

そりゃそうよね。。。いきなりの事態でその日に

何も考えられないよね。

家族や家を失った人もいる

その現実を受け入れて、すぐに前なんかすすめない

 

食べ物に関しては、救援物資が配給されるまでは

家の冷蔵庫にあったもの

お菓子類で賄っていた人が多かったと思う

我が家は、炊飯器に若干残っていたごはんを食べたりもした

 

教訓からであろうか

地震から数ヶ月後、全国的に

ひからびたビスケットみたいな

「乾パン」が非常食としてよく売り出されるようになったと思う

今思うと、乾パンてこういう時ほんまに便利かも(美味しくないが。。。)