ベネッセにはこどもちゃれんじから、進研ゼミ高校講座までお世話になっていました。
いつからこどもちゃれんじを始めたかは覚えていません。物心がついたころからしまじろうの絵本とビデオを見ていました。その頃から一人で遊ぶ時間の作り方を学んだような気がします。今となっては悪い意味で一人に慣れてしまった部分があります・・・。
進研ゼミ小学講座は6年間欠かさず毎月やりこなせました。赤ペン先生も毎月提出していて、集めたシールで景品と交換するのが何よりのモチベーションでした。
自分の代はぽこ/かにまるがキャラクターとしていましたが、途中からコラショに切り替わりました。切り替わった理由は未だに謎ですが、おそらくリストラの意味を知ったのはこれが最初かと思います。
小学校の頃は成績は優秀だった方なので、進研ゼミをやっていたおかげかなと感じています。
継続して中学講座もやり続けましたが、内容が難しくなると同時にモチベーションも低下していった。思うように成績が伸びなかった時は進研ゼミにも真剣に向き合えてなかった。部活を引退してからは本格的に取り組むこととなったが、それでも追いつかないということで塾に通わされることとなった。塾についての経験については後日語る予定ですが、僕の気持ちとしては塾のお世話になることなく、進研ゼミだけで志望校を目指したかった。それでは無理だと親や担任から思われてしまったこと、そしてその事実を受け入れてしまった自分が悔しくて仕方なかった。
結局志望校は無事に合格し、高校講座も続けることになったが、この時点で進学する気持ちはあったがどこまで目指すかは自分の中でもはっきりとしていなかった。続けないという選択肢もあったが、親とはそこまで相談できずにいたのは今でも覚えている。
高校の時は部活漬けの毎日で、普段の宿題にも対応するのがやっとだった。そんな中で進研ゼミに真剣に向き合うことができず、未開封のまま山積みにしていくことがしばらく続いた。おそらく親も気づいてはいただろうけど、ずっと黙っててくれたんだなと思う。
受験シーズンになってから普段の勉強と両立させようとしたが、基本的な部分から勉強をやり直すくらい成績が下がっていて、勉強の時間を確保しているが質は決して良くなかった。
そういった状況だったため志望していた大学には合格できず、留年するという選択肢は全く考えてなく、滑り止めで受けた大学に行くことを決めました。
進研ゼミをやって、自主的に勉強に向き合える習慣や大切さを身に付けることができたが、部活との両立の難しさも次第に感じていった。兄弟のなかで僕だけ最後まで進研ゼミをやらせてもらったが、高校時代にまともに取り組めていない時期を弟や妹の勉強代に充てられていれば違う運命になっていたのかなと感じてしまう。
決して安くない受講費を払い続けてくれた両親には感謝しかない。両親への恩返しはお金を送ることではなく、学生時代に投資した効果を結果で示すこと。とりあえず今の職場ではそれなりの地位にいるので、出世することが最大の恩返しかな。まだまだ先の話かもしれないが。
じゃこの辺で
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