高木栄子さんという方の「紙わらべ展」に足を運んだ。高木さんは懐かしい情景の中で遊ぶ子どもたちの世界を創り続けている人形作家で、「紙わらべ」というのは高木さんが名付けた10センチほどの和紙人形だ。
45歳の時に独学で人形の創作を始め、懐かしい情景の中で遊ぶ子どもたちの世界を創り続けているそうな。2003年、81歳にして初めて開催した本格的な展覧会で6日間で33,000人を超える来場者を記録したあと今年8月に卒寿を迎えられるということで、今回の展覧会には「卒寿記念」とある。そ、卒寿。。
私の祖母も認知症になることもなく無事90歳の大台に乗って10か月が過ぎているが、子どもの助けを借りながら穏やかに過ごす日々だ。いろんな90歳。
紙わらべで表現するのは、子どもの頃、誰もが心待ちにしていたお正月、雛祭り、運動会などの季節の行事や剣玉、竹馬、縄跳びなどの懐かしい遊び。ふと口ずさんだ「夕焼け小焼け」や「叱られて」などの童謡だ。
まずは、その細やかさに驚嘆する。子どもたちが履いている草履の鼻緒のひとつひとつはもちろん、お弁当の海苔巻きの具材や線香花火の火花、定食の鮭の皮までもがきちんと判別できるまでに精巧に作られている。こんなに小さなものをどうしたらこんなに精密に、誰もがそれと分かるように作れるのか・・・。驚くばかりである。
画像では少しわかりづらいかもしれないが、紙わらべには表情がない。目鼻口を敢えてつけていないのだそうだ。それは、見る人に、自由に子どもたちの表情を想像してほしいから、とのこと。ただし、「目線」は意識して作っていると高木さんは言う。確かに、楽しそうだったり悲しそうだったり得意げだったり、顔のパーツはないのに子どもたちが見せる色々な表情が、紙わらべ一体一体にまざまざと表れ、私の心を揺り動かす。
紙芝居屋さんの前に集まる子どもたちの目は爛々と輝き、お祭りの屋台の古着屋さんで古着を選ぶお母さんの顔は生き生きとして古着選びに夢中になっている。隣の植木屋さんではお父さんが少し気難しい顔を作りながらも植木を眺めている。。
表情だけではない。仕草も、また心深くに入り込んでくる。かるた遊びでは、我先にと腰を浮かせて膝をついている子どもが、運動会では絶対に帽子を取られまいと背中を大きくそらせた子どもが、バトンをもらったらそれっと駆け出せるように手足を大きく縦に広げた子どもが、そこにいる。まるで、周りの歓声までもが聞こえてくるようだ。
ひとつひとつ展示をみて回っていると、隣の方が「この人は観察力がものすごく高い」と話しているのを耳にした。
確かにそうだろう。そうでなければ、こんなに正確・精巧なものは生み出せない。でも、もっともっと紙わらべを大きく包んでいるものは、ご自身が子どもの頃に経験した事柄、存在した情景をご自身の心の中の想い出だけに留まらせておきたくないという強い願いではないかと感じた。人の想い出は、その人が亡くなってしまえば永遠に消え失せてしまう。それを何とか紙わらべという「かたち」にし、ずっとずぅっと「高木栄子の想い出」そして同じ想い出をもつ「みんなの想い出」として生き続けさせたい。後世に残したい。そんな思いが高木さんを憑き動かし、制作意欲の揺るぎない原動力となっているのではないだろうか。
生きた時代の違いから私は持っていない「想い出」も、そんな願いを感じで観れば、どこか懐かしい。「ああ、子どものころはこんなだったな」などと過去の1ページに浸ったりしてしまう。
何だかいつまでも去りがたく、後ろ髪を引かれながら会場を後にするとちょうど陽が傾いてきた週末の夕暮れ。秋の足音も少しばかり感じ、ふぅと一息ついて空を見上げ、ゆっくり歩きだしたのだった。。