部屋の整理をしていたら、自分が書いた文章が出てきた。今読んでも少し共感するのだが、やはり「悩み続けていた苦しくもよき日々」という感が強い。こういった心の葛藤を経たから今がある。大切なのは「あんな苦労をした、こんなに大変だった」と過去にいつまでも固執するのではなくて、悩んだことを無駄にしないように、今をそしてこれからをもっと志高く、自分を鍛えてゆくこと。
(以下、6年前のある日の書き付け)
生まれたと同時に、重いバトンを手渡されたような感覚をぬぐい切れずにいます。そして、そのバトンを握った人間は残された者たちに降りかかった「失った悲しみ」を「授かった喜び」でもって癒すと言う氏名を与えられている気がしてなりません。
こうして私は走り続けているわけですが、トラックを何周してもゴールは見えてきそうにありません。後ろから、早く早くと急かされている気さえします。その反面、ある時突然ゴールが目の前にやって来て、あるいは何かに躓き、一瞬にしてそれまでの足跡に対して幕引きが成されるのではないかと言う不安もあります。走っている間に味わう、この焦燥感から常にどこかで逃れたいと思っているのに、ゴールを目の前にするのも怖れている私は、一体どこへ向かい、何を持って自身の心が満たされる終焉とすれば良いのでしょう。私の人生に、春の木漏れ日の中を散歩するような穏やかな日々は、果たして訪れるのでしょうか。
何をも敵に回さず、しなやかに凛として、その日が来るまで生き続けるためには、結局、自分の手でこの心をほぐしていくしか術はないのでしょう。