親鸞(上) 五木 寛之 著
上下を読み終わって、感想を書けばよいものを・・・。でも、筆を執らずには、いえ、PCを開かずにはいられなかったのです。
これまで親鸞に関する諸本を読んで、私なりに理解していたことが小説になっている!!という感動が、まず今ここにある。加えて、これまであまり触れる機会がなかった親鸞の幼少時代も描かれていて微笑ましい。それだけではなく、その後の親鸞に少なからず影響を与える「人との出会い」や「出来事」がある。
ご存知のとおり、親鸞が徹底的に向き合ったのは人間に等しく宿っている「悪」=業、煩悩である。この小説のなかで親鸞は、どんなに修行してもどんなに書物を読んでも、自分の中から煩悩が消えることがない、読経していても頭の片隅には要らぬ煩悩が居座り自分を苦しめる、と嘆いている。それどころが遊女に迫られてあと一歩のところで煩悩の海に落ちていきそうな自分に愕然とする。
親鸞が入山した比叡山は徹底した縦割り社会だった。そもそもそれなりの家柄でないと入山できない場所ではあったが、そのなかでも入山した者は「ウエ」に行きたがった。着ている袈裟の豪華さを競い合ったりもしていた。厳しい修行や約束事があったにせよ、そこは俗世間とはかけ離れた場所だった。決められた修行を積み「自分はやりきった!」と言えば、ウエにいける現実でもあったようだ。そして、当時人気者だったのはのちの師、法然である。彼は念仏を唱えれば浄土へ行けると説いて幅広い階級、一般の民から支持を得た。天災や飢饉に怖れ、あえぐ世の人々の心の拠り所となったのである。しかし、支持を得た理由はもうひとつあった。それは念仏を唱えるときの声の美しさである。貴族はもちろん、一般の女性(にょしょう)までも彼の詠う声を聞きたくて連日彼のもとに通ったと言う。
親鸞は、そんな環境を否定したわけではなかったが、100%そこに身をうずめることがどうしても出来なかった。自分の中の煩悩が湧き上がるとともに、その煩悩を邪険に扱うこともできなかったからだ。そこには幼い頃の「経験」がある。ひとつは、同じように叔父の家に預けられ肩身を狭く過ごしていた幼い弟たちを残し、自分だけが比叡山に入山した苦い思い出。それは、もう大きな悪を犯してしまっているという自己否定に他ならない。もうひとつは、幼い頃に出会った法螺房という人物。彼は道端の死人の着物を剥がし、川に流す。そしてその着物を売って生計を立てる、そんな生活だった。彼曰く「野犬にめちゃくちゃにされるより、川に流してやって、魚の餌となるほうがよほど救われる」
それもひとつの「浄土」。念仏を唱えて苦しまず極楽へゆける。それも「浄土」。その対局を目の当たりに、そして逃れることができない自分の中の煩悩を抱え、若い親鸞は悩みに悩む・・・
上は、ここで終わる。さて、下ではこの煩悩・業との向き合い方がどう展開し、小説としての終わりを迎えるのか・・・楽しみです。
親鸞の教えを現代流に見れば、業と闘い決別し、悪のない自分を作り上げることが大切ではなくて、人間であるかぎりはどうにも決別できない業を認め、上手に付き合っていくことが大切、と私は捉えている。
そんな中で面白いツイートがあった。ツイートしたのは茂木さんだ。
失敗を忘れるにはどうしたらいいですか?という質問を受ける。基本的に、脳の中にいったんできあがった痕跡を消すことは難しい。それに注意を向けて思い出すと、かえってその回路を強めてしまう。だから、「忘れる」ためには、痕跡をけすというよりも、生きる上での重要度を低くしていけばよい。ほかのことに比べての相対的比重を小さくすればいいのだ。あることを思い出して生きるうえで邪魔になると言うことは、脳の中にいつもたどる「A」というルートができているということ。それ自体をけすことができなくても、「B」や「C」や他のルートを作って、そちらの方をよく使うようになれば、「A」自体は消えなくても、次第に使わなくなる。結局、「喜び」を基準にするのが良い。自分の脳が深い喜びを感じる新しいことに挑戦し続けること。そのことによって、脳の中にさまざまなルートが出来て、単一ルートにこだわらなくなる。生き方が、より柔軟でフレキシブルになっていくのである。それが「忘れる」力。
そうなのだ、痕跡を消すことばかりに注力する時間は無駄だ。とりあえず「A」は「A」で良いではないか、というのが私の考えだ。そして柔軟でフレキシブルになってくれば時々「A」のルートを歩いてみればよいのだ。すると、なぜ「A」になってしまったのかを客観的にみることができて「B」や「C」を進むときの糧となる。だから、簡単に失敗を忘れる人も良くない。「A」を落ち着いて振り返ることなく忘れ去ったら、結局他のルートも薄っぺらいものになる気がするのだ。それは茂木さんのいう「忘れる力」ではない。
角度は少し違うが、親鸞とこのツイート、得るヒントには共通点があると思うのだが・・・。