花のアート写真工房

Ⅰ:透明水彩画集
Ⅱ:旅エッセイ(海外編)

【アートに対する情熱は、青春そのものです!】

フォトエッセイ:尾瀬からのメッセージ~その6「生きる」

2009年04月25日 23時40分12秒 | 尾瀬からのメッセージ


            

            

           

 尾瀬は、自然の宝庫である。夕日が沈むと、虫たちの活動が始まる。無防備なひとは、なら蚊の大群に襲われるだろう。山小屋の主人は、昼間でも防虫用の網を頭からかぶって、薪割りをする。蚊も生きるために必死である。

 モウセンゴケは、雑草も生えないような栄養分のない酸性土壌に育つ。彼らの栄養源は、体の表面にあるねばねばした繊毛で虫を捕らえる。じっと眺めていると、捕らえる瞬間に出くわすかもしれない。まさしく自然の神秘である。

フォトエッセイ:尾瀬からのメッセージ~その7「まとめ」

2009年04月25日 23時39分50秒 | 尾瀬からのメッセージ
           

           

           

 尾瀬の自然は、まだまだ未知で無限大である。もっとゆっくりと見つめたい。自然から学んだことが、まわりまわって人の問題にはねかえって来るように思うし、人の道を教えてくれる。

 よく早足で木道を通り過ぎる人を見かけるが、たまには立ち止ってゆっくりあたりを観察しよう。きっと新しい発見があると思う。

 今の世の中、物にあふれ、食べることに事欠かない。そんなに努力をしなくても生きていける。また、人の気持ちや思いやり、自然破壊の代償も、物で解決しようとする風潮がある。残念なことであるが現実である。

 私は、この作品を通して、自然のスケールの大きさに比べ、あまりにも人がちっぽけな存在であることを痛感した。

フォトエッセイ:もうひとつの韓流ブーム~その1「素朴な少女」

2009年04月13日 15時28分19秒 | もうひとつの韓流ブーム0
                 

 ふっと立ち寄った韓国レストランで、ひとめで不思議な魅力を感じた少女に出会った。彼女は、シルクロードのテレビ番組でみた少女のように、ほっぺを赤くし澄んだ目をしていて、どことなく異国情緒を漂わせていた。
 子供の頃、12枚用のフィルムで24枚の写真が撮れるハーフサイズカメラの時代に、私は、垣根の前で鼻をたらしながら人差し指をしゃっぶている姿の写真があった事を思い出した。その写真はいつのまにかアルバムからはずされていた。彼女をみていると、その当時のことが思い出される。
 彼女は、日本に来て間もないためなのか、レストランのママさんを介して話が通じた。その内容は、おじいさんが中国人で、韓国語と中国語が話せると言う。自分の名前を漢字で書いてもらったら達筆なことに驚いた。今は日本語学校に通っているが、将来は大学に進みたいと話した。生活するためにうどん屋など深夜アルバイトをして、睡眠時間は毎日数時間と言う。志をもって来日して挫折する人が多いと聞く。ぜひともがんばっていただきたい。
 帰り際、握手した手のひらがカサカサであったことが印象に残った。
 

フォトエッセイ:もうひとつの韓流ブーム~その2「韓国レストランの料理人」

2009年04月13日 15時27分00秒 | もうひとつの韓流ブーム0
     

 日ごろ食事に行ったりしても、めったに料理を作る人にお目にかかることはない。もし、シェフに「食事のお味はいかがでしょうか」と聞かれたなら、とっさに「結構なお味です」という事でしょう。
 ちょっとしたきっかけで、料理人というより料理のまかないをする韓国人に話が聞けた。彼女は、年の頃は60歳代で日本に数十年暮らしている。彼女は、たどたどしい日本語をしゃべりその語尾に時々名古屋弁がまじる、ごく普通のおばさんであった。私は、話の中で「韓国に帰りたくないの?」と私の悪い癖であるズバリと相手の胸に突き刺さるようなことを言った。多少の沈黙がとても長く思えた。その後話題を変えてからは話が弾み、帰り際もっといてくれとせがまれた。それは、韓国ドラマの中でよくある、家に来てくださった方へのおもてなしの一場面とかさなった光景であった。
 彼女自身は気がつかないと思うが、私は、昔ながらの韓国の礼儀作法がいまだに受け継がれれいることに感銘を受けた。
 

フォトエッセイ:もうひとつの韓流ブーム~その3「接客業のリリちゃん」

2009年04月13日 15時26分37秒 | もうひとつの韓流ブーム0


 映画「男はつらいよ」シリーズでフーテンの寅さんが、いつものごとく恋をした相手役のマドンナ、浅丘ルリ子さんが演じた「りりー」をあなたは覚えていますか。「りりー」は、酒場を転々としながらも、お互い親身になって接し気持ちが通い合っていたのに、寅さんはどうしても結婚に踏み切れなく、映画を見ている私がやるせない気持ちになったことを思い出した。
 私の知っている接客業のリリちゃんも、店や携帯電話を転々と変えていた。彼女は、日本人に恋をし、悲しい思いもしていた。私の頭の中では、「りりー」と重なり合っていた。そんな彼女には、本国で小学校に通っている少女がひとりいる。学力優秀な自慢の子で、両親が面倒を見ているという。その話になると顔が生き生きとしてくる。当然、携帯電話の待ち受け画面は、その子の笑顔である。でも、お母さんの誕生日に楽しそうに電話をかける親思いの彼女は、今は消息がわからない。
 餓死した赤ん坊を抱きながら、大粒の涙を流して悲しんでいるお母さんの映像をテレビで見たことがある。どこの国に住んでいようが、人の心は変わらない。