肌寒さを感じる早朝、私は、広い道路の反対側にある女子高等学校を何気なく見た。女子高生は、駆け足で学校の方に走り、門の前には腕を組んだ男性教師とおぼしき光景が目に映った。ここはソウル、映画「冬のソナタ」の最初のシーンと錯覚しそうだ。たしか映画は、相当前に作られた作品であるが、今まさに現場にいるような驚きを持った。
この街は、予備校が多く終了の9時ごろになると周辺の歩道にたくさんの方が交通整理を始める。道端には、バスが数台連なる。その光景を見て、私は、韓国の受験競争の激しさをまのあたりに感じると共に、将来、国を担うであろう子供たちに対する大人の心遣いを感じた。
十字路の一角にドーナツ専門店があった。夜遅かったためなのか、店の中はガランとしていて、片隅にアベックがジュースを飲んでいた。私は、店に入るや否や「コーヒー」をちょっときどって「カッフィー」といったら、店員さんはきょとんとした顔をして通じなかった。仕方なく私は商品を指で示して注文した。
少したってから、隅に座っていた人が寄り添ってきて日本語で話しかけてきた。紙コップの飲み口の折り重なっているところをめくると当たりはずれがあることを知らせにきたのだ。彼は、日本人と一緒に仕事をしているとの事で、流暢な日本語であった。
私は、韓国に来て人と話す機会が少なく嬉しかった。そのお礼を込めて二人の写真を撮り「プリントができたら、写真を送るからね」と言って別れた。
その後、ふたりから写真のお礼のメールが英文で届き、その内容に私は驚いた。それは、数ヵ月後に結婚するという文面であった。二人の微笑んだ写真は、クリスマスイブの頃に届いたであろうと勝手に想像し、私は、」花のキューピットではなくフォトキューピットを演じ、エンジェルになった気がした。
ある韓国語を教える教室で、在日韓国人二世のおばさんが聴講しに来たことがある。先生の話によると、彼女は、流暢な韓国語を話すが、字が読めなくしかも書けないためにべつの教室に通っていると言う。彼のメールの返事が遅く、英文であったのはそのためではなかろうか。
私の韓国旅行では、いろいろな方にご迷惑をおかけした。私は、ある都市からソウル向かうためにハングル語が読めないため時刻のみで確認して乗ったら、私が座るべき場所に他の人が座っていて途方にくれた。ちょっと前、日本では有名人のダブルブッキング問題が話題になっており、ここでもそのようなことがあるのかなぁと思った。しかし、実は偶然にも同じ時刻に発車する反対方面の列車に乗ってしまったためである。近くにいた乗客に、満員の通路をかきわけながら車掌さんに知らせていただき大変助かった。
また、地下鉄の乗り継ぎで困っている時に声をかけていただくなど、多くの人の心の温かさを感じた。