花のアート写真工房

Ⅰ:透明水彩画集
Ⅱ:旅エッセイ(海外編)

【アートに対する情熱は、青春そのものです!】

フォトエッセイ:もうひとつの韓流ブーム~その4「外国人でにぎわう観光名所」

2009年04月13日 15時26分18秒 | もうひとつの韓流ブーム0
        

        

 北海道に住む甥の結婚式に参列するために札幌駅で降りたった。道案内の表示板を見ると、英語、中国語そして韓国語で書かれていた。私は、常日頃そんなにまじまじと表示板を見なかったためなのかそのことに驚いた。後で姉に聞いてみると、北海道は、外国の旅行者が多いと言う。
 結婚式の後、私はなだらかな丘の景観で有名な美瑛に向かった。景色を撮りたかったことよりも、韓国人旅行者に会いたかったためである。特に、丘を巡る周遊バスは外国人に人気である。私が乗ったバスは、約半分の乗客が中国、台湾、韓国からきた東南アジアの人であった。発車は時刻どおりに運行すると思いきや、そうはいかない。国民性の違いかもしれない。きっと、バスガイドさんは胃薬を服用していることでしょう。
 ガイドさんが左手に見えます畑は大豆畑「ビーンズファーム」と流暢な発音で説明し、外国の方と私は頭を縦に振ってうなずいた。JRの外国人の多いツアーには、」英語の堪能なガイドさんを配置するのかなぁと感心した。しかし、旅から帰ってそのことを娘に話したら「ビーンズファーム」ではなく「ソイビーズファーム」と訂正された。

フォトエッセイ:もうひとつの韓流ブーム~その5「在日韓国人三世のパワー」

2009年04月13日 15時25分59秒 | もうひとつの韓流ブーム0
         

         

 数十年前までは、このようなタイトルで文章を書くこと自体、歴史的な背景や政治的な意味合いで敬遠されてきた。しかし、韓流ブームのおかげで、お互い市民レベルでの交流が盛んになり表現できるようになった。そんな中で開催された韓国映画祭で上映された「まぶしい一日」を鑑賞し、トークショーにも参加した。
 映画の内容は、韓国から日本に渡って強制労働をさせられ、苦しい生活を強いられたおじいさんが、韓国で埋めた宝物を孫が探すところから話が始まり、私にとっては難しくて理解しがたい内容であった。
 しかし、映画が問いかけたことは、彼は、在日韓国人は日本人でもなければ韓国人でもない存在で、自分の居場所がどこにあるのかということであった。
 主演を演じた在日韓国人三世のソ ヨンファさんは、討論の中で「私の周りにいる若者は、映画のような歴史的なわだかまわりはない。私は、在日韓国人として日本と韓国の文化交流の架け橋になりたい」と熱く語られた。
 海の向こうの韓国でも在日三世の人がストリートダンサーとして活躍している姿を見て、在日三世のパワーのすごさに私は胸を熱くした。
 
 

フォトエッセイ:もうひとつの韓流ブーム~その6「韓国の風物詩」

2009年04月13日 15時25分37秒 | もうひとつの韓流ブーム0
        

        

        

 11月中旬になると、オンドルの暖房が使われ始める。私の泊まっている所もオンドルの床暖房で暖かくなった。そして、その寒さの時期になると韓国の風物詩であるキムチ作りで市民はあわただしくなる。
 学生街にあるファーストフード店で食事をした。店員さんがメニューを片言の日本語で説明したが、私は理解できずにどうしたらよいのか判らなかった。その時、調理場から次々に運ばれてくる料理ををみて激辛ラーメンに決めた。キムチはおかわり自由である。飲食店では、どこに入ってもこのように日本で言う「つきだし」がある。食事をする時には、その「つきだし」にキムチ以外に、どんなものがあるのかを考えながら注文すると経済的である。このように各家庭で食べる分の含めるとキムチの消費量は莫大である。
 日本に帰ってから、私は韓国料理のランチセットにはまった。料理もさることながらその空間がなんとなく異国情緒があって楽しい。教室に通ってキムチ作りにも挑戦した。なかなか難しくて私の自慢料理になるかは定かではない。

フォトエッセイ:もうひとつの韓流ブーム~その7「ドラマ的な出会い」

2009年04月13日 15時25分16秒 | もうひとつの韓流ブーム0
       

 肌寒さを感じる早朝、私は、広い道路の反対側にある女子高等学校を何気なく見た。女子高生は、駆け足で学校の方に走り、門の前には腕を組んだ男性教師とおぼしき光景が目に映った。ここはソウル、映画「冬のソナタ」の最初のシーンと錯覚しそうだ。たしか映画は、相当前に作られた作品であるが、今まさに現場にいるような驚きを持った。

 この街は、予備校が多く終了の9時ごろになると周辺の歩道にたくさんの方が交通整理を始める。道端には、バスが数台連なる。その光景を見て、私は、韓国の受験競争の激しさをまのあたりに感じると共に、将来、国を担うであろう子供たちに対する大人の心遣いを感じた。

 十字路の一角にドーナツ専門店があった。夜遅かったためなのか、店の中はガランとしていて、片隅にアベックがジュースを飲んでいた。私は、店に入るや否や「コーヒー」をちょっときどって「カッフィー」といったら、店員さんはきょとんとした顔をして通じなかった。仕方なく私は商品を指で示して注文した。
 少したってから、隅に座っていた人が寄り添ってきて日本語で話しかけてきた。紙コップの飲み口の折り重なっているところをめくると当たりはずれがあることを知らせにきたのだ。彼は、日本人と一緒に仕事をしているとの事で、流暢な日本語であった。
 私は、韓国に来て人と話す機会が少なく嬉しかった。そのお礼を込めて二人の写真を撮り「プリントができたら、写真を送るからね」と言って別れた。
 その後、ふたりから写真のお礼のメールが英文で届き、その内容に私は驚いた。それは、数ヵ月後に結婚するという文面であった。二人の微笑んだ写真は、クリスマスイブの頃に届いたであろうと勝手に想像し、私は、」花のキューピットではなくフォトキューピットを演じ、エンジェルになった気がした。
 ある韓国語を教える教室で、在日韓国人二世のおばさんが聴講しに来たことがある。先生の話によると、彼女は、流暢な韓国語を話すが、字が読めなくしかも書けないためにべつの教室に通っていると言う。彼のメールの返事が遅く、英文であったのはそのためではなかろうか。

 私の韓国旅行では、いろいろな方にご迷惑をおかけした。私は、ある都市からソウル向かうためにハングル語が読めないため時刻のみで確認して乗ったら、私が座るべき場所に他の人が座っていて途方にくれた。ちょっと前、日本では有名人のダブルブッキング問題が話題になっており、ここでもそのようなことがあるのかなぁと思った。しかし、実は偶然にも同じ時刻に発車する反対方面の列車に乗ってしまったためである。近くにいた乗客に、満員の通路をかきわけながら車掌さんに知らせていただき大変助かった。
 また、地下鉄の乗り継ぎで困っている時に声をかけていただくなど、多くの人の心の温かさを感じた。

 

フォトエッセイ:よさこい鳴子おどりパワー~その1「少女のしぐさ」

2009年04月12日 20時10分32秒 | よさこい鳴子おどりパワー
         

         

 「あっ、また笑った」
 カラフルな衣装を着たかわいい少女に出合った。大勢の前で踊ることの恥じらいなのか、カメラのレンズを気にしてなのか、はにかみながらベロを出した。何をしてもとてもチャ~ミングである。
 
 そういえば、私も物事に集中しているとき、無意識によく舌を出す。半開きの口からよだれがたれることもしばしばある。その瞬間、周囲をキョロキョロし、誰も気がつかないことにほっとする。娘に注意された時には、これは親父からの遺伝だと開き直る。父は年賀状を毛筆で書く時、必ずと言って舌を半開きの口から出す。
 
 よさこい鳴子おどり(以下:よさこい)の魅力は、毎日送っている生活からキラキラした夢のような世界に、踊り子ひとりひとりが身をゆだねることができるからだ。踊りモードに顔をメークし、羽衣の衣装を着れば、さぁ、舞台の始まりである。