【前回の続きだよ~】

国宝の南大門だよ~
平安時代の応和2年(962年)8月に台風で倒壊後に鎌倉時代の正治元年(1199年)に復興されたもので東大寺中興の祖である俊乗坊重源が中国・宋から伝えた建築様式といわれる大仏様(だいぶつよう、天竺様・てんじくようともいう)を採用した建築として著名であり大仏様の特色は貫と呼ばれる柱を貫通する水平材を多用して構造を堅固にしていること天井を張らずに構造材をそのまま見せて装飾としていることなどが挙げられ門内左右には金剛力士(仁王)像と石造獅子1対(重文)を安置し1層目の屋根の上には「大華厳寺」と書かれた扁額が掲げられており古い記録にそのような扁額があったと書かれていたことに基づき2006年10月10日に行われた「重源上人八百年御遠忌法要」に合わせて新調されたものだそうだよ~

南大門の仁王さまだ!!

反対側にも仁王様だ!!
木造金剛力士立像(国宝) で高さ8.4メートルの巨大な木像で門の向かって右に吽形(うんぎょう、口を閉じた像)左に阿形(あぎょう、口を開いた像)を安置する。これは一般的な仁王像の安置方法とは左右逆である。1988年から1993年にかけて造像以来初めての解体修理が実施され像内からは多数の納入品や墨書が発見されたそうでそれによると阿形像は大仏師運慶および快慶が小仏師13人を率いて造り吽形像は大仏師定覚および湛慶が小仏師12人と共に造ったものだそうでこれは「阿形像は快慶・吽形像は運慶が中心になって造った」とする従前の通説とは若干異なっているが運慶が製作現場全体の総指揮に当たっていたとみて大過ないそうだよ~

周辺には鹿さんがいっぱいいたよ~

中門が見えてきたよ~

東大寺東南院旧庭園までたどり着いたよ~
もうすぐ大仏殿かな??
【次回に続きます】

国宝の南大門だよ~
平安時代の応和2年(962年)8月に台風で倒壊後に鎌倉時代の正治元年(1199年)に復興されたもので東大寺中興の祖である俊乗坊重源が中国・宋から伝えた建築様式といわれる大仏様(だいぶつよう、天竺様・てんじくようともいう)を採用した建築として著名であり大仏様の特色は貫と呼ばれる柱を貫通する水平材を多用して構造を堅固にしていること天井を張らずに構造材をそのまま見せて装飾としていることなどが挙げられ門内左右には金剛力士(仁王)像と石造獅子1対(重文)を安置し1層目の屋根の上には「大華厳寺」と書かれた扁額が掲げられており古い記録にそのような扁額があったと書かれていたことに基づき2006年10月10日に行われた「重源上人八百年御遠忌法要」に合わせて新調されたものだそうだよ~

南大門の仁王さまだ!!

反対側にも仁王様だ!!
木造金剛力士立像(国宝) で高さ8.4メートルの巨大な木像で門の向かって右に吽形(うんぎょう、口を閉じた像)左に阿形(あぎょう、口を開いた像)を安置する。これは一般的な仁王像の安置方法とは左右逆である。1988年から1993年にかけて造像以来初めての解体修理が実施され像内からは多数の納入品や墨書が発見されたそうでそれによると阿形像は大仏師運慶および快慶が小仏師13人を率いて造り吽形像は大仏師定覚および湛慶が小仏師12人と共に造ったものだそうでこれは「阿形像は快慶・吽形像は運慶が中心になって造った」とする従前の通説とは若干異なっているが運慶が製作現場全体の総指揮に当たっていたとみて大過ないそうだよ~

周辺には鹿さんがいっぱいいたよ~

中門が見えてきたよ~

東大寺東南院旧庭園までたどり着いたよ~
もうすぐ大仏殿かな??
【次回に続きます】