
日本橋の上から見える中村座だよ~
元祿時代の江戸には幕府から許された四つの芝居があったそうだよ~
これを大芝居って言うんだって~
正徳四年(一七一四)有名な江島生島事件で山村座が取り潰されてしまい以後は中村・市村・森田の三芝居だけで「江戸三座の制」と呼ばれて明治五年までつづいたんだよ~
中でも中村座は三座の中心的な存在で江戸歌舞伎の象徴だったんだよ~
中村座という座名は「中村勘三郎座」を省略したもので創設当初は猿若座と呼ばれていたんだよ~
江戸の劇場と興行のしかたは上方の京や大坂とは違っており幕府から興行の権利を与えられるのは個人だったんだよ~
木戸の上に高く掲げる櫓は興行権の印ですから「櫓をあげる」といったんだよ~
興行の権利を与えられた人はその名義を代々世襲して受け継ぎそれが「座元」で彼は自分の劇場を持ち一座の役者を雇用して統括し興行上のすべての責任を持ったんだよ~
ですから座元の権威は絶大なもので役者をはじめ芝居関係者全員から厚い尊敬を受けていたんだって~
「今日は芝居が見れるのかな??」
元祿時代の江戸には幕府から許された四つの芝居があったそうだよ~
これを大芝居って言うんだって~
正徳四年(一七一四)有名な江島生島事件で山村座が取り潰されてしまい以後は中村・市村・森田の三芝居だけで「江戸三座の制」と呼ばれて明治五年までつづいたんだよ~
中でも中村座は三座の中心的な存在で江戸歌舞伎の象徴だったんだよ~
中村座という座名は「中村勘三郎座」を省略したもので創設当初は猿若座と呼ばれていたんだよ~
江戸の劇場と興行のしかたは上方の京や大坂とは違っており幕府から興行の権利を与えられるのは個人だったんだよ~
木戸の上に高く掲げる櫓は興行権の印ですから「櫓をあげる」といったんだよ~
興行の権利を与えられた人はその名義を代々世襲して受け継ぎそれが「座元」で彼は自分の劇場を持ち一座の役者を雇用して統括し興行上のすべての責任を持ったんだよ~
ですから座元の権威は絶大なもので役者をはじめ芝居関係者全員から厚い尊敬を受けていたんだって~
「今日は芝居が見れるのかな??」
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