

それでも、半巾帯のサンプルだけは織りました(笑)
未熟の綿の欄で紹介した写真です。実はまだ手元に残っていて、用途に困っていました。
このボコボコしてふわふわした感触、マフラーは成功でした
そこで、次に考えたのがクッション
以前から挑戦したかった「暮らすように織りを楽しむ」で紹介されている「浮かし織り」
「織布のどちらを選ぶか」で紹介しました。
でも、この浮いた糸
このクッションを日常として使うとどうなるか…
単糸のそれも撚りの弱い糸は、摩擦に弱くて すぐに切れていきます
日常の道具としてはあまりよろしくないのでは…と気が付きました。
暮らしの布を織るにあたっては
ブークレのふわふわ感だけで、見た目の面白さだけを追いかけては良くないのだ思いました。
民芸の面白さというのは、
ただ綺麗だとか素朴であるとかという前に、
使い勝手と機能性も考慮されなければ
それは暮らしの道具とは言えないと、ある人が言っていました。
そしてそこに面白さと粋が加わることによって、愛させる道具となるのだとも
難しいです。単に好きで織っているだけですから、そこまで考える必要はないだろうとも思うのですが
身をもって実感した織物でした。
自分流で機織りを始めたころは、何もわからないままメモノートに適当に記録していました。
とにかくそんなに長く続けようとは思っていなかったのです。
ところが思いのほかその面白さの深みにはまってしまい、このままでは進歩はないと思って、
ネットで探し当てた当時数少ない機織り教室に通うようになりました。そのころ教室の生徒は私を含めて二人だけ。
先に入った方も、私より2~3カ月ほど前だそうで、二人とも殆ど素人でした。
そこで織りの基礎からそのデーターの保存方法までを教えていただき、今に至ります。
この間に本棚はデータファイルと関連資料等でいっぱいになりましたが
ここで一つ問題が…
以前の作品を参照しようとしても、すぐにファイルが見つからないことが最近度々あるのです。
記憶力も頼りなくて、探すことの方に時間を費やすことが多くなってきました
そこで、このブログを利用して、カテゴリー別のファイルを新たに作りました。
ブログを印刷し、作品のデータファイルのナンバーを手書きで入れてリンクさせています。
ただ、時に思うのです。
こんなことこの先どれほど役に立つのかしらと…
時間をかけて古い記憶をたどった方が良いのかも などと
写真は自宅
上:藍、エンジュ、タンガラ染め
下:左 紅花、緑綿、白綿、藍、茶綿 右 桑の実
奈良への旅と同じころ
やはりテキスタイルスクールの先生の勧めで大原工房を訪ねました。
草木染と糸紡ぎが目的で、前日から宿泊を含めて3泊4日(講習は3日間)
糸紡ぎは経験がありますが、熟練者の手わざを見たかったから
思っていた通り綿の繊維の動きから紡がれる糸の太さの違いを
理にかなった説明を頂けました。
これまでの漠然と理解していたことが確信へと変わっていきました。
この時の大原工房の写真は残念ですがありません。
当時まだ私はガラ携帯時代でしたし、デジカメを持っていましたが写す間もないくらい
とにかくハードでした。
一日の講習が終わると宿にまで糸車を持ち込み、夕食後も遅くまで紡ぐのです。
もちろん、宿のご主人は慣れたものです。
翌朝は軽トラで工房まで糸車を運んで下さるのですから。
最終日は自分で紡いだ糸の草木染です。
茜、エンジュ、藍
種類は少ないですが、重要なのは工程です。
染め小屋の中で汗だくになりながらの精練、水洗い等
体全体で綛をくる動きに身も心もすがすがしい思いがしました。
<追記>
川島テキスタイルスクールのワークショップでも染色の講習があります。
染色だけの講座ではなくて、織りの基礎講座でも絣や組織織の講座の中でも染めの勉強と実習があります。
川島テキスタイルスクールの先生の勧めで、奈良県立民俗博物館で催されていた「奈良さらし」のワークショップに出かけたのは今から7年前でした。
そこで見たのは文献でしか知らなかった「苧うみ(糸績み)」でした。
奈良晒は奈良上布ともよばれ、室町から江戸時代にかけて麻織物の一級品としての評価を得ていたものの
明治からは衰退の一途をたどりました。
昭和54年に奈良県無形文化財に指定され技術の保存の機運が起こったのを機に
昭和58年に月ヶ瀬奈良晒保存会が発足し現在(2016年)27名の会員によって伝統を継承するための活動が続けられていると
説明文に書かれていました。
月ヶ瀬の皆さんからご指導していただきながら初めて績んだ「糸」です。頼りないほどに細い麻糸
これに撚りをかけて、綛掛け、枠掛けを経て整経に至ります。
機織りも少しですが体験させていただきました。
この数か月後、名勝依水園でも「まぼろしの布をもとめて」と題し、奈良晒の紹介があったので出かけてきました。
ここでは、ワークショップは催されず展示が主でした。
ただ、終了間際の「砧打ち」の職人さんのお話しは、この奈良上布の技術継承の危機的なものを感じました。
暮らしに必要とされて発展した「織物」
時代が流れて、織物は一部をのぞいて大半が機械化されて
糸績み、糸染、絣の括り、絞りの括り、機掛け、仕上げ‥などそれぞれの専門職人が消えていきました。
これは仕方のないことかもしれないけれど、これでいいのだろうかと一抹の不安と疑念の残った奈良の旅でした。
参考文献
日本図書センター 日本伝統織物集成