アンヌはまた少しも恐怖という事を知らなかった。一九一三年の春、二歳になるかならぬ時、動物園に二倍の年かさの従姉と共に連れて行かれた。ジラフ(giraffe=きりん、麒麟)を見た二人は、 感極まって呆然としていたが、我に驚るこ急に後から従姉の身体を抱えて「さあ私が抱いていて上げますから撫でておやりなさい、」と姉顔に言った事もあった。生来の大胆さは時には度を過すほどで、しばしば燃え立つ熱心を抑制しなければならなかった。また、彼光の命令的な傾向を圧倒する必要があった。二人は大きな砂山で遊ぶことになった。痩せ型で神経質なアンヌは、じきにその頂上に馳せ上がって、先がけの功名を誇った。相手を同じく引き上げようとしたが、怖がって泣き出した。するとアンヌは、大威張りでその臆病な事を罵り、人が見付けてこの暴君の手から憐れな子を引き離して救うまで、泣くのも頓着無しに、引張ったり、突き飛ばしたり、乱暴に小突き回したのであった。
また或る時は、たいそうチョコレートを欲しがって、いつまでもねだって止まなかった。だれかがその箱を、子供の手の届かないガラス戸棚の上の安全地帯に載せてしまった。折よくそこに来客があって、大人が話に身を入れている間に、今こそとこの意地汚しは、こっそりそのその隅に椅子や腰掛を高く積み上げて踏み台を築き上げ、望む物を取ろうと企てた。 足場の釣り合いを取ってよじ登り、いよいよ望みの袋を手にいれようとする刹那(せつな)、気づかれて捕らえられ酷く叱られた。これによって見ても、穏やかな性格にに生れ付いていたのでもなく、意地汚しという汚名を免れ得ないのである。強情に生まれついていて、自分の望みに対しては少しも障害を認めず何事も為し通し、どうしても自我を立てるのであった。それは戦争中の事であった。ある日、父の傷口の手当てをしている部屋に入ろうとしたところ、事もあろうに、アンヌの御意を遮った者が有ったので、戸も割れんばかりに猛り立って、なだめ静ませる迄には大骨折りであった。このような癇癪持ちが柔和その者のごとく、徳を勝ち得たのである。
しかしまた、アンヌには情の厚い一面もあった。驚くべき熱情をもってすべてを愛した。しかし同時にこの愛情があまりに過ぎて、抑えきれぬ嫉妬の焔ともなって燃え立つのであった。後には心から愛し、慈しんだ弟のジャックが生れた時、彼女は僅かに十四ヶ月であったが、母が最早自分の事だけしてくれず、独占できない事が我慢できなかった。可哀想に、この邪魔な赤ん坊は生れ出るとすぐ、罪もないのに悪い待遇を受けた。ある日、床の上で、アンヌの手の届くところの敷物の上に、寝かされているのを見るや、善い機会とばかりまっしぐらに駆けて行って頭を打った。また別の時、母の膝に抱かれている赤ん坊の眼を目掛けて埃(ほこり)を投付けたほど、幼心にも嫉妬心が盛んであつた。幼時の写真を見れば、 その勝気な性質が窺われるであろう。
(二、幼き霊魂の戦場 終わり → 三、最初の発心)
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