二、幼き霊魂の戦場
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私共は世を去ると、救主の如く我等の父の御国に移されるのであると信じている。 アンヌも幼心にこれをよく悟っていた。しかし今、この悲しみの極みに彼女は殉教者の 血が、善き種子となって芽ぐむ事を知ってたであらうか。父の死はあまりにも酷く辛い。 しかし父の死は事実彼女にとって大不幸であったが、また同時に大なるめぐみをもたらした。 その理由は、この打響が彼女を全く変えてしまった。そしてアンヌの霊魂の真の改心の原因となったのであった。発心後、彼女は犠牲に向かって完全に突進するに到った。今まで見えなかった父の德を、全部受継いだに違いないと思われるのであった。生来彼女は真に豊かに、天主より恵まれていた。真直な忠実な霊魂、生き生きとした鋭敏な知恵、屈せぬ意志、勇気、機敏にして確実な決断力、微妙な感受性を持ち、はつらつとした自発心、敏捷に活動する慈愛の心は、彼女のどんなに小さな行為にも、自然の魅力と快い気軽さを添えたのであった。何か決意した時には大変に理知的で、敏捷で、極度に献身的であった。
しかし豊かに長所を恵まれたと同時に、一方多くの欠点を持ち、又それが並々ならず目立っていた。その性質の奥底にも、非常に激昂し易い熱烈な感情が有って、些 細な動機にも直ぐ興奮すると、抵抗出来ぬ憤怒となって破裂するのであった。服従す る事は絶対に嫌であったから、よほど手厳しく取り扱わねば、その強い心を挫く事は不可能であった。四人の子女の中で、アンヌは確かに最も扱い難い子で、いまだ本当の赤ん坊のころから人々の持て余し者であった。彼女の第一の動作は反抗であったといえる。
ようやく片言を言い初めた頃、病気になった。容態が面白くなく案じられたので、診察を受けねばならなかった。医者はこの大変な子供に寄り付きもならなかった。無理に診察しようと手を出すと「帽子を取ってさっさと出て行きなさい。」と威嚇的に命ずるのであった。両親は、この様な難しい性質を持つ子供である事を見せつけられ、心から案じた。このようにアンヌは、激情の持主であることを、つとに現はしていた。後に 「アンヌは些事(さじ)に到るまで従順であったが、子羊の如き優しさに生れついていなかった事を、記憶に呼び起こす必要がある。
非常に利己的で、我意の強い彼女が、後にその徳の香りとなって特に著しかった、真に柔和な謙遜を勝得るに到るには、尋常ならぬ戰闘がなければならないのである。そのうえ、大変に、専制的で、驚くべき決断力に富み、人を御する力を持ち、何時も先頭に立って命ずるのであつた。この霊魂の辿った改心の努力を明らかに知るには、その生来の性質をよく観察すればよい。些細な取るに足らぬ事の如く見えることでも、それによってこの子供を知るには充分である。この子供が後に如何に控えめになり、遊ぶ時でさえ自我を忘れ切っている様子は、人をば其の変化の大なるに驚かせる。次は変化前の彼女である。
ある時、オービニイの組父の処で、従兄姉達と遊んでいたが、年からいうと遥かに小さいアンヌが、思いのままに他の従兄姉達を統御して、一同を自分の周囲に集めている様子に、驚きの目を瞠らぬ(みはらぬ)者はなかつた。しかもそのとき、彼女は僅か三歳であった。
(つづく)
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