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愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第一章 生涯の第一歩(3) 

2019-10-26 06:26:30 | アンヌ・ド・ギニエ

 
 やや苦痛が薄らぐと、ド、ギニエ中尉はまたしても戦線に戻る望みに騙られた。一九一五年五月三日は、いよいよ 彼の最後の出陣の日で、家族に別れを告げた。虫の知せと俗にいうが、如何なる、予感を受けたのか、彼は斯(かか)る危険の中に在っては、死の遠からず来る事を宣告した。どんなに熱烈に彼は愛児等を我が胸に強く抱きしめた事であったろう。 そして雄々しくフランスの為、その命を捧げんものと、家族を後にクールを発った。
 彼の戦死の訃報は、七月二十九日の午後九時頃クールの城にもたらされ、美しく楽しか つたこの古城は暗雲に閉された。覚悟の上とはいえ、国の為、正義の為とはいえ、四人の幼児を残して先立った夫の悲しい訃報は、どんなに痛ましく、ド、ギニエ夫人の心に響いた事であらう。夢であってほしい、誤報であってほしいと思わなかったであろうか。彼女もギニエの妻、勇士の妻である。夫の死後、四児の教養に専心勤め、立派に夫の遺志を果たしたのである。
 勇敢な伯は、最近大尉に昇進し、七月二十二日の激戦には先陣に立って一隊を引卒し、 熱しい突撃中ついに倒れたのであった。彼は前日告白をもって、立派に死の準備をしていた。隊付の司然は言っている。「彼は一隊の先頭に在って単純に共の義務を果した。自分が此度戰地に来て、聖職を奉じている間に多くの勇士に出会ったが、その中でも ド、デニエ大尉は歴史上伝えられている、名勇士の一人として加えらるべき、勇士中の勇士であった」と。
 その攻撃は朝から八時間にわたる、恐るべき砲撃であった。細い塹壕内で決死の合戦に向う伯と彼の一隊が、上記の司祭の目前に跪くと、神に代って司祭は掩祝(=祝福)を与えた。突然、大砲弾が恐ろしい一大音響と共にすぐ間近に落ちて、地面に大きな穴を穿った。大地は震動し、然りそこは修羅の巷(ちまた)と化し、目も当てられない悲惨な光景を現出した。負傷者は血に塗れて苦痛に悶えうめくのであった。幸いにも危難を免れた者らも、 今迄辛苦を共にした戦友の痛ましい姿、苦しむ聲を目近に見聞きしては、一人としてロを開く者もない。悶え苦しむ兵士等を後陣に運ぶ一隊を率いて、銃剣を手に悲壮な面持で、キニエ大尉は無言に進んで行った。
従軍部然は「デュエ大尉は自分の前を過ぎつつ、感ずべき沈着なる態度で微笑を浮べて敬礼し、我が与えた祝福に対して十字架のしるしをもって応えた。」と言っている。 それが聖なる勇士の残した最期の英姿である。大尉は戦死直前、彼の率る一隊と共に勇ましく、或る重要な一地点を占領し、その頂点は駆け登った。兵卒等は彼等の誉れとする隊長に心服し切っていたので、我れ後れじと隊長の範に倣い、その高地に突進した。 あ、しかし、惜しいかな、その地点に至るや、彼は頭を射抜かれた。気丈夫な彼は、それでも未だ数歩を運び、ついに血に塗れて倒れた。かくてこの勇士は、再び起つ事なく、 生命を神と国家と正義に、捧げたのであった。天主は彼の血を救主の聖い(とうとい)御血に併わすべく計い給うたのである。
 悲報は翌朝アンヌの枕辺を驚かせた。それが敏感な彼女の心に、どんな深手を負は したかは想像に難くない。湖の面(おもて)にも山々の岩にも、輝かしく生々と楽しげに日は照っていた。庭園の樹々のこずえには種々の小鳥が競ってさえずり、花園には色とりどりの花が咲き匂っていた。しかしフランスの爽やかな日和に、この遺児たちは暗黒に襲われ、暴風に吹きまくられた如く、心は暗く重く痛ましかった。彼らは愛する父を再び見る事は出来ない。耳馴れた足音も又と聞かれない。父の暖かい接吻もその額に又と感じられないのである。豊かな朗らかな彼の聲も、アンヌの耳には再び響かぬのは本当であらうか。
 その頼もしい力は彼女をもはや守らない。その優しい樣子、情深い微笑もこの家庭を最早浮立たせることはないのである。愛する父は世を去った。不幸な出来事は深く心に刻み付けられた。アンヌの母はその時の事を記している。「彼女は悲しげに麗しげに私を見つめた。そして私と共に泣き、私を優しく抱きしめて慰めてくれた」と。
 
 (一、試練 終わり)



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