第8章
母様!私は誓願を立てる前の黙想会についてお話を致しましょう。この間は慰めを受けるというよりも却って見捨てられたようにこの上もない無感覚でありまして、イエズスはいつも私の小さき船(霊魂)の中に眠っておられました。ああ聖主を心の中に、静かに眠らせ参る霊魂等は至って稀であります。私はこの事をよく悟っております。この良き御主は進んで聖寵の種々の勧めをもって御慈しみを垂れ、人々の心をご自分の方に惹こうと、絶え間なく働き疲れておられるから、私が静かに主を休め参らせたい気があるのをご覧になって、甘んじて私の心の中に休み給うのであります。主は大方私が永遠の大黙想会(天国)に入るまで御眼を醒めますまい、しかし私はこれを辛いというよりも、却ってこれが為にこの上もない愉快であります。
まことに私はなかなか聖女ではありません。ただこの志だけでこれを証明しております。即ち私は自分の心の中に起こる無感覚の為に喜ぶよりも私の不熱心と不忠実に帰せねばなりません。また私は黙想の間や感謝の祈祷の間に度々眠ったという事を悲しまねばならない筈であります。しかし私はこれをあまり嘆きません。私は幼き子供等の眠っている時でも目覚めている時と同じ様にその親たちの気に入る、また医師は大手術を為す為に患者を眠らせるという事をも知っております。なお聖主は私等の弱き事、又私等が塵に過ぎない者であるという事をよくご存じであろうという事をも知っております。
かくのごとく私のこの誓願式の前の黙想会も……また後の黙想会も大いなる無感覚であって、少しの慰めをも得ない黙想でありました。しかし私は知らず知らずのうちに、天主様のお気に召す方法と徳を行う方法とを明らかに下されたのであります。イエズスは私に糧食を蓄えるさせるという聖慮がないという事を度々経験致しました。即ち主は必要のある度毎に必ず新しい代わった糧を以って私の霊魂を養って下さいます。そして私はこの糧がいかにして与えられたかという事が分からぬままにこれを受けているのであります。つまり私はただこう思っております……私の貧しく弱き霊魂の奥底に深く隠れておられるイエズズ様は、不思議な方法によって私の心の中で働かれ、現在ご自分の為に何をして欲しいかという事を、その都度私に示してくださるのであろう……と。
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