あくる日は、幾分か私の愉快が減りまして陰気な日となり、昨日貰った時計やその他の物品は私の心を満たすに足らず、その日から後は、ただイエズス様のみ私に満足を与えてくださることが出来たのであります。そこで私は再び聖体を受ける幸いを待ちかねておりましたが、御昇天の大祝日にあたって2度目に聖体を拝領することが出来ました。そのとき私は父とマリアの間に入って聖体拝領台に跪き、うれし涙を流しながら聖体を受けました。そしてその時「我は活くといえどもそれは最早我ではなく、イエズスキリストこそ我において活き給うのである」と聖パウロがガラテア人に贈られた書簡の内の句を何回となく繰り返し、それから後は度々聖体を受けたいという事を望み、それは大祝日に許されておりましたから、大祝日を待ちかねておりました。
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