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小さき花-第1章~7

2019-12-05 19:09:29 | 小さき花
 ああ母様! 私はその時代にいかに幸福であったでしょう。私はただ身長が伸びるばかりでなく善徳は非常に私の心に惹きつけていました。善徳を修める点については、今日と同じ心持ちであったと思います。何を為すにも自分の欠点に打ち勝とうと努める良い習慣を養いました。それは例え私の品物が取られても不足を言わず、理由なしに咎められたときにも、これを言い訳せず黙って耐えているという良い習慣をつくりました。別に力を尽くす訳ではありませんから、私にとってあまり功績であるということは出来ません。自然に行うようになっておりましたから。
 ああ、私のこの幼年時代!陽気にして愉快でした。この幼年時代がいかにも早く過ぎ去りましたが、私の霊魂にはいかに愉快で深い印象を残した事でしょう。
 私はいつも、日曜日に母と共に郊外に散歩した時の事を、喜びをもって想い出しました。その時心の中に起こった感じを今もなお感じております。緑の野には可愛らしい美人草とか矢車菊、また雛菊などが咲き乱れて花が野に敷いているように美しい景色はちょうど詩的のようです。また美しい蝶がこの自然の錦の上を飛んでいますので、私はいつもこの田園の清く美しい景色、広々とした事と美しいことが、私の心を奪って天国の事を思わせるのです。度々この長い散歩の間に貧しい人々に会うと、幼きテレジアは彼らに施しを持って行く役目をしておりました。これが彼(私?)にとっては非常な喜びでした。また少し遠いところに入った時には、父は小さき
女王の為に道が遠すぎると思い(私の望みに反して)他の者よりも、一足先に家に連れ帰るのですが、時には私を慰めるために、セリナは自分の手籠に雛菊の花束を摘み入れて持ち帰ってから与えてくれました。
 私のこの時代は、地上に於ける総ての物がみんな微笑を呈していました。一足ごとに花を見つけて私の幸福なる気質がなにもかも愉快に見せていました。しかし、間もなく新しい時代に入らなければなりません。私は早くからイエズス様の許婚になろうという望みでありましたから、幼年の時から苦しみにあう必要がありました。それでちょうど春の花が萌え出でる前、厳冬の寒さ、雪の苦しみを凌がなければならないように、いま自分の経歴を認めているこの「小さき花」も、まず試練の冬枯れに遭い、その柔らかなうてなの上に露と涙を注がなければなりませんでした。(一章終り)


読んでくださってありがとうございます。yui

小さき花-第1章~6

2019-12-04 19:08:30 | 小さき花
また、一日田舎に住居しているところに行かねばなりませんでした。そのとき母はマリアに向かって「テレジアに一番好きな衣服を着せ、腕を露わさないようにしなさい」と命じました。私はこれを聞いて扮装などは一向に頓着しないというような顔をして黙っておりましたが、腕を露わすようにして下さったならば、私はもっと可愛らしい風に見えるのに……と、心の中に思いました。
 私の性質は斯様に悪い傾向がありましたので、もしもこれが信仰の無い、徳の無い親に育てられたならば行く末必ず悪い者となり、自ら己の霊魂をも滅ぼすような哀れな者となったかも知れません。しかし幸いにも聖主は自分の小さき許婚に恩恵を垂れ、御眼を注いで下さったのでこの多くの欠点は利益になるようにお計らい下さいました。それでその欠点を矯め、これに打ち勝つようになり、ついにこれが善徳に進む便りとなりました。私は自尊心、自愛心と善を好む心を持っておりましたから、一度誰かに此れは悪い事である彼をしてはならぬと教えて貰えば、再びこれをする気になりませんでした。私は母の手紙を見て喜んでいるのは、私が成長するに従って益々母に慰めを与えておったという事であります。
 幸いにも私の周囲には、ただ良き模範ばかりありましたので、自然にこれを見倣っておりました。四歳前後の時に書かれた母の手紙の中に「……テレジアさえも犠牲を捧げようとする、マリアはセリナ、テレジアに犠牲の仕業を数える為に出来た小さいコンタツのような物を与えました。ところが感心にも此の幼い子供はそれから後、一日に何回となく懐中に手を入れて、些細な犠牲を捧げて数えるのです。また、二人が寄って時々面白い霊的の講話をしますが、ある時もセリナとテレジアとが何か問答をしているから、黙って聞いているとセリナに向かって「天主様はどうして小さい「ホスチア(聖体のパン)」の形色中におられる事が出来るのであろうか」と尋ねると、テレジアは「そんなに難しくはありません、天主様は全能であるからと」「それならその全能は」「何でも皆思うままに出来るという事です」と少しも困った様子がなく、すらすらと答えたのです。此の二人はなかなかの仲良しで、一緒にいれば一日退屈せずに遊んでいる。あるとき乳母がテレジアにつがいの鳥を与えたところ、彼女は直ぐに雄鳥を姉に与え、それから後、毎日食事が済むと姉セリナは雄鳥と雌鳥を捕らえテレジアと一緒に炉の傍で喜んで遊んでいるのです。ある朝も、乳母が衣服を着せ替えるためにテレジアの寝台に言ったが、一向に姿が見えないので驚いてあちらこちらを捜し、ようやくセリナの寝台の中に入っているのを見つけました。ところがテレジアは固くセリナを抱いて乳母に「二人はちょうど此の小さい鳥のようなもので離れる事が出来ませんと申しました……」と。
 実際、此の手紙にある通り、私はセリナを離れて一人でいる事が出来ない程仲良く食事の折りなどもセリナが先に終わって部屋を出ると、私は食事を棄ててまでも一緒に付いて出るくらい親しくありました。日曜日には教会に行くにはあまりにも小さいので母は私を留守番に残していった時には、音がしないように足のつま先で歩いて出て行かれました。しかし、私だけ家に残っておりまして、皆がミサから帰り家の門が開くと飛びたつばかりに嬉しく、すぐさま美しき小さき姉の側に走りより「姉さん、早く祝せられたパンを頂戴」と言って、セリナから祝せられたパンを貰うのが楽しみでありましたところが、ある日曜日セリナがこれを持って帰りませんでしたから、私は「これは私のミサとなるべきものであるから、どうしても食べずにいる事は出来ません。早く拵えてください」とせがみました。するとセリナはしばらく考えたあと、立って台所の押入れを開け、パンの一切れをとり、真面目になって天使祝詞を唱え終り、うやうやしそうにして私に渡してくれましたから、私は更に十字架の記しをして食べました。私にとっては本当に祝聖されたパンと全く同じ味があると思ったからであります。
 ある日レオニアは遊び事をするには年齢が行きすぎたと見えて、綺麗な籠の中に人形の衣類等を多数入れ、その上に自分の人形を置いて、私とセリナが遊んでいるところへ売る真似事に来ました。そしてその中の物を何でも選べと申しました。セリナは小さい紐を取りました。私は暫く考えてから「みんな選ぶ」と言って、遠慮会釈なく衣服も人形も籠までも取りました。(無論、この籠の中には好きな布も、嫌いな衣服も有ったでありましょう)私の幼年のこの一例はちょうど私の一生の略歴であります。(すなわち私は天主様に対して気に入る事だけ努め、気に入らない事をしないというような勝手な事をせず、いつも聖寵のすすめに従い、まったく聖慮に従ったのであります。)
 後、私は完徳が解るようになりましてから聖人になるには(一)多大の艱苦をなめる事(二)最も完全な方法を執る事(三)自分を全く棄てるという、この三つがなければならぬという事を悟りました。また、完徳にはいろいろの階級があって、各々の霊魂が聖主の恩寵のお招きに従うと否と、また多く愛すると、少なく愛するという自由、主が望み給う犠牲を選ぶ自由を持っているという事を悟りました。そのとき私は幼年の時のように「主よ、私は生半可の聖女となる事を望みません。みんな選び取って全き聖女となる事を望みます。私の最も恐れている唯一の事は自分の意思だけに依るという事でありますから、どうかこの私の意思を取り除けてください。私は主の為にいかなる苦難をも忍び、主の望み給う総ての事を皆選び行います」と祈りました。
 母様!私の申し上げる事が前後になりましたが、未だ少女の事を申し上げる筈でなく三歳四歳赤子の時代のお話しを続けましょう。
 その年に見ました夢は未だにありありと明らかに記憶しております。その夢は私がただ一人、庭園を散歩しておりました。俄かに木陰から突然見苦しい悪魔が二つ現われ、足は重い鉄鎖で繋がれてあるにも拘らず、そこにあった石灰の空き樽の上にすこぶる敏捷に躍り舞っているのを見ました。私のいるのに気づいたのか、少し驚いた風をして、私を燃える眼つきで睨みつけ、忽ち樽の中に飛び込みました。私は彼等が何をするかを知りたく思い、窓の方に行きました。すると彼等は私を恐れたのか、その空き樽に飛び込み、また飛び出したりして駆け回りました。終いには庭の方の洗濯部屋に隠れてしまいました。
 これはうたた寝の夢で、無論、この夢は何の不思議でもありませんが、しかし天主様は私に「聖寵の持っている霊魂は決して悪魔に恐れるには及ばない、悪魔は至って臆病な者であって、たとえ小児の霊魂でも聖寵に充たされておりさえすれば、これを退ける事が出来る」という事を深くさとす為に、この夢を利用なされたのであろうと思いました。(続く)

読んでくださってありがとうございます。yui



小さき花-第1章~5

2019-12-03 19:02:39 | 小さき花
 私は、もし父母を悲しませるような事をするか、父母の悲しそうな風でも見ると、そのままに済ます事が出来ぬほど、心が耐えられぬ様になり、直ぐに悪かったという事を悟って謝るが、これを慰めようと努めました。その証拠には母の手紙の中に次のような事が記されてありますから分かります。
「……ある日私は、一度テレジアを抱き寄せようと傍に行きました、が、良く眠っているように見えていたので、せっかく寝ている者を……と思い、そのまま部屋を出ようととすると、マリアは「お母さん、テレジアは確かに良く眠っている真似をしているのですよ」と申しましたから、私は可愛く思い、彼女の頬に私の顔を当てて抱き上げようとすると、てれじかは毛布で頭を隠し、甘えたような口調で「見られるのは嫌!」と言いました、それで私はこれを不満足に思いその様子を彼女に見せましたが、直ぐに彼女の泣き声を聞きましたが、別に気にも留めず庭の方に行こうとすると、いつの間にか彼女は彼女よりも長い寝間着のままで私の前に平伏し、涙を菜がして「お母ちゃん、私が悪かったから赦して頂戴!」と謝りました、そこで私は直ぐに赦して、この天使のような児を抱き上げいろいろ愛撫しました。
 私はその時分、訪問会の学校を卒業して家に帰っていた私も代母であった長姉マリアを特別愛していた事を良く記憶しております。そしてマリアがセリナに学科を教えている時には、私もその部屋にいる事を許されたので、何事も注意して見聞致しました。多分、今日の様に物事を判断していたようにも思います。また姉達から度々いろいろのお土産を貰いました。これはそんなに立派なものばかりではありませんでしたが、そのたびに喜んでこれを受けました。
 私はこの二人の姉について充分誇りとする事が出来ます。ポリナは遠方にいたから私は朝から晩までただポリナの事ばかり思い、母が時々「お前は何を思っているのか」と尋ねますと、その都度「ポリナの事を」と答えておりました。時々ポリナは修道女になるという事を聞いておりましたので、私はそのとき修道女というものはどういうものかその意味をはっきり知らずに、ただ私も修道女になりたいという考えを持つようになりました。これは私の最初の記憶に残り、そうしてその時から少しも決心が変わりませんでした。即ちこの姉の手本によって、私は二歳の時から童貞を好し給うイエズス様の方に心を引き寄せたのは姉であります。ああ、母様、あなたとの関係について愉快な話しを聞かせたいが、あまり長くなりますからこれを書く事を断念しましょう。
 親愛なる小さきレオニアも私を深く愛してくれましたから、私もまた深く慕っていました。午後学校から帰ってから、他の家族の者が運動に出て不在の時には、喜んで私を守ってくれました。そして私を眠らせる時などはいつも歌を歌うのですが、その鈴やかな美しい音声は、今も耳に残っています。
 また此の姉が初聖体を受けた時の事を良く覚えております。此のアランソン市の富裕なる家庭の習慣として、私の母がレオニアの友人なる或る貧しき小さき女の子の為に初聖体を受ける時に着る衣類を整えて与えました。その児はその日一日レオニアの側を離れず、夜、家でご馳走がありましたが、そのときにも一番上席に就かせました。私はあまりにも幼かったので、此の席に与る事が出来ませんでしたが、父は親切にも自分で御菓子を取ってこれを小さき女王に持ってきて下さいました。
 どれほどセリナが温順しくそうして優しく、私が腕白であったかという事が次の母の手紙によってよくお分かりになりましょう。此の時私は満三歳でセリナは六歳六ヶ月でありました。
「……小さきセリナは誠に大人しく優しく、余程善徳に傾いておりますが、いま一人の赤ん坊はまだ小さく腕白でありますから、どういう風になるかわかりません。この児は至って利口なたちですが、セリナほど大人しくなく、殊に堅意地で、一度言い出した事はなかなか承知せず、その場合にはたとえ一日暗い土蔵の内に入れられても、少しも我を祈ることをせず、そこで寝てしまうというくらいに強情である……」と。
 私は母の手紙に記されていないもう一つの欠点がありました。これは即ち大いなる自愛心であります。ここに二つの例を挙げましょう。ある日母が私の自負心がどれ程に強いか知りたいと思われてか、微笑みながら私に向かって「テレジアよ、もしお前がちょっと土に接吻してくださったならば一銭をあげよう」と申されました。一銭!一銭!此の時分の私に取っては余程の宝であります。そして此の宝を得る為に、強いて、私の名誉だとか威厳だとかを堕さなくとも、背の低い小さな身体をちょっと屈めさえすれば、すぐ土が届くくらいで、造作もなくこれを得られたのでありましたが、此のとき自慢の心がむらむらと起こりまして、わざと小さき身体を堅くし、きちんと真っ直ぐに立って「ああ、小さきお母様、一銭も要りません、貰わなくても結構です……」と母に答えました。(続く)

読んでくださってありがとうございます。yui

小さき花-第1章~4

2019-12-01 15:37:48 | 小さき花
 母様!私の母が、訪問会に寄宿しておった姉ポリナに送れられた手紙を、あなたから見せて頂いた事がありますが、私はその手紙に書いてある事を未だに記憶しております。此の手紙は母の書いたものですから、無論私の事を誉めてありますが、それは私の幼い時父母に対して愛情を表した方法の一端を知る事が出来ますので、今この手紙の一部をそのまま書き取りましょう。
 「……この節、幼児はたいそうませて来て、可笑しい程私の機嫌を取ろうと努めております、時々「お母さん、早う死になさい」と言うので、「なぜそんな事を言うか」と叱ると、直ぐに謝りますが、その時いかにも不思議そうな態度をして申すには「しかしお母ちゃんが天国へ行くには、死んでから後でなければ行かれぬ、と言っておられますから……」と幼な心にも母を早く天国の楽園に行かせようと思っているのです。この愛の極端な言葉は時々父にも向けられるのです。
 この可愛い児はいつも私の側を離れず、何処へ行くにも喜んで随いてきます、殊に庭園に行く事を歓びます、ちょっとでも私の姿が見えないと直ぐに泣き出すので大いに閉口します、また階段を昇る際には一段ごとにお母ちゃんお母ちゃんと呼んで昇るので、いつも段の数だけ返事をせねばなりませぬ、もし私が黙っておりますと、いつまでもその段を動かず私の返事するのを待っておるのです。……」
と、また私の満三歳の時に送られた手紙の中に次の文句がありました。
『……幼きテレジアは先だって私に「自分は天国に行くでしょうか」と尋ねたので、「もし大人しくしておったら天国に行けます」と答えると、「それなら私は大人しくなかったら、恐ろしい地獄へ行くの?」と言いながら少し考えて、「お母ちゃんが天国へ行くからその時には私を固く抱いて下さるでしょう、そうしたら天主様はもう私を地獄へ入れる事をなさいません」と真面目に言うので大笑いしました、これもだだ私にさえ抱かれていれば大丈夫で、天主様ももはや何事も為さらぬと深く信じているのでしょう、そしてこの時にはその自信が目付きに現れております。
 こういう風ですから家族の者がみなこの児を可愛がって、長姉のマリアなどは暇さえあればこの児を相手に笑い興じておるのです。また可愛いのは時々告解する為にチョコチョコと私の側に走り寄って愛らしい目付きをして「お母ちゃん!私は一度セリナを突き、また一度セリナに打つ真似をしました、もう致しませんから堪忍して頂戴」と言うのです…………。
 また何か悪い事をした時には少しも隠さず、淡泊に誰にも彼にもこれを告げるのです、昨日も粗相して壁紙を破り、非常に心配そうな態度をして、「お父さんが帰りましたら直ぐに謝ります」と申しておりました、ところがそれから四時間ばかり経ってお父さんが帰られましたが、此の時にはもはや他の者がその事を忘れているのに、この児はマリアのところに駆けて行って「私が紙を破った事を早くお父さんに告げて来て下さい」と言いながら、自分はちょうど罪人が刑の宣告を待つように、ちゃんとそこに座って罰を待っているのです、しかし心の中では白状すれば容易に赦されると思っているのです……』と。
 私はここに親愛なる父という文字を書くと同時に、喜ばしく楽しい想いが自然に湧いて来ました。此の時分、私は父が帰られると直ぐに迎えに出て、履いておられる長靴の上に腰掛けるのです。すると父は私は靴の上に乗せたまま、そろそろと私の望む通りに家の中や庭の内に散歩せられるのです。母は笑いながら父に「貴方ははいつもテレジアの望み通りになる」と申しますと「何、どうもこの児は家の女王であるから」と答えられ、のち、私を抱き上げて前後左右に揺り動かし、さまざまに私を愛し慰めて下さいました。しかしそうかといって決して甘やかすような事がありません、まだよく記憶しておりますが、私はある日ブランコに乗って遊んでおりますと、父がそこに通りかかられて「小さき女王さん、私を抱きに御出で」と申しました、その時私は常にやりつけたことに反して、横着にも、「お父さん此処まで来て頂戴!」と言ったのです。無論父は、私の言葉を聞き入れなさらず黙って書斎に帰られましたが、これはごもっともの事です。ちょうどその時側に姉マリアがおりまして私に「我儘者よ、そんな事をお父さんに言うものではありません」と。私は悪かったと思い、直ぐに罪の便りとなった此の忌まわしいブランコを止めて自分の悪い事を非常に悔やみ大きな声で泣きました。そしていつもはお母ちゃんお母ちゃんと呼びつつ上がる階段も、此の時に限って黙って二階に昇り、父に逢い早く和睦すべく父にお詫びをしてそのゆるしを受けました。

読んでくださってありがとうございます。yui
いろいろな事情で更新がなかなか出来ませんが、終わりまで、書き続けます。