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テレーズ 小さき花 について

2019-12-08 19:21:53 | 小さき花
すでに現代語訳が出版されています。
ドン・ボスコ社さんから、「幼いイエスの聖テレーズ自叙伝 その三つの原稿」
私も持っていますが、非常に美しい訳です。
いまの投稿をする前から、正確に言うと、「愛の力」の前から、
その本の訳を意識しないようにするため、読んでいません。


「小さき花テレジア」宮城春江さまの訳は、ちょっとだけ読んだことがあります。


他にもあるかもしれませんが、

もう一つが、シルベン・ブスケ神父さまの訳された、いまテキスト化しているものです。
この本の特長は、教訓と思い出という章があって、それが特に素晴らしいのです。

それなら、それだけ引き出せばと、仰る方もいらっしゃるかもしれませんね。

でも、当初の予定通り 最初から、少しずつ、テキスト化して行くつもりです。


ブスケ神父さまの訳の「小さき花」で、国会図書館には、別の古いものがあります。
それによると、
「小さき花」の翻訳中にブスケ神父さまのお母さまがお亡くなりになられていて、
本の中でお祈りを願っておいででした。


ブスケ神父さまとお母さまを、思い出して、お祈りできますように。

読んでくださってありがとうございます。yui




小さき花-第2章~2

2019-12-08 19:18:17 | 小さき花
 人々は朝から晩まで私等の気を晴らそうと、いろいろに努めて、私等は慈愛なる母の事を片時も忘れません。ある日もセリナが立派なアンズを貰いましたが、直ぐに私の側に来て少し身を屈めながら「これを食べずにお母さんに差し上げましょう……」と言った事をもまだ記憶しています。
 ああ、哀れにも病める母は、もはやこの地上の果物を味わう事が出来なくらいに悪くなっていましたので、もうこれから地上の食物では満足せず、ただ天国のみ光栄にあかされるはずであります。そうして晩餐の時に、聖主がお話しになりました、不可思議なる食物は父の国で私等に分け与えようとの御約束なされた所の、その不思議なる糧、すなわち福楽のみを望んでおりました。
 母が終油の秘蹟に感ずべき式の事柄は、私の霊魂の深い感想が刻まれております。いまでもそのとき、私が跪いていた場所をまだ良く覚えています。不憫な父が悲しそうな表情で、啜り泣きされた事も、ただいま聞いているようです。翌朝良き父は、私を抱いて「お母さんに会いましょう、これが最後の決別です」と申されましたので、私は何も言わず氷のように冷えている親愛なる母の額に唇を当てました。
 私はあまり泣いた事を記憶しません。また深く感じた事も誰にも話さずに、何事をも黙って見聞きしておりましたから、人々がわざと私に隠してする多くの事も、みんな私は知っています。
 ある時、廊下にあった母の棺の側に一人いましたから、永くこれを凝視していました。その時私の身体が至って低く小さいものですから、ずっと高く棺を見上げ、その棺の非常に大きさと、また亡き母を想う情が、非常に悲しく感じました。私は棺というものをいまだ見も聞きもしていませんでしたが、しかしその用途をよく悟っていました。十五年の後、私はもう一つの棺の側におりました。即ちゲノワ童貞(この童貞はよほど善徳に優れた方でリジュー市に修道院を建てる為に遣わされ千八百三十八年に八十六歳の高齢で帰天されました)その際、私は自然にこの幼年の時の事を想起し、凡ての追憶がムクムクと湧いて参りました。この棺を視る為ではなく至って愉快に感じている天国を仰ぎ見るためでありました。もはやこの時が私の霊魂がいろいろの苦しみ悩みにあって熟し強められ、この世界に於いて私の霊魂を悲しめるような事が全くないという程、堅められてありました。
 母の遺骸が墓地に葬られた日。天主様の御愛憐によって、全く孤児となる事を免れ、他の母を与えてこれを自由に選ばせてくださったのであります。姉達五人と、私とが一か所に集まりましたが、憂い悲しみに沈んで互いに顔を見合わせておりました。乳母が私等の様子を見て不憫に思い、セリナと私の方を向いて「お嬢さんはお母さんがありません可哀想に」眼を瞬きしました。これを聞いてセリナは、長姉のマリアに寄りすがり、どうかこれから姉さんが私のお母さんになって頂戴!」と申しました。私はいつも何事をもセリナに見倣う習慣がありましたので、この時も同じ長姉のもとにすがろうとしましたが、すぐ側にいた姉ポリナが寂しそうにしておりましたから、私は母としてこのポリナを選ばないと彼女が悲しむと思い、慰めるような風をしながら小さい頭をポリナの胸に当てて「セリナはマリアを選びましたから、あなたは私の母になって頂戴」と申しました。
  前に申し上げた通り、母が亡くなられてから、私の生涯の第二期に入らなければなりません。また、この間は最も苦しい時代で母として選んだ姉ポリナがカルメル会に入ってから、特に悲しかtt。この間は満四年八か月から十四歳までで、十四歳になったとき、愉快な幼心を再び起こして、人生の真面目な方面を悟るようになっておりました。
 敬愛なる母さま、ご存じの通り私は母に死に別れてから後は、今までの幸いの性質は全然変わり至って活気があり、至ってよく心を打ち明けていた私は、急に何事も恥ずかしむようになり、温和になり、激しい感情に掛かり易くなって、ちょっとしたことにでもすぐに涙をこぼすようになりました。私は他家の人々から相手にされる事が耐え忍びきれず、いつも家族の中にのみいることが愉快でありました。父も至って愛が深くありましたが、なお、その上に母の愛情が加えられたように見え、姉達もみな私に対して至って愛情の深い少しも自分勝手のない母たちになったという事を感じました。
 実際天主様が、ご自分の「小さき花」に恩寵の光線を豊かに射すように御計らいなさらなければ、とてもこの世に馴れる事が出来ず、哀れにも枯れ萎んだでありましょう。まだこの「小さき花」が大雨や暴風に耐え忍ぶ為に力が足りませんから、是非とも暖かさや潤いの露や柔らかな春風が必要でありました。それは私が現世の試練の勇気に遭うときにさえ、慈悲深き天主様は豊かなる恩寵をお与え下されたのであります。
 間もなく私たち一家は、住み慣れたアランソン市を去って、娘等をその叔母のもとに送り、そこで良い教育を受けさせてもらうためリジュー市に引っ越すことと決心しました。(続く)


読んでくださってありがとうございます。yui